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Debut一十木音也√感想

 

 

やっと......たどり着きました、噂のうたの☆プリンスさまっ♪Debutです。

音也√の感想です...。

確かにこれはまぁ重いっちゃあ重いけど、すごく真っ当なストーリーだと思ったしマジでプレイしてよかった......。遅刻間際ギリギリラストトレインからの、Debut....。

私はうたプリの「あ~そういうところを深堀するのか...」みたいなセンスが割と好きなので、Debutはドンピシャでしたね。

 

 

Debut、エンド分岐でだいぶ印象が違うので、この記事では恋愛エンド前提で話を進めます。(先輩エンドは言及する。)興奮したので、友情エンドは別記事になります。

 

ざっくり言うと以下のような目次で進みます。

 

・Debut空気が違う(寿先輩最高です)

・真っすぐな強さ

・ごめん、わたしもあなたに何かを託していたよ

・虹の向こうに何がある?

 

 

 

 

 

========

 

 

・Debut空気が違う

一十木音也くん自身の過去と未来の話に入る前に、Debutの空気感の違いというか段階の違いがすごい.....って話をまずしたい。

始章で「卒業オーディションと違い、明確な基準がない。どうしたらスターになれるかわからないのと同じ」と今回シャイニングから課せられた課題を春歌ちゃんは理解する。

 

ここがまずグッと来た。早乙女学園しかりどこか「実力主義」の傾向がしばしば見られたこれまでと違って、もはや客観的な基準がないと明言された世界。テスト勉強は頑張ればどうにかなるけど、その先はどうしようもないことが起こる。そういう段階に移ったことを自覚。

 

あと、マスターコースの寮ってなんで一回学園の寮出たのにそんなことに...?同室萌えか...?とか思ってたけど、一回春歌ちゃんと物理的に引き離されるっていう絶大な効果があるんだな、と。

なし崩し的に半同棲に近い寮生活を送っていたところから、物理的に離れて、それでもプロとして、恋人としてやっていけるか、という試練。恋愛ゲームとしても大きい試練。

 

そして、寿嶺二先輩の先輩っぷりがまたすごい。

付き人をしている春ちゃんをさらっと業界関係者に紹介して挨拶する縁をくれるところ、新人にはありがたすぎる...。

こういう所も、実力オンリー、音楽の力オンリーというよりは、業界人としてやっていけるか、みたいな所に着目してる。

音也と春ちゃんが朝までいちゃついていたことで遅刻しそうになる場面では、あえてみんなの前で大げさに怒ってくれる。めちゃくちゃ責任ある&教育的配慮の行き届いた人だ......。怒るのだってエネルギーがいるし、「れいちゃん」のキャラから外れるから自分のリスクだってあるのに、育ててくれる。

 

特に、この遅刻の場面とか「あー苦笑」と思ったんだけど、音也&春歌18になる年で高校3年生くらいの年齢な訳で、しかも「学園」時代からのパートナーとやってるわけだからすごく「学校」と連続的な世界で生きている面もある。それを嶺二が「それじゃダメだよ」って言う。

大学生バイトがへら~ってしてるみたいなああいうモラトリアム状態から、もうそうじゃないでしょ、とはっきり言う。それがDebutなんだ!とすごい印象づけられた。

(話は逸れるけどSS龍也√で春歌ちゃんがビジネスメールの書き方を教わる所もすごいリアルだなぁと思った。17歳ってメールの書き方もわからないよなぁ...と思って。)

 

先輩エンドも、あえて厳しくするところと親しくする所のメリハリ、何より「マスターコースの先輩」をめちゃくちゃしっかりやってる。良き実務家が必ずしも良い教育者であるとは限らないと思うんですが、寿さんは良き実務家であり教育者でもあるというすごい人だ......。

それこそ、自分が何かを教えるときに全部知ってることは教えたくなるし、手取り足取りやる方がむしろ楽、的な部分があると個人的には思ってるんですが、あえて口出ししないとか泳がせるのバランスがすごい寿さんは上手で。

それでいて折れそうにならないラインを探っている。

ドラマの役とはいえ、演技で感情が爆発してる音也を抱きしめてあげるのがこの人で良かった...。演技しながら「あ、まずい」のラインを把握してシャイニーさんにも連絡しているし。本当によく見ている...。

 

 

なお、寿嶺二さん、芸能に魂飲み込まれてるやべぇ人だな...というのはマスターコースのドラマCDを聞いて思っていたんですが、その確信が深まってますます好きになりました...。

マスターコースドラマCDの寿さん、カメラ入るとか一言も言われてないし多分あのドラマCDも神の視点で結局カメラ入ってないと思うけど、仕事詰まっててシャイニーさんの懇親会しろって指令のことをめんどくさ!と思ってるのに、ド深夜に飾り付けしてパーティーを用意する。その後、王様ゲーム始める流れで「ウワッ....この人、テレビ的なふるまいに全人生が支配されてる....!!」と思って恐れおののいたんですよ。

随所随所で”テレビが過剰”な人だなぁ...というのが漏れ出ていて、その人の仕事スタイルが垣間見える強烈なドラマCDだった。

 

 

で、その人の音也√4月ですよ。
シャイニング早乙女探しして、勝ったチームはエンブレムか宝くじ1万枚か選ぶ。

そこでもだもだする後輩の会話をうま~く奪って「宝くじ!」と言う。

なぜか。そっちの方がテレビ的だから!!

 

何がきっかけかは今の私は知る由もありませんが、こういうエンタメの悪魔に魅入られてるアイドル見るとゾックゾクしてテンションが上がるし、そういう人を愛おしく思う性分なのでこのくだり本当に興奮した...。

春歌「仕事じゃない時まで常に考えているのって大変じゃないですか?面白くって言われても...」

嶺二「でも、ぼく達はそれを求められる。何をもって面白いとするかは本人次第だけど。人とは違う何かを見せて、より多くの人を楽しませる。そうじゃなきゃ人前に立つ意味はないよね。

 

この後、公私をなくせという意味ではない、と付け加えるところまで最強。

大人としての礼儀が真っ当だとか、教育者として見守る所と口出しするところのバランスが絶妙だとか、そういうスキルがある人がこれほどまでのスーパーアイドルなのが余計にすごいな....と。

 

ところで、シャイニング早乙女に「問題児だった」と言われてるのが気になりすぎますが、それはAll Starまで持ち越し、ということで。

(どうしようこの感想がフラグになってたら!)

 

 

 

 

・まっすぐな強さ

で、ここから本題。音也くんの話です。

 

 

 

これが強さじゃなかったらなんなんだ。

 

 

おそらくこのDebutが元になったと思われるレジェンドスターを初めて見た時も思ったんですけど、一十木音也さん、どん底に行ったあと、自分でもう一度歩き出す。

アニメで、音楽の力を受けたとはいえ、自分で瞳のハイライトを取り戻した時、すっごい感動した。

ゲームでも基本的にそう。

 

これがほんとうにすごい。

 

 

他人を、特に春歌ちゃんをカウンセラーにしないのが、本当にちょっと...とんでもない人で。

それは音也が本当の意味で心の底から頼っていい人がいない状態が長かったから、あえて大事なやり取りを忘れたり、ずっと持ち物を開けないとか、、、そういう対処療法も含めて、自分ひとりで自分のケアをして生き抜いてきたから。

 

だから全体的に乙女ゲームか?っていうくらい二人のストーリーというよりもむしろ、音也のストーリーとそれを見守る春歌ちゃん、みたいな作りなのが...まぁ制作陣の心意気を感じる。「一十木音也」を描きたいっていう。

 

 

というのも、何が衝撃的だったかって一十木音也√恋愛エンドの着地点。

(親に気づいて欲しいとか、早く自立したいとかもあるけど)

「もっと単純に、俺は子供の頃からこのステージに立ちたかった。ここが俺の目指していた場所なんだ。」

 

 

父親に気づいてもらわなくてもいい、とまで言う。

たぶん、ここ春歌ちゃん、ハッとしたと思う。直前まで「いつか誰かが迎えに来てくれる、俺を愛してくれる人がどこかにいるんだって。そう信じ続けていたかったんだ。」と言っていた人ですよ。

 

なんというか.......話の着地点は「過去を受け入れる」になるんだと思って途中から見ていたのだけど、そこを突き抜けていく。

 

「音也くんはもう過去を見つめてはいない。未来を信じているんです。」

と春歌ちゃんがあのシャイニング早乙女に語るように、過去の受容を突き抜けて、前を向いて未来に意識を向けている。

それを、自分で母さんと過ごした地に脚を運んで変わってしまった景色に絶望し、忘れていたことに直面し、ずっと開けないでいた荷物を開けて虹を見つめるという荒療治を一人で、たった一人でやり抜いてしまって、その境地にたどり着く。

 

 

もっと春歌ちゃんをケアの女神にしたっていいはずなのに、音也くんはこの自分との闘いを一人でやり抜く。

そして、ブレイクスルーして未来を見つめている。

確かに春歌ちゃんは大事な存在だけど、良くも悪くもずっと手を握ってる、これが本当に大事ではあるけど、でも「それだけ」というか。
(”振り返ればそこには いつも変わらない笑顔で 俺を見守る君がいた”と歌っているように春歌ちゃんの存在は重要だけど、でも「見守る」しかしていないとも言える。)

 

もっと八面六臂の大活躍でアレコレお節介を焼いた結果、トラウマを乗り越えました!さすが!乙女ゲームのヒロインだね!音也くんを救いました!ってなるのかなと思っていたのに、音也まじでほぼ一人でこの地獄を駆け抜けた....。
(だからこそ恋愛エンドメモリアルで「でも、ひとりで悩むのはもう終わりだから」とようやく春歌がずっと傍にいたと認識して「ただいま」と言う。)

 

 

母さんと過ごした街が全く知らない景色になっている瞬間を一人で迎えて、ずっと開けないでいた荷物を一人で開けて、「心の奥に俺の知らない俺がいる気がして、なんだか落ち着かないんだ」って言ってたのに、自分でその心の奥底の蓋を開けて流れ込む仕舞いこんでいた「弱さ」と対峙する。

対峙した末に「親とかそういうの以上に、自分は子供の頃からここに立ちたかった」と自分の人生を自分の言葉で語りなおす。

 

 

 

自力で咲いた向日葵なんだよ。あなた自身が。

 

 

 

春歌ちゃんが街角で見かけた自力で咲いた向日葵の話を聞いたことをきっかけに、母さんと過ごした街へ行く。区画整理されていて、思い出の町は跡形もない。

「......何も......なかった。」

「俺がそこで生きていた痕跡も、思い出の欠片さえ何一つなくなって...。世界に俺一人だけ取り残されたみたいだった。」

 

こういう絶望を、彼女と仲良く手を繋いで二人で乗り越えるのかと思ったら、1人でそこに行って、1人で帰ってきて泣いている。そこに春歌ちゃんが来る。優しく後ろから抱きしめる。

 

 

Debut音也√で、なんどもなんども形ある思い出たちは壊れていく。大切にしていた寄せ書きも、思い出が詰まっているはずだった街も。

思い出、想い、願いは形あるものに宿らない。

 

音也の心の中にある。

 

「母さんは哀しみに負けず、まっすぐ上を向いて生きて欲しいって言ったのに...。俺は哀しみと孤独に押しつぶされそうで、怖くて、知らないフリをした。それを感じてしまったら立ち直れない気がして。」

 

そうやって「弱い」自分を嘆く9月の音也だけど、終章では未来を真っすぐに見据えて歩き出す。

母さんの願いの通りの人になってる。「向日葵のように」という願いは、音也くんの心にずっと残って根を張って、時に呪いのように音也自身を縛りながらも、音也くんはその種をちゃんと心の中で育てて、強く、真っすぐに生きる。

ちゃんと、花は咲いている。

 

「支えてくれる人、信じてくれる人がいる」と人の想いを受け取ってステージに立つことができる。

 

母さんの願いが種ならば、形あるものは消えてしまっても、音也くんのなかでまっすぐに育ち、たった一人で音也くんはその種を抱え続けて、咲いた。

 

 

そういう音也くんが本当にかっこよかった。

1人で戦い抜いた。

 

まっすぐまっすぐ向日葵のように心の中の強さが咲いて、正面突破した。

 

 

 

 

 

 

・ごめん、私も君に何かを託していたよ

で、同じような話を春ちゃん側から言ってるだけなんですが......

 

 

急にメタいことを言うと、乙女ゲームのヒロインたる七海春歌は間違えない。

 

七海春歌ちゃんの発言は大事な場面ではいつも核心をついているし、ぐいぐい踏み込むし、大事なことを相手に気づかせて引っ張って行ってくれる所がある。
(リピレン√でお子様に人生相談する趣味はない事件があるとはいえ、あれは「踏み込んで」ミスった形だと思う。)

 

でも、音春の春歌ちゃんは間違えるし、いつも音也くんの傍にいて「引っ張る」という訳じゃない。

そして、プレイヤーである私自身も、ゲームの中では春ちゃんも「音也くんと言えば明るくてキラキラ!さわやかです!」と思っている。

(前回AASSL音也√の感想で「なんで音也は自分らしさを春ちゃんに何回も聞いてるんだ?」という宿題を残していたのだけど、まさかこんな形で回収されるとは。)

 

lovelifeenjoooooy.hatenablog.com

 

だから春歌ちゃんは、そういう自分の中の託したい音也くん像を仮託していたことを悔やむし反省する。

音也くんは太陽みたいな人。少なくとも、わたしは彼の温かい笑顔と明るい声に励まされてきた。

でも本人はそうではなかった...?自分の印象を彼に求めていただけなのかもしれない。

それは音也くんにとって負担でしかない。そう思うとわたしは、自分のしてきたことに何も言えなくなった。

 

 

 

ちなみに、私は一十木音也くんに「怒り」を託していた。

私の10代のときのどうしようもなさは一番近い感情でいうと「怒り」だった。「大人」を許せなかった。

リピのあなたは、そんな「あの頃」の、16歳の私の前に現れたみたいだった。

 

早乙女学園で堂々とルールを破って高らかに宣言する音也くんは、不合理なルールに腹を立てていたあの頃の私の前に現れて救ってくれたような気分になった。

だから私はリピ音也のそういう所に惹かれていたし、AA音也√の「大人になるってどういうことだろう?」というのも、そういう不合理さを作り出した「大人」の側に近づくことへの不安なのかと思って読んでいた。

だって、私が17歳のときには、そういう人に一緒にいて不安を共有してほしかったから。

 

音也くんはそうやって、いろんな人が勝手に思いを託して焦がれたくなる人なのだと思う。

ごめん、私もあなたに何かを託していたし、そうやって愛していたんだ。

 

 

「君が好きになってくれた俺は、元気で明るくて前向きな奴なのかなってさ。」7月

 

春歌ちゃんはこれに「そんなことないよ」って伝えようとしたのに遮られる。

この後も、音也くんはどんどんドツボにハマっていくし、どこか調子が悪い様子なのだけど、誰もその核心に踏み入ることができない。トキヤはもちろん、これまでの他の人の√ではここぞ!のタイミングで踏み込むことを躊躇わない春歌ちゃんが、聞けない。(というか今、思い返すと音春の春歌ちゃんは必ずしも踏み込み力高めという訳じゃなかったな...とDebutを経て気づかされた。)

わざわざ公園で待ち合わせをするのも、明らかに訳アリなのに聞き出せず、違和感を積み重ねるばかり。

 

 

その後の春歌ちゃんも、音也くんの傍にいままでもこれからもいることを伝え続ける。

派手に想いの丈を叫ぶとかじゃなく、寄り添って、手をつないで、「ここにいますよ」って伝える温かさと踏み込みすぎないのが、音也くんの春歌ちゃん。

"大好きだから傍にいたい。ただそれだけなんです。"

ってさっきまでのセリフと同じことをモノローグで言ってしまうくらい何度も何度も春歌ちゃんは「傍にいる」って言うし行動に移すけど、簡単には音也くんに響かない。

「この手を離さないで...。一人じゃないって実感したいんだ。」

「俺、ひとりじゃ.....ないんだね。傍にいてくれてありがとう。」(9月終わり)

こうやって音也も実感してはいるんだけど、Debutで音也くんが抱えている問題はマジで自分との勝負だから、手を握ってもらったからすぐに脱出できるというわけでもなく、終章の中盤以降にならないと光を見出さない。

 

 

なんだかんだで一人でもう一度前を向ける音也くんの強さと、その傍にずっとい続ける春歌ちゃん。

 

自分自身と向かい合うことは自分自身との壮絶な戦いなんだ。(9月)

 

 

中庭で泣いている音也くんを抱きしめながらのこのモノローグ。

音也√の春歌ちゃんは間違えるし踏み込まないけど、音也くんの中で起きている壮絶な戦いをしっかりと認識して、その戦いは音也くんが一人でやりきらなくちゃいけないからこそ、そっと後ろから抱きしめてエールを送る。

 

乙女ゲームのヒロインらしからぬ、全能じゃないし、音也くんは基本的には一人で復活するので癒しの女神でもないけれど、その人の中にある他人が決して代わって戦ってあげることのできない戦いを理解する音春の春歌ちゃんが素敵だなと思いました。

だからこそ作曲家として自分の領分でできることを頑張る。

 

 

 

 

 

 

それにしてもDebut前半の5月~7月くらいの音春いちゃいちゃタイム、めっっっちゃ良かった......。ちょうどいい甘さでこの辺はまだ乙女ゲーム楽しむ余裕があった...。

「不器用な愛のボリューム調節ができない」とか言っていた男の影は跡形もなく、ばっちり愛がチューニングされてた...。春ちゃんの耳元で優しく囁くスタイルになったのが天才すぎる...。リピは大暴走だしAAはどうやって愛したらいいのか困ってた姿を知っているからこそ、チューニングばっちりで春歌ちゃんをドキドキさせて愛してる音也くんの栄養が豊富すぎた...。

もちろんエッチな音也くんも健在なのでマスターコースの寮でトキヤと寿先輩がいないからっていちゃついてるときに

「ん?もしかして悪いことしてる気分になっちゃった?」

「そっか...。じゃあ、もっと悪いこと......する?」

 

は~~~~~~~~~~~~っ(肺いっぱいに音春を吸い込む音)

 

しかも囁きでこれ言ってくるのが(頭を抱えて)

 

春歌ちゃんもちょっと慣れてきて、プライベートな俺はどんなイメージって聞かれて「今はちょぴり大胆だけど、私の大好きな、ひとりの男性...。今の音也くんは彼氏の顔をしています。」って「大胆」認定されてるのが良すぎる........。

 

もっとも、いろいろ経ての恋愛エンドは

「愛した数だけ歌を作ろう。君へのラブソングを...。ギターサウンドをラブレターにして、君の心に届けたい。」

 

名セリフ過ぎる。

そんでもってみなさんこんな言葉をご存じの状態でLOVE SONG FOR YOUをくらっていたんですね......。

 

 

 

はい。音春ちゃんの話も無限にできるんですが、ここでまた真面目な話に戻してこの記事を締めます。

 

 

・虹の向こうに何があるの?

 

 

虹の向こうには、何もない。

というか、行けやしない。

 

行くときは、彼岸だ。死ぬときだ。生きることを選んだら、行けない。

 

 

"Over the Rainbow”って本当に切ない。

 

終章Over the Rainbowで母親は死んでいると思う、虹の向こう、という話をするところからして虹の向こうは彼岸なのだろう。

音也くんは、両親に会いたかった。迎えに来てほしかった。

 

「いつか誰かが迎えに来てくれる、俺を愛してくれる人がどこかにいるんだって。そう信じ続けていたかったんだ。」

 

そして誰かが迎えに来て、孤独から抜け出すことは「大人」になることだった。

 

「俺さ、子供の頃、大人になれば哀しいことなんか何もない。幸せに暮らせるって、ずっと思っていたんだ。」

「でも俺、いつまで経っても大人になれない。」

「俺だけ全然。寂しがって泣いている子供のまま。この孤独から抜け出したい。早く大人になりたい...。

 

6月には「今が楽しいからずっとこのままでいられたら、なんて思っちゃうよね。大人になったらどうなるのかわからなくてちょっと怖い気持ちもある。」と漠然としていた「大人」像が心の蓋を開けて明確になった9月には「孤独ではない」と提示される。

でも、それが「彼岸にいる両親が迎えにくる」ことだとしたら、その「大人になる」は文字とは裏腹に生き続けることを意味しない。

 

そして、自分自身との闘いを経て、ソロライブのステージに立つ前の音也くんはこう言う。

 

「俺の居場所はここにあるから...。それにもう泣いているだけの子供じゃない。」

 

 

ここで、「大人になる」と「虹の向こうで孤独を脱出する」は切り離される。

居場所は、虹の向こうじゃない、ここにある。

春歌ちゃんが傍にいる。トキヤもれいちゃんも、ファンの人もいる。

 

ここで生きる、と音也は言ってるんだと私は思った。

 

「約束された明るい未来なんてない。自分の力で今日を輝かせて、明日を作っていくしかない。」

 

時間の流れに身を任せて、気が付いたら年齢を重ねて「大人」になって、ぼーっとしていても孤独を脱して幸せになって哀しみなんかもう消えている。

そんな未来はやってこない、と覚悟する。

その上で、勝手に流れる時間じゃなくて、人生のページを自分で書いてめくっていく。そういう今日の繰り返しで明日を作って、生きていくという宣言。

 

死ぬんじゃない、生きていく!!!!

そういう未来を選び取る。

 

終章の最後の最後で両親に感謝する音也は圧巻としか言いようがない。

「産んでくれてありがとう!」と言って、自分の生を祝福する。

春歌ちゃんも

音也くんの微笑みを見ていたら、生まれてきて良かった。産んでくれてありがとうと言っているように思えた。

と音也の表情を語る。

 

 

死への希望ではなく、産んでくれてありがとう、と感謝して、生きることの覚悟を示す。

「虹の向こう」へと行かずに「ここ」で、生きていくことで「大人」になることを選ぶ音也くんのなんとかっこいいことか......!

 

 

Over the Rainbowという曲は、虹の向こうへと行けないことをどこか示唆していてそれは愛する人と会えないことを意味して、どうしようもない喪失感を抱えたまま、それでも生きていくこと、それは素晴らしいことに違いないという想いを歌いあげている気がする。

 

なんていうか、この曲は、生存証明。

決意に満ちた人生賛歌。

 

 

これからも、いままでも、生きていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

私、うたプリに遅ればせながら出会って、本当に生きてきて良かったって思ったんです。去年の9月に。

というのも、私がうたプリを小耳に挟んでいたのは10代の頃で、なんていうか......10代ってうっすらどこかで死にたくないですか?なんかそういう思春期のどうしていいかわからないけど、ヘラヘラ笑って「若いっていいわねぇ~」って思われているような、実際は世界全部クソくらえ!って思ってるみたいな時期に、彼らとすれ違っていた。

 

で、まぁいろいろあって昨年、ようやくすれ違うことなく「巡り会う」ことができて、みんなすごいいい顔...人生を祝福する顔をしてて。

なんか事情はよくわからないけど、生きることで愛を知る、という風に生きることを祝福しているし、一緒に生きていこうと、時間を重ねていこうと言っていて、そういうセリフが出てくるってことは何かを乗り越えて生きていくことに前向きになった瞬間があったんだろうな...と。

 

そして私も、彼らに出会ったことでこんな風に何度だって愛を始められるのなら、誰かを好きになって生きていけるのなら、きっと10年先も恋して愛してきっと元気に生きていくことができる、そう思えて「ああ、生きるのって悪くないな」って。

そう思えるような10年後......正確には12年後に来たんだ、と。

 

人が沼に落ちるときってどこか弱っていたりする時だから、こんな風に思ったのかもしれないけど。

うたプリって、生きることを祝福している。だからYOUR BIRTHDAY本当にいい曲で....(話が逸れる)

 

 

聞いてない話が長くなってごめんなさい。

要するに、そんなプリンスである音也くんが「生きよう」と「歌おう」と思った人生の大事な時期をこうやって七海春歌ちゃんと心を重ねながら(ゲームのプレイヤーとして)生きることができて本当によかった。

「生きる」を選んだ瞬間を知ることができて本当に良かった。

 

 

しかも、音也くんが「生きる」を選んだ「ここ」がステージの上だったから、私はあなたに巡り会うことができた。

 

「でも今はわかるよ。ここで歌うってことは、自分のすべてを賭けるということ。ひとつ間違えば全てを失うとわかっても、俺はこのステージで歌いたいって思った。」

 

音也くんが選んだ「虹の向こう」じゃない、「ここ」「居場所」は厳しい場所だった。

 

だけど、そういう場所で輝くアイドルだから、私はあなたに巡り会えた。

 

 

二度とは戻れない一本道の先へと、生きて生きて、輝き続けてくれてありがとう。

あなたは私の心を照らしてくれた。

 

 

 

 

Debutのその先、夢のその先の未来で、あなたは間違いなく、私の太陽です。