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AASSL光男√感想!

 

 

AASSL光男√、感想です!

 

 

 

先日、別のジャンルの友人に自己紹介をするときに「乙女ゲームうたのプリンスさまっ♪が今のジャンルです」って言葉が口からするする~~っと出てきて、私のうたプリの軸足ってここにあるの!?と再確認した人間が書いている文章です。

 

 

いろいろご容赦いただける方は、よかったら私の感想を共有させてください!

 

 

 

 

 

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うたの☆プリンスさまっ♪は、叶わない恋をした男が作った世界だった。

 

 

 

 

 

 

これほどまでに衝撃的なことあります?

乙女ゲームですよ?

しかも、2度も叶わない恋をする。

 

 

 

叶わない恋が「未来へのPrelude」であり、愛と恋に溢れた「乙女ゲーム」たるうたのプリンスさまっ♪の世界へとつながっていく。

皮肉なほど明るくキラキラとまぶしく、「Welcome to UTA☆PRI World!」と迎え入れられ私は早乙女学園で恋をする。忘れられた恋のその先の未来で。

 

人によっては、春ちゃんと光男の恋を、ささやかな奇跡の再会(あるいは音楽でなら忘れないこと)を「叶った」とみるのかもしれないですが、私にとっては、やはり叶わない恋。時間に切り裂かれた悲恋なのでは、と思っているのでその解釈で進みます。

だってもう「光男くん」との恋が進むことも、すべてを鮮明に思い出すこともできないのだから。

 

 

 

リピラブで音也√をやったときの衝撃として、うたプリの世界をつかさどるある種の「神」としてのシャイニング早乙女にものすごい憎悪と、同時にアイドル作品としての説得力を感じてこの乙女ゲームうたの☆プリンスさまっ♪」に心を奪われたのが、私でして。

私の愛する人は、シャイニング早乙女が作った「早乙女学園」という箱庭の中で理不尽に耐え、そういう理不尽さの中で恋を見つけ、輝きを増していく。

シャイニング早乙女はしばしば人知を超えた存在と言われるように、ある種「神」に近い存在で、壁を破って出てくることが普通に行われる。(タイムマシンを作ったり、なんでもあり。)

 

 

 

だけど、早乙女光男は壁を破れない。

 

 

 

光男√は、タイムスリップしてきた若い頃のシャイニングと主人公が恋をするというかなりびっくりな展開だし、最初も音也くんに妙に似た男の子からしぶ~~~い声(というかシャイニング早乙女そっくりの声、よく聴くと全然違うのですが)が出てるのが慣れなくて慣れなくて、笑

フォロワーさんから「光男√泣きますよ~」みたいなことを言われていたものの、序盤があまりにビックリの連続だし多分私がそんなに渋い声にゾクゾクするタイプじゃないというのもあって、「またまた~~~笑」みたいな感じだったんですよ。Aクラと和気あいあいとするのも楽しくほっこりするけど、泣く...のか?みたいな感じで。

 

いや~~~~~~~マジ泣いた泣いた。大号泣......。

フォロワーさんは大正解だよ.....

 

 

その理由は、あんな全知全能の神ポジのシャイニング早乙女の若い頃、早乙女光男はぜんぜん神じゃないから。切ない人。

 

 

確かに、音也くんがいいね!っていうくらい歌も上手で、聖川さんが唸るほどお芝居もできて、那月くんが震えるほど楽器が上手で、それはもう間違いなく「伝説のアイドル」なのだろう。

 

 

 

でも、レコーディングルームに閉じ込められた時に壁を破ることはできない。

時の流れに抗って、”そんな魔法もあったね”みたいによくわからないけど記憶に残るという奇跡も起こらない。最後まで頑張った音也くんと春ちゃんの記憶からも、消えてしまう(大恋愛エンド)。わずかな時間だけど、Aクラと一緒に音楽を作り楽しんだ日々は、春ちゃんに恋が芽生えた日々は、この世界から消えてしまう。

(2章のAクラとのセッションは本当に素敵だし、最初から春ちゃんに距離が近くてしれっと髪の毛をくるくるしていたり、さりげない爆モテっぷりがすごかった...。正直、音也、マジで血は争えんって思ったし、だからこそヒマラヤにビックフットと戦いに行かせたりしたんだろうな~~~感がすごかった。光男、爆モテだし、好きになったら一直線だし...。短い期間に凝縮された日々。)

 

 

「神」のようになんでもできるはずの、この「早乙女学園」という箱庭を生み出した張本人でありながら、他のアイドルに対してはまるで「運命」そのもののように生徒たちを翻弄する存在でありながら、若い早乙女光男は「運命」に抗えず、消えていく。

 

 

「けど、俺はいかなきゃならん。あんたの今を、未来を守るには俺が過去に戻るしかない。......そういうことなんだろ?」(大恋愛エンド)

 

 

うたプリの登場人物としては異様な物分かりの良さを発揮して”しまう”。聖川さんならここでデカい声で滔々といかにこの愛が必要なものなのかを説明し始めるところだが、将来的にはあれだけ意味不明なジジイになる予定で、この数日間だけでも肝が据わっている所が見えまくりの光男くんはすんなりとその摂理を受け入れる。

たぶん、この人のこういうところが実はこのうたプリの世界で誰よりも「人間らしい」のかもしれない。春ちゃんを始めとして恋愛に対するガッツがえげつない面々の中で、ああ見えて実は誰よりも恋愛に対して「物分かりの良さ」を発揮してしまう人。

だから追わなかった、追えなかった、のかな。どうなんだろうね、琴美。

その話は置いておくにしても...、物分かりがいい。

 

「なら、行くしかねーよな。惚れた女のためには何でもするってぇのが男ってもんだ。春歌。悪いが、さよならだ。」

 

ダメ!!!!!ダメだよ!!!と思わず叫びたくなった。

「さよならだ」なんて言わないで。あなたがこの先、戻った世界で経験する恋の結末を私は知っている。忘れられない恋にさまよい、相手には二度と会えなくなる。この世界での恋まで、「さようなら」と手放したらダメ!.......というプレイヤーの声は当然届かない。

 

「そして、あんたは......。......俺の初恋......。

春歌。愛してる。有名になれよ。」

 

 

 

 

 

そして光男くんは元の世界に戻っていく。

シャイニング早乙女は、全部を説明してくれる。

 

ここでマジでうたプリの世界ってやべーーーなって思ったのが、シャイニング早乙女がアイドルを目指したのは記憶があいまいな数日の後、アイドルを目指さなくちゃいけない!との思いに駆られてこの道に来た、ということ。

 

ってことはですよ!!!!!!

 

一十木音也くんは「愛故に...」を聞いたことが、シャイニング早乙女がアイドルであったことがアイドルを目指した理由じゃないですか。(他にもなんというかいろいろあるけどざっくり言うと)

 

つまりこの不慮のタイムマシン事故による七海春歌早乙女光男の邂逅が無ければ、シャイニング早乙女というアイドルも、一十木音也というアイドルも生まれない。

また一ノ瀬トキヤにとってもシャイニング早乙女は、芸能界の父である。

 

同時に、いかなる世界線の一十木音也にも一ノ瀬トキヤにもお互いの存在がなければソロアイドル(あるいはグループ)として生きていくことができないと思っている私ですが、まさにHAYATOがいなければ作曲家・七海春歌はいない。

あるいは、タイムスリップした光男が最初にテレビで目にするのもHAYATO様。

 

 

絡まり合う運命........。

 

 

 

いや、運命という言い方はそうなんだけど、少し不正確だろう。

これがうたプリが示す「アイドル」そのもの。

 

 

冒頭でAクラがわちゃわちゃしているとき、まさにテレビのHAYATOの姿を見たそのすぐ後。聖川さんが言う。

「理想のアイドル像はそれぞれでも、おそらくアイドルというものに対し求めるものは同じ。

アイドルとは人に夢を与える存在だ。

 

 

 

アイドルは、人に夢を与える。HAYATO春ちゃんに、シャイニング早乙女は一十木音也に。春ちゃんと音也は、早乙女光男に。

アイドルは人に夢を与え、夢は人を突き動かし、新たな夢を人に与える。そうやって運命は絡まり合い、世界は広がっていく。

 

 

第4章で、春ちゃんのことを「強くていい女だ」と言う光男に春ちゃんは「強くなったのだとしたら、この学園のおかげですね」と答える。

「そうやって、ここは何年も、あんたみたいな奴に夢を与えてきたんだな」

「はい。そして、ここを卒業した人達が、もっと大勢の人に夢を与えているんです!」

 

うわああああああそっかあああああああ早乙女学園んんんん.........。

 

私は早乙女学園はヤバい場所だと思っているので、「夢を目指し未来で夢を与えるための学園」なんてキラキラした言葉で飾るつもりはなかったのですが、でも...そっか......早乙女学園ってそういう夢が絡まり合う場所なんだ。すごい納得と説得力。

別にアイドルになりたい、とは思わなかったけど、今の私の仕事はアイドルに出会わなければたどり着かなかった夢。私の人生のきっかけには、いつもアイドルがいる。

だから、私はこの「アイドルは人に夢を与える」に心から同意する。

「夢を見せる」と言えば、まるで麻薬のように一時の快楽を与えるだけかもしれない。でも「夢を与える」なら、与えられた人はその夢を抱いて、一人で走るしかない。

アイドルがくれる夢は、そういう「生きがい」「走りがい」みたいな夢だ。

 

 

そして、作中で繰り返される「アイドルは人に夢を与える存在だ」という言葉を体現したのがうたのプリンスさまっ♪の世界にとって柱となるシャイニング早乙女と一十木音也、七海春歌、一ノ瀬トキヤ(HAYATO)の運命の絡まり合いによって表現されている早乙女光男√、マジで本当にすごい。

 

「夢を与える」アイドル、そのものが凝縮されている。

 

 

 

そして、うたのプリンスさまっ♪の世界はただのアイドル養成の世界ではない。

音楽と恋の世界。「キスよりすごい音楽ってあるんだよADV」である。

光男√、音楽と恋の「キスよりすごい」加減が切なく苦しくとんでもない。

 

 

 

光男が元の世界に戻ってから、光男くんと過ごした日々を忘れないようにメモっても字が消えていくし、那月くんも聖川さんも、そして音也くん、春歌ちゃんまでもみんながこの日々のことを忘れていく。(どんなエンドを迎えてもみんな早乙女光男と彼と過ごした日々を忘れる。)

 

 

 

 

「キスよりすごい」の解釈は開かれている。

ただ、少なくとも光男√にとっては、恋した日々は消えてしまうがそれでもなお残る音楽のことなのかもしれない。と思った。

 

そんなに切ない「キスよりすごい」の方向性あります???

 

いや、実際はささやかな奇跡は起こる。

Welcome to UTA☆PRI Worldを奏でた時、シャイニング早乙女がやってくる。(基本的に大恋愛エンドの話をしています)

 

「また会えたな。」

 

春歌ちゃんの中でも少年の顔が浮かぶ。

 

本当に本当にささやかな再会を果たす。

(恋愛エンドでは、忘れてしまったあと古い雑誌を見たことを機になぜか身体がメロディを覚えていてよくわからないけど「光男くん...」とこぼす。)

 

 

愛を歌うことを至上命題とするうたのプリンスさまっ♪の世界において、きらきらとまぶしいWelcome to UTA☆PRI Worldは、消えてしまった恋の歌、消えてしまった思い出と友情の歌、それでいて身体に刻み込まれた忘れられないメロディ。

 

 

何もかも叶えられる男の、過去の叶わなかった恋の歌。

 

 

 

唯一、ささやかに叶うのは再会をすること。奇跡のような再会。

 

 

「だから、大丈夫だ。春歌。未来で会おう。俺は必ずお前に会う。そのためなら何だってやってやるさ。」

 

そう言って、やってやった男が(「そうきっとすべては叶う」と書き残していった男が)、未来で再会を果たす。

感動的。感動的だけど......あんなに無敵なシャイニング早乙女の「大恋愛」エンドがささやかな再会、なの、本当に切なくて........。だって他の人の「大恋愛」エンド、考えてみ???だいたいどこも押し倒してるからね???相対的にささやかすぎん?

ばしゃばしゃ泣くしかできなかったよ.........。

これが「大恋愛」エンド........。

 

 

だけど、まさにこのささやかな奇跡こそが「音楽に刻みこんだから忘れない」な訳で。

 

 

 

 

ここからメタ的な話になるのですが、このWelcome to UTA☆PRI Worldのメロディってずっとうたプリの世界で「鍵」になってるじゃないですか。新規としてはそれがすっごい謎で。まぁ単純に無印のテーマソングだった(?で合ってますか?)から始まりなのか~とも思いつつ、もはやリピラブの方が手に取りやすい時代なので、あんまり「始まり」って感覚もないこともあり...苦笑

 

 

なぜ「鍵」が「Welcome to UTA☆PRI World」なのか?

なんでWe are ST☆RISHで引用される「キスよりすごい歌がほんとうにあったとわかる」がこの曲なのか、なぜキングダムのアンコールがこの曲のメロディなのか。

タツアアンコール前の盛り上がるところ(「Promise of Beginning」)で、なぜこのメロディなのか。

 

あるいは、シャニライで一番上(?)にある曲が「Welcome to UTA☆PRI World!」なのか。

め~~~っちゃいい曲だけど、なんで???それこそ、新規的にはリピラブ=第一作、くらいの認識でいたので、光男√はリピラブじゃなくてAASSでしょ????と思っていた訳です。

 

 

答えは、忘れられた始まりのメロディだから。

 

 

これに気づいて、もうエンディングで曲かかってるときに余計に泣けて泣けて。

こんな風にエンディングで曲がかかって鳥肌が立つのは、マジでうたプリにしかできない所業だよ....(号泣)

だってだって......やっぱりただただ最初の作品ってだけじゃなく、この世界に内在的な理由があったんだ!と。

うたプリの奇妙奇天烈でトンチキな世界はシャイニング早乙女なしには成り立たない。その意味で彼は「神」であり、そしてやはりうたプリの「原罪」あるいは「最初の夢」として彼と一十木音也くんの物語を欠かすことはできない。早乙女は「神」であり、「父」である存在。

 

 

そんな彼を「アイドル」へと導いた日々が作ったメロディ。

始まりのメロディ。

 

忘れかけられていた「始まり」を思い出させる、記憶の鍵であるメロディ。

 

 

 

あ~~~~~~だからなのか、だからこの曲は「始まり」としてふるまうのかと納得感がすごいし、改めてシャニライ先生がこの曲を一番上に持ってくるのやばい。シャニライ先生のうたプリへの解釈...。

 

 

新規がやることって、アニメかシャニライが手を出しやすいと思うんです。

私はアニメを見てる途中でシャニライダウンロードしたら、知らんけどめっちゃいい曲があってウキウキでプレイしてて!

(アニメ&シャニライでは「アイドル」としての彼らの側面が強いと思うので、当初、この曲は「アイドルからファンへの最高のラブレター」と思っていました)

で、アニメを爆速で見て、レジェ最終話であのメロディが聞こえたときに「な...なんだあのシャニライの曲!?」ってなったし、アニメ見終わってスタツア行ったら、またあのメロディがかかって「え......一体、あのメロディにはどんな歴史が???」と思って今日までずっと謎を抱えて新規やってきたんです。

 

それにこんな最高なアンサーが与えられて本当に......うっ......うっ.........うたのプリンスさまっ♪が好きだ~~~~~~~~!!!!!!!(大絶叫)

 

 

 

結局は、シャイニング早乙女はどこまで行ってもある種の「神」というか、うたのプリンスさまっ♪の世界を生み出した人、「早乙女学園」「シャイニング事務所」という舞台そのもの。

実際は、この世という舞台で踊る(早乙女学園/芸能界という箱庭の中で生きる)しかないのはアイドル達であって、そのアイドルたちは、舞台の上だけを見ればまさに遊園地に私たちを誘うようにキラキラとしている。

だからこそ、舞台そのものであるシャイニング早乙女(早乙女光男)のことを忘れても、この曲は成立する。

アイドルとファンの関係でも成立する。

だから、私は光男√を知らないままでもこの曲を聞いて涙ぐむくらい感激したこともあった。「僕らはなれるかな」「君の羽に」なんて(2番だけど)、まさにアイドルがファンに歌う歌じゃん!って。

 

 

あるいは、”ようこそ!うたのプリンスさまっ♪の世界へ”といざない、早乙女学園の中で恋と仕事を頑張る私(こと春歌ちゃん)と彼にとって、そこは「舞台」ではなく「人生」そのものであっていつのまにか外枠を作った人のことを忘れていく。

頑張る私と彼の曲であって、早乙女抜きにして成立する。

 

 

こんな風にこの曲、そしてシャイニング早乙女そのものが、「世界」あるいは「舞台」そのものであるために、常に忘れられ行く、「早乙女光男」の物語。

だけど、うたプリワールドそのものの最も外縁、「世界」そのもののベースには、光男と春歌ちゃんの、そして光男と琴美の、悲恋があった。

悲恋がベースにある乙女ゲームの世界。忘れかけた叶わぬ恋のメロディが誘う「うたプリワールド」。

 

「確かにそこにいた。別れがあるから輝く出会いがある。その出会いを歌に込めたい。」(友情エンド・春歌のモノローグ)

 

「ようこそ未来へ。わたし達の学園へ。あなたに出会えてよかった。」(友情)

 

早乙女「最高の歌手、そして曲。私はこの歌に出会うためにこの学園を作ったのかもしれないな。」(友情)

 

 

 

時空に切り裂かれたどうしようもない別れのその先で、忘れてしまった未来=過去のその先で、早乙女学園は生まれ、そこで私(=七海春歌)は輝く出会いをする。

 

そこで私は、運命のパートナーと出会って、アイドルを目指し、恋をする。

 

 

 

恋と音楽に満ちた世界が、ある男の叶わぬ恋の上に成り立っていたと知った時。

「アイドルとファン」の、あるいは「恋する私と彼」の曲だと思っていた曲の背景に、この学園を生み出すことになった男の叶わなかった恋があったと知った時。

震えるほどに感動した。

 

「運命の恋」は、叶えられなかった別の「運命の恋」によって作られた学園を舞台に走り出す_________。

 

 

 

 

そして、「舞台装置」(=うたプリワールドの神としてのシャイニング早乙女/早乙女学園/シャイニング事務所)そのものとして忘れられ行く運命にある「始まりのメロディ」はしばしば鳴り響く。

 

”アニメ世界線”ですら鳴り響く。

 

これが意味するところは、やはり「うたの☆プリンスさまっ♪」の「「原作」」はゲームであり、どれだけ「アイドルとしてファンに」歌いかけようとも忘れることのできない恋の記憶を、呼び起こす音。

どれだけアイドルとして大成し、学園で過ごした日々が遠くへ行こうとも、青春の日々で育んだ友情、奇跡の出会いを呼び起こす音。

 

 

”ゲーム軸”から”アニメ軸”への空間移動で忘れてしまったかもしれない。

いろんな歴史の中で、ぐちゃぐちゃにされていくのかもしれない。

ただただアイドルがファンをもてなす、「遊園地に遊びに来た人がみんな笑顔で帰っていく」そういう曲に聞こえるかもしれない。

実際それでもいいのかもしれない。それが「うたプリワールド」なのかもしれない。

 

 

でも、あのメロディが聞こえれば、心が熱い、身体のどこかが覚えている。

胸を焦がした恋を。

そういう恋が「うたプリワールド」を支えている。

 

 

那月「そうですねぇ。でも......。その忘れている何かも全部ここに入っている。そんな気がしませんか?

音也「そうだな。うん。俺たちの大事なもの。大切にしたい想いは全部、こん中に入ってる。だからこの曲を、ずっと大切に歌っていこうぜ!」(友情)

 

 

忘れてしまった恋。消えた恋、叶わぬ恋が下地にある「うたプリワールド」

忘れてしまっても、忘れられないメロディは、歴史の中で何度も鳴り響いては、胸の中にある熱い想いを呼び起こす。

 

 

 

恋がなくちゃ「うたプリ」じゃない!と、私個人としては確信せざるを得なかったAASSL光男√の感想でした。