何かやらなきゃいけないことがあるときほど、関係ない文章が書きたくなるもので。
現実逃避で今年のブログ記事を見返してたら、今年のわたしは本当に「愛」とか「好き」を言い訳にしないでいろんなことを考えたい!と思ったときにブログを書いているんだなぁ...とびっくりしました。
このブログを始めたのは丸3年前くらいで、そのころ、というか今から3~4年前の時期はとにかく「愛」に凝っていて、「愛」さえあればなんでもできるし、どこにでもいけると信じてやみませんでした。
今も「愛」という言葉は大好きで、愛という大きなエネルギーが「ここ」まで私を連れてきてくれたのだと確信しています。
だからこそ、「愛」というエネルギーだけじゃなくてもういいや、と思ったのかな、とかちょっぴり。
「愛」が連れてきてくれた大学という場所で私は、「フェミニズム」に出会い、「政治」や「法律」に出会い、ジャニオタではない様々な友人に出会い、少しずつ、少しずつ、たどり着いたときのままではいられなくなって、そして「今」って感じなんだろうなぁと。
だって今年の記事、愛すべきアイドルたちのお仕事をほんのり批判しているものが多いの。びっくり。いやわたしが書いてるんだけど。
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これはトリッパー遊園地のとき。「人情」の持つ普遍性ってこわくねーか、それに自覚的か、みたいな話をしちゃってこっそり更新したやつ。
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これは友達に頼まれて書いたらすごくつらくなっちゃったやつ。
皮肉なことに、ここで「嵐はいつ政府広報に駆り出されてもおかしくない」って書いてるんですよ。こないだ見返してて笑っちゃったんだけど。
で、あ、、政府広報だね、ってなったのがこれでしょ。
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ちなみにこのあと11月は月末に、現首相と写真に写って、首相官邸Twitterに嵐さんが登場するということも起こりました。
11月はある意味SNSも含めて、「いつか起こるだろうな...」がどしどし現実になった。良くも悪くも、といったところですんごい疲れました(遠い目)
あとは今年はジャニーさんが死んだのも大きかった。
「ジャニーさん」とは何者だったのか、を考えずにはいられなかった。
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ここでもすこーしだけ性暴力のことを考えたり。
「ジャニーさん」について考えると同時に、「ジャニーズ」の「アイドル」という存在についても考えざるを得なかったな。
それは1月の嵐の休止会見があって、生身の人間をアイドルとして愛しているってこういうことだから....と泣きながら必死で受け入れようとした。
それは、自分自身が相手の人生を消費していることを突き付けられる経験でもあったんだと思う。もうそういう土俵から降りたいです、2020年いっぱいでその土俵から降りるんです、って言われて、なんていうかある種はっきりと、「はじめて向こうからの声を聞いた」に近い感覚。いままでは、「素」というパフォーマンスをしているという見方もできたわけだからさ。
だから今年は、このブログに掲げていたような「オタクライフエンジョイ至上主義」に身をゆだねず、「私がこれを好き/愛してる」っていう事実と、それに付随して発生するその他の価値評価を切り分けて、ほかのことも考えるようになった側面が強かったんだろうな。
何がきっかけってわけじゃないけど、そういうこと。
だから今年は「愛だけじゃなくったっていいじゃない」と言いたかったんだと思う、なんか結果として。
ファンには愛と少しのマナーがあればいいんだけど、勝手に他の感情も抱きたいなら抱いちゃえば、それができるくらいには私はタフだよ、だったよ。
というか、それが望んだことだった。
この「愛」信仰は2013年のツアーLOVEに落選したときから。本当にショックで苦しくて、日常生活がままならないほどその落選がつらかったから、日常生活を生き抜くために(?)、「愛」パワーを発達させると嵐とずっとつながっていられるような、彼らが考えていることをわかるような境地に入れるんじゃないかとおもってやってた。
だから最終的には嵐と同一化したい、みたいな。
でも「愛」パワーが運んだ先で、(翔君みたいになりたくて来た大学だった)、ぜんぜん同一化できないことを知って。どんどんどんどん同一化できなくて、だって私はけっして櫻井くんではなくて。
なんかいっそ逆に、「私」がしょうくんを好きになれたらいいよね、もう落選してもちゃんと大丈夫なくらい一回本気で嵐と同一化しようとしたよね!?みたいな。でもできなかったよね!だって休止するなんて想像もつかなかったもんね!!が、今年爆発した。
だから、「お客さん」としていろんなこと言えた。
逆に安定した。
それは2013年の不安定な私が望んだことだったかもしれない。
そんな気がする。
ということでもはや私にしかわからない語彙でブログを書くという禁じ手をしているんだけど、でも今年の私はオタクとしてすごく変質した年だったと思うから、こうして記事にしたってことよ。