こんばんは、ゆうです。
本日も極私的なブログです。
今日で嵐ファン始めて10年目に突入しました!(ぱんぱかぱーん!)
満9年ですね。
私は、FREE STYLEのグッズの5年日記を使って日記を書いてるんですが、それを始めたのが2009年の今日。始めた理由は、毎日の嵐のたまらない瞬間を忘れないようにメモするため。ってことで、嵐の宿題くんの文字起こしとか、感想とかをノートに書き始めました。好きって気持ち+行動が伴ったので、今日を毎年記念日にしています。
好きになったのは、2009年の翔くんの誕生日のあたり。だから、1月2月の厳しい寒さで、嵐を好きになったばかりのドキドキを思い出すし、3月でほんのりあたたかくなると「私、嵐ファンだなぁ」と思い始めたファン1年生の気持ちを思い出す。
そんなことを繰り返して、10回目。
気づいたら、って感じだ。10.
ファンになったばかりのころは、好きになって3か月♡とか、6か月♡とかめっちゃカウントしていて、、それが段々好きでいることが当たり前になって、3月3日にしか自分が嵐ファンであることをカウントしたりしなくなった。きっと当たり前のように来年がきて、満10年を迎え、嵐も20周年になるのだろう。
ずっと先だと思ってた。10周年の時も、15周年の時も。そんな嵐の20周年は、すぐ近くにきている。
先週の99.9にスマイルの小ネタが入ったことをきっかけに、ビトくんのことをぐわぁああって思い出しちゃって、この春の空気とも相まって、何かの扉があいた。
ビトは、今も元気に多国籍料理のお店をやってるかなぁ、って記憶の扉を開けたら、神山も元気かなぁ...とか無限に広がってしまってなんか空想しがち。
吉本荒野と、栗原一止のことはあれからずっと考えてるから、いつも私の人生に寄り添ってもらってる。鳴海校長もたぶん、これから度々思い出す。
ビトと神山はなんか久しぶりって感じだったなぁ。
そしてこんな風に春が来ると、家族ゲームのビジュアルが公開されて、本屋で手に取ったTVガイドPERSONのビジュアルにひーーひーー言ったこと。
神様のカルテ2の公開に駆けずり回ったこと。
去年でいうと、I'll be thereのFNSの公開にド肝を抜いたこと。
ひみつの嵐ちゃんが終わって、stillで号泣した翌日が中学の卒業式で、目を真っ赤にして登校したこと。(すごい卒業を前のめりな人みたいになった)
気づいたら、って感じなんだけども、でも、こうやって並べるとやっぱそれなりの年月なんだなぁって思う。
季節の風を感じるたびに、思い出される違う思い出がたくさんあるなんて、私はほんとに嵐と一緒に生きてきたんだなぁ、と。
こないだのブログにも書いたけど、あの頃ああいう影響を受けたから、今こうして...って言えることがたくさんあるのは、まさにそういうことなんだよね。
昔は、こうじゃなきゃファンじゃない。ああじゃなきゃファンじゃない。もっとこの人みたいに嵐を考察しなきゃ、とか人と比べて焦って窮屈にファンやってたけど、今やすっかりマイペース。
私は私のやり方で、私が好きなように、嵐を愛する。
嵐が「好き」という気持ちを大切に。嵐に対して正直に。嵐を誰よりも信頼するファンでいる。
こういうメンタリティは忘れたくない。
具体的には、円盤買わなくなったらまぁ自分はファンは名乗れないと思う。そういう最低限のお金の使用(というか円盤という嵐からのプレゼントや作品をお金と交換して受け取りたいと思わなくなったら終わりだと思う)は、したい。
そして、本人に言えないようなことはしたくない、かな。
一つの社会のやり方として、お金を余分に払って何かを手に入れることは間違ってない。一つの発言の在り方として、性的な発言や悪口は完全否定できない。でも、私個人としてはそういうことはしたくない。本人に会って話す機会があった時に、どういう顔していいかわからないじゃん?笑
ファンをやる上で、私がやりたくないと思うことは、ファンとしてっていうより人間として私が生きる上でやりたくないなって話。
あくまで私は、このくらいの制約をかけて、それ以外は自由に、これからも気ままに嵐のファンでいたいなぁ...。
せっかく嵐ファンになった記念日だから、突然、ファンとしての在り方を再確認。
あとは何より楽しむことか!!そうだね!!!
ってことで。
今年はどんな春になるだろうね。翔くん。
いつもあなたの笑顔に癒されているし、クレバーな発言にパワーをもらってるし、鋭い姿勢に勇気もらってます。お互いに、健康に、よいファンとアイドルの関係でいられたらいいね。
こんなに長く好きでいさせてくれてありがとう。
これからもよろしく。
2018.3.3