最後の恋は、死ぬ直前までわからないけど、最初の恋はそれが終わろうとしている時にすぐわかる。ああ、これが、って。
これは恋じゃないだとか、愛じゃないだとか、ただのファンだとかいろいろ言ってきたけれど。でもやっぱり、嵐を好きになったことを初恋と呼んでもいいかな。いいよね?
だからこれは2020年12月31日に書く、ラブレター?それとも日記。わからないけど、書きます。
あなたがた嵐を好きになってから、実際に「恋愛」なるものをしてみたり、新しい「推し」ができたり、はたまた「親友」と呼べる存在からもらう愛の大きさを感じたり、たくさんの愛を経験しました。
なかでも初めて好きになったあなたがたからもらった愛は、経験させてもらった恋は、私にとってとても大きなものでした。この二年間は特に、私ばっかり好きなんじゃなくてあなたがた....正確には、あなた、櫻井さんが一人一人のファンを「愛して」くれていることが直接に伝わることの多い日々でした。
私は今、「こんな好きな人に出会う季節二度とない」と歌いたい気分です。
でも私は知っています。様々な愛の経験からして、私はきっとまた誰かを好きになることを。運命の人は、一人なんかじゃないことを。少し悲しいけど。そうやって「別れ」を、乗り越えてきました。
ただ、一つだけ確信していることがあります。
「こんな風に好きになれる人は他に誰もいない」ということです。
こんな風に、というのは、お金・体力・時間のすべてをつぎ込むという以上に、人生の重大な選択のすべてに影響を与え、鬱屈とした学生時代に光を与え、そのことによって私という人物の価値観の一部になってしまう....そんな愛し方、恋し方。
今の私は、人を好きになるというのはつくづく怖いことだと思っています。相手を通じて想像もしない方向に自分自身が変化し、知らない世界を知っていく...これが私にとっての「愛する」ですが、20代にして私は自分が変わっていくことが怖いです。
また、大切にしたい価値もあります。思想もあります。だから、好きになる人を「選んで」しまう。「自分」というものがあり、そこから変化幅が少ない方を選びたくなる。
確立したライフスタイルもあります。勉強したい、仕事したい。持てる時間のすべてをただただあなただけに、という訳には行きません。
一方、初恋は、恐れるものがありません。
「好き」という気持ちに身を委ねて、どこまでもどこまでもアクセルべた踏みで走っていくことができます。自分自身がすべて変わってしまうことも、過去を忘れてしまうことも、怖くありません。そんなことになるなんて知らないから。
躊躇いなく、飛び込むように、好きになれた。一生懸命に大好きだった。
これが初恋が特別な理由だと私は思います。
今は、寂しくて仕方がない。あの優しい笑顔の5人の姿が、今夜のあとはいつみられるかわからないなんて、泣けてくる。
でもいつかは慣れていって、世の中には「新曲」が溢れ、新しい愛や恋に出会い、仕事や勉強のことで頭がいっぱいになって、シャッフルで流れた彼らの曲に「懐かしい」なんて言っちゃって。
人間そんなにヤワじゃないから、「嵐がいない毎日なんて生きていけない」と言いながら、図太く生きていくし、もしかしたら本当にどこかに仕舞い込んだ「青春の小箱」や「写真立ての中のまぶしい笑顔」として部屋の片隅に置かれっぱなしになるかもしれない。
それでもね、あなたがたが私にとって最初の恋だった。
危なっかしくて、もうできないよ、あんなこと。こんなこと。
当時は一生懸命だったけど、今は「ちょっとイタいな~」って自分のこと思っちゃいそうだしさ。
恋すること、愛すること、夢を見ること、生きること。教えてくれてありがとう。
初めてがあなたがただったから、私は恋をしたり愛を感じたりするたびに、夢を見るたびに、あなたがたの歌を思い出します。
国立競技場で見た夕暮れ、グッズ売り場のうだるような暑さ、始発に乗ってグッズを買いに行った時にみた明けの明星、、、、様々な四季を感じるたびに、あなたがたの曲が頭の中で流れます。
ずっと、ずっと。
これは一生懸命に好きだった私が手に入れた宝物のような身体反応で、誰にも奪えない。だから大切にします。
必要なのは「愛」「愛」「愛」「愛」...どんな時代も生きていける気がしてるよ。
素敵なものをもらったから。
少し大げさだけど、初恋って呼んでもいいよね?
とんでもなくでっかい愛、経験させてくれてありがとう。
そして、この二年、さようならとありがとうの時間をくれたことも、、本当にありがとう。
私は今、「初めて」の切なさと苦しさに見舞われています。これが、初恋が終わるということなんでしょうかね。そんな感情すらも、愛おしいです。
ありがとう。愛しています。
またね。