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「最強のファンタジー」

 

 

私がえび座に行くようになって4回目の秋。

大学一年生で初々しく「授業さぼっちゃった~」とか言って通った応援屋が映画になるという話を聞いてニマニマしながら卒論を書くような時の流れです。

映画、楽しみだね!!!!!!キャラ一新みたいだけど桂馬さまは楽しみです....切られていたあの日々が懐かしい.....。シューヤ先生.....。

natalie.mu

 

今日はえび座2019の感想を書き残そうと思って。

ジャニーさんが亡くなって初めてのジャニーズ伝説。それこそ訃報のWSで使ってもらったりしていた2017年のジャニーズ伝説の動画があって、注目度も高かったと思われるジャニーズ伝説。そんな、「2019」のジャニーズ伝説。

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【肯定的な話ばかりはしませんので、えび座最高!という思い出だけを残したい人はこの先見ることをおすすめしません。】

 

 

 

 

 

 

 

 

最初にパンフレットの話をするのですが、「ジャニーズとは?」という質問に河合くんが「最強のファンタジー」って答えていて泣きました。

ジャニーズ大好きジャニーズとして名を馳せる河合くんですが、私にとっては「アイドル」であり、「スター」である、大好きな彼と「ジャニーズ」の解釈が一致したことがうれしくてうれしくて。というか頼もしくて。ありがたくて。

 

オタクって彼らの人生を「消費」しているところがあって。そこに対する罪悪感はありつつも、彼らが人生かけてやっている「ショー」としてそういうもんだよね、って受け止めているところがあって。でもやっぱりそれでいいのかわからなくて。だってそれが「人生」であることに変わりはないから。客として、「ステージ」に上がっていないときは突っ込まない(つまりプラべとか「本当の」性格がどうだとか)というルールは守るにしても。

 

 

でも河合さんは「最強のファンタジー」で「自分がその一員になれていることがうれしい」と言っていて、めっちゃ解釈が一致した。ジャニーズに対する解釈が一致した。「他のファンタジーと違うのはちょっとリアルが入っているところ」というスパイスを効かせてくるところも解釈が完全に一致。

そこまで全部受け止めて、ぜーーんぶ見えている上で「ジャニーズ大好き」な「ジャニーズ」をやっているんだって、そういう覚悟と強さに惚れ直した。

ここまでの愛は強くなきゃできない。

河合くんの強さに甘えてファンをやれるやったーっていう訳じゃないんだけど、河合くんの覚悟(本人はそこまで思ってないのかもしれないけど)をさ、ちゃんと言葉にしたものを受け取ったうえでこれからも河合くんのお客さんをやれるのは安心する。

 

河合くんがぜーーーんぶぜーーーんぶ大好きな「ジャニーズ」という「最強のファンタジー」でキラキラと楽しそうに踊り続けて、新たなストーリーを織りなし続けるのを私はずっと見ていたい。

あなたの、あなたがたのそのファンタジーワールドを愛している。

 

 

 

だから、改めて、「ジャニーズ伝説」はエンターテインメントでファンタジーなのだと、強く、今一度自分に言い聞かせた。

今年は戸塚ジャニーさんがいなくなったから昨年の「正史」に比べてちょっとわかりにくいというのももちろん昨年、一昨年と見てきた私も思った。でもそもそもこの「ジャニーズ伝説」自体が、それこそ日本建国神話みたいなさ、ヤマトノオロチみたいな?...一つのフェアリーテイルに過ぎない。だってジャニーズだもん。いや~~~なんか昨年までのあおい輝彦とジャニーさんの小話とのパワーが過ぎすぎてすっかり忘れそうになってました。当たり前なんだけど。それを今年思い出しました。

 

ジャニーさんの不在という意味でも1幕の描き方は納得できるけど、語り手トツカが子供に語って聞かせるというのも「フェアリーテイル」っぽいと思いました。

 

なんでそんなことをわざわざ考えたかというと、今年は今年ということもあってジャニーさんのことをすごくすごくこんなにもジャニオタとして考えさせられた年はなかった。

だってちゃんと「会った」ことないのに、訃報が入ったあとにそんなことをファンに悟らせずにやってたJ's倶楽部で流れたSMAPのオレンジ。

そのオレンジを聞きながらジャニーさんのことを考えていたらふいに泣いてしまったこともあったくらい、私の大好きな人の恩師で、私の大好きなエンターテインメントを作り上げた最高のプロデューサー。

圧倒的な光、美少年たちが一生懸命に舞い踊る姿、理解不能なのになぜか泣いてしまうシナリオ、少年の人生をも「ショー」へと仕立ててしまう悪趣味だけど一度味わうと引き返せないジャニーズの世界、悪魔的なそのエンターテインメントの味はきっとジャニーさんの才能だ。

 

どっかの週刊誌に河合くんがお葬式のあとに号泣したであろう顔を撮られていた。

 

これはぜんぶ嘘じゃないと思う。A.B.C-Zが「ジャニーさんがファンだって言ってくれた」って去年ほんとうにうれしそうに話していたのも。

 

でも、たくさんのテレビの報道で報道「されなかった」ことがネット上で話題にされていた過去の所属タレントへの性暴力も事実だろう。民事ではあれ、裁判認定もされている。きちんと裁判資料を調べてからこのブログを書こうと思ったけど、でもうまくみつけられなくて、ただ私が調べた限り、あとはもう雑誌報道だけど事実だろう。なんというかもしあのエンターテインメントの才能を彼の「欲」、むしろ純粋なそれも一環としてあった、と考えると納得いくところがあるのだ。あのこう、観客を意識したそれよりもある個人の極私的な、強い感情に突き動かされた、そういうものだったとしたらあの「トンチキ」が成り立ったのも実はそういうバランスだったんじゃないかって。これは彼のエンターテインメントに魅せられた一観客が残酷にも、(そう、「ファンタジー」を演じた「スター」のことなんか全然考えもしないで)推測するだけだけど。

 

 

だからここ最近は、人間は、どっちでもあることなんて平気であるんだなって思うようになった。つまりだれかにとって最高のプロデューサーであったり、生きがいの提供源でもある一方で、人の人生をめちゃくちゃにする「犯罪者」なんだなって。

そういう事実を「そっか...」と受け止めたところで、じゃあそういう不健全なエンターテインメントの享受を辞められるかとそんなこともないし、ジャニーさん像、、A.B.C-Zが愛していたと伝え聞く、何より私がえび担としてつらつらと通ったジャニーズ伝説で戸塚くんが演じた生き生きと初代ジャニーズと一緒に冒険をする姿が私の中から消えるわけでもない。私がこの事務所のお客さんであることが性暴力を容認するような社会構造への加担だとして、私はそれをやめられない。ほんとうにどうしようという感じ。

 

で、今年のジャニーズ伝説はそんなことを考えたあとだったから、すーーーーっごい楽しみだったんだよ、えび座だもん、えび担としてすっごい楽しみだった、だけどほんのすこし、「どうしよう」って思いがあった。

 

特に1回目の興奮がさめて、2回目に見たあとに。

なんか、やっぱりどうしても考え込んでしまった。

 

あーこれ、全裸監督とおんなじエンタメなのかも、と。

ネトフリの全裸監督は、モデルとなった女優さんはのちに訴えているんだよね、暴力があったと。でもそれを本人の許可も得ないで映像化して、「ショー」へと仕立て上げたことが批判されている。

 

中谷さんの「暴露本」が真実ならば、ジャニーズ伝説だってそうやってジャニーさんの側から示されたストーリーを美談にして本人の同意なしに(ここ推測)「ショー」にしているのではないかって。

 

そして、どどーーんと映像に出てくるあおい輝彦がその「ショー」に出演していることも、そう、そうやって「ファンタジー」の一部で今なお居続けることも、脈々と受け継がれて大木になったジャニーズ精神なんじゃないかって思っちゃうくらい。

 

いや、こんなことは劇場から出て72時間以上経って考えたことなんだけど。

 

 

 

で、最近、パンフレット読み直すと「河合は中谷って最初から言われてたんですよ~なんでかわからないけど」ってあって、あ、もしこれが偶然や直感以上の何かだったら....ともう思っちゃったんだよね~~~。もうこれは思ってしまうとどうしようも消せないもんで。

これは、どうしようもない人間の欲かもしれないって。

河合くんは、本当にジャニーズが好き。ジャニーズにあこがれて、ジャニーズを愛し、ジャニーズを「最強のファンタジー」と言ってのけ、大好きで大好きでおかしくなりそうなほどその大好きさゆえに強くって、自分もよろこんでジャニーズの「ショー」をやるジャニーズ大好きジャニーズ。

そんな河合くんに、その役を当てたのは、あの河合くんの最強の愛に過去をキラキラのファンタジーで染め直してほしかった..?

 

 

 

 

 

怒らないよ。いやイライラはしてるんだけど。

私の政治信条からしたらガン切れなんでしょうけど、あいにく私はこの「ファンタジー」を完成させる共犯者こと観客なので。

 

河合くん演じる中谷が電報を受け取るシーンが好きなの。

あの残酷なシーン、実際に電報を受けた人が誰なのかはわからないけどあのシーンで「河合演じる」中谷が電報を受け取るのはわざとだろうなって。河合くんはA.B.C-Zでリーダー「的」な、そういうところがあって、あれを全米デビューを前に興奮する仲間に伝える役割は河合くんなんだろうな、と。

 

あそこで中谷は言うでしょ。「日本で大勢のファンが俺らを待ってる」って。あのセリフが好きなの。ジャニーズは別にもっと早く海外にもう一回出ていってもよかったんだよ、今のグローバル化とかデジタルな時代とか待たなくても。でもなんとなーくドメスティックな会社であり続けたのは、ここ日本にファンがたくさんいたからなんじゃないか、一エンターテイナーとしての成り上がりの「成功」以上に、この土地で頂点を極め、この土地のファンを魅了することを選択した歴史的瞬間でもあったんじゃないかってなんとなく思うあのシーン。

それを河合くんが演じていることが好きなの。わたし河合担。

 

 

だから(この順接おかしい気がするけど)怒らない。その配役には怒らないよ。

 

でも、今年私は、この物語は物語だと、ちょっぴりリアルが入った「ファンタジー」だと強く噛みしめたい。

そうやって線を引いたら、この「ジャニーズ伝説」を愛したまま、そして「ファンタジー」を演じる「スター」たる河合くんに敬意を示したまま、リアルを見つめてもう一度、別のこととして批判できるような気がするから。まずは、その、かつては野球チームの監督だった人物を。

 

そして「ファンタジー」という光、圧倒的な光によって過去を塗りつぶしてしまわぬように、その光の暴力性を見失わぬように、、、、私に何ができるんだろう。

この物語を愛してしまうことは、その塗りつぶしに抗うことと両立できないんだろうか。

 

 

 

2幕。

泣けた。

 

舞台は、身体そのものの存在が語るでしょ。

A.B.C-Zが、これこそジャニーズの正史だろって勢いであらゆる楽曲を披露し歌い踊るその体の使いかた、立ち方、走り方、、、全部全部が彼らが「ジャニーズ」たる証明で。血が体に染みついていて。

 

舞台に立つこと。魅せること。ショーをすること。

この圧倒的な「ファンタジー」の中でここまでのパフォーマンスをすることが逆説的に彼らがリアルに存在することを証明するような圧巻のステージ。

 

5Starは、もはや理由なく感動する。

 

 

 

 

 

そうじゃない血があることを忘れないことも、一つジャニオタにできることなのかな....。

つまり、ジャニーズファミリーをつなぐ、血。脈々と流れる血。例の「家族葬」に出席した面々の。

 

その血ではなくなった人がいるからこそ成り立つ、「正史」としての「ファンタジー

 

 

 

 

陳腐だなぁ~~~~~、共犯者に「対話」も「忘れない」も言っていいセリフじゃないような気はするんだよ....。

 

 

 

 

 

 

事実として、私は「ジャニーズ伝説」を愛してる。

この舞台はジャニーさんがA.B.C-Zに残してくれた宝物だと思う。だからA.B.C-Zのファンとしてありがとう、ジャニーさん。それがあなたのある種の願望の産物でも、あなたの欲望は多くの観客に愛されました。

 

 

あなたが稽古場にも、そして私たちと同じ、あのアコヤ貝の天井の下、観客席にいない今。

私はそろそろこのフェアリーテイルを一度閉じてみるというのもまたどうでしょう?というくらいのことは、お客さんとして言ってみようかな。

 

 

 

 

ってか、そもそも必要以上のことは詮索しないのがこの「ファンタジー」のお客さんのマナーだって、自分でブログの最初に書いたのに、無粋な真似をしましたね。でもこれもまた、ヒリヒリするような私たち「ファン」と「アイドル」の関係でしょう?

 

 

 

 

だからそういうところだってば。