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プリライ3rd, 4th, 5th感想メモ

 

プリライを見た感想をメモしていくよ~~~!!

画像だけじゃなくテキストデータにしておきます。




マジLOVELIVE 3rd STAGE
・2000%
鈴村さんと宮野さんめっちゃ楽しそう~~~~
・ポワゾンKiss
わ~~~~~~~テンション上がる~
めっちゃ踊るんだな.... カルナイすごい(語彙力)
・ご挨拶
待って!!??横アリを横に使ってる!???横アリって縦以外に使うの?
J社のステージ使いに慣れ過ぎて新鮮すぎる...。他の事務所って横にも使うん?
下野さんなのか翔くんなのかの「おい~~~~~っす」is 何?すごい楽しい。
アレじゃん、ライブお馴染みのご挨拶みたいな。男性ファンがいる下野さん。
神宮寺財閥が所有している横浜アリーナ
カルナイキャストのみなさんの口上、オタクをメロメロにする力がすごい。
「愚民って言われて喜ぶな!」のくだり、最高。あんなんされたら盛り上がるに決まってる。
タジタジする蒼井さんに「藍~~~!」の下野さん、いいな。
まさかの先生たちも来るんだ!!????
・カノン
カノン、そんなにエッチな歌じゃないはずなのに宮野さんが座り込んだり腰使ったりするから
「あれエッチな曲だっけ?」となる。
・SMILE MAGIC
「みんな行くよ!」良すぎ.........幻覚が見える.....音也.....
必ずしも短パンキャラじゃない人も短パンなの、2013年を感じる。
・BRIGHT ROAD
ギャーーーーBRIGHT ROAD!!!!今ハマってます!(2023年)
ってかフルサイズが基本なのすごいな...。
テンポ感や繋ぎよりも楽曲としての一粒一粒を強調する構成。それがシャイニング事務所。
シリウスへの誓い
プロに失礼だとはわかってるんですが...歌、うっっっま!!!!!!やば。
シンプルであればあるほどそれが目立つ...。
・恋桜
天才か!!!!!!????????????天才だな。
そもそも恋桜で殺陣やろうってのも天才なのに、このシンプルな前の曲との対比でゴリゴリ演出するのギャップやば。
偶然なのか故意かSMILE MAGICの残骸が桜の花びらみたいに残ってるのもいいな...
鈴村さん、生き生きしてるな~~~~~!!!
シャイニング事務所、あんまりトンチキ演出やらなそうだけどプリライで真斗曲でこれが実現したのやばすぎる。
トンチキ殺陣演出好きすぎる。
絶対零度Emotion
今度はマジェ棒持って出てきた~~~~!!??????
すごいな、楽曲魅せからのメリハリ。
失礼かもしれないけど、前野さんの"ちょっと頑張ってる感"愛おしい。
と、思ってたら1番サビ終わりから何か掴んだ!??何か掴んで「カミュ」り始めたぞ!!????
・MC
一戦交える鈴村さんと前野さん
ダンス初挑戦だったんだ!!??あんな躍っておいて?タツさん。
やっぱ横アリの横使用特殊だよね!?よかったよかったキャストからもツッコみ入った。
・溺愛テンプテーション
マラカス持って出てきた!!???この曲、アガる~~~!!
客煽りうっま!!「ちょいダサ」が「最強かっこいい」に化ける瞬間を体現してるな...。
・オレンジラプソディ
諏訪部さんは話し出す前の間で既にレンちゃんの色気を演出してるのどういう技術?
「みなさんが静かになるのに3秒かかったよ」って言いだすエッチな校長から学んだ?
アニメのエピソードもあって大きい会場でオレンジの光に包まれて披露するの、最高すぎる....
・星のファンタジア
優しい演出だ~~~。レーザーですら優しい...。綺麗だな...。
鳥海さんが上を見上げているのいいな。演出のセシルみがすごくいい。
・CRYSTAL TIME
歌声響かせて、踊って、ファンサして贅沢だな...。
他の方もだけどこの運動量でこれだけ生歌やってるのすごい...選ばれたアイドルしかできない生歌。
・Winter Blossom
なんだこのライブ、歌唱力お化けがゴロゴロ出てくるぞ!?
雲海に佇む蒼井翔太さん、いくらなんでも奇跡の存在すぎるだろ...。
待って.......初めてこの曲フルで聞いてしまってるんだけど藍√やばくない....?
すごいドラマチックなんだけど....「ありがとう」......
・TRUE WING
そっか!?下野さんのタオルは前の曲のオタクの涙を拭うためのタオルなのか!??
前曲の情緒をぶった切って会場を下野色に...翔くんの色に染めていく力...
持ち上げられる振付を考えた人に金一封贈りたい...。
・MC
10年近い時を経て「DVDを見ている人~」と諏訪部さんからのファンサを受け取る私(2023)。
宮野さんも蒼井→下野の流れを突っ込まざるを得ない。
マラカスを贈るオタク、強ぇ.......
蒼井くんが話すたびに叫び厨がいるのウケるw次のカルナイの映画の藍パートはえっぐい叫びが聞こえるULTILA
高度なペンラ芸を要求する宮野さん(トキヤ!藍ちゃん!翔!)
蒼井翔太......可愛い........(大の字)(降参)
冷静に考えて横浜に前乗りしてるの意味不明で最高だな
・映像
ギャーーーー!!!!!!!!!春歌ちゃん~~~~~~~~~~~~!!
ハルカナナミ神の声が降ってくる世界..... 春歌ちゃんに告白されたちゃった...
・Hyper×Super Lover
イントロが大勝利...最高すぎて最高裁...
「れいちゃんいくよ!」最高すぎる...音也の声じゃん...(そうです)
ワァ...CDを初めて聞いた時にやりたかったC&Rがここに!!!
・恋色センチメンタル
ビックバンとともに生まれ出る鳥さんとタツさん
いや、デュエットで背中合わせはずるいですって...全世界が好きなやつだもん
鳥海さんとタツさん、全然ノリが違うのにマッチしてて綺麗なパフォーマンスになってるのたまらない
・Beautiful Love
エッ...蒼井翔太さんかわいい...
3人でハイタッチ可愛い~~~~~ んあ~~~かわいい~~~(ゴロゴロ)
最早声優さんへの感想だけど鈴村さんも髪型が素敵でかっこいいですね...
んあ~~~~~~藍川翔の花道移動いつか本人で見てみたい~~~~
・Baby My Strawberry
一気にアダルトに!!!??????
私、この曲のレンとカミュのパフォーマンスを知ってる世界に生きてるのやばくない?
2013年のオタク~~~~~!!2023年やばいよ~~~!!!
・Still Still Still
歌唱力天下一武道会 歌の☆暴力さまっ♪
なんか途中でOhとかAhとか入るのすごい(ド素人の感想)
・Shining Star Xmas
わ~~~ミニキャラが出てるの可愛い...。
待て待てアニメしか見てなかった頃と違って今マスターコースの歌割は解像度が違うな...。

・QURTET★NIGHT
くぅ~~~~~~~~~~~~~~(全身の血が沸き立つ)
かっけぇ~~~~~~~~~~!!!
本当にこの曲好きなんだよな...。オタクのコールも眼球の血管が切れてるのがよくわかる。
達央...
この曲、天才すぎる ほんと無理 好き 死ぬ
・夢追い人へのSymphony
ぐぅわあああいい曲~~~~~~~~
入りの聖川さんの歌声がさぁ.....
あああああああああああ諏訪部さんんんんんんんん「俺たちは隣にいるよ」
・MC
うたプのオタクが「鈴村はん」って呼ぶのここなん!!??
スタリおじさんたちはスタリおじさん独特のノリが維持されてる なぞのキャラすぎる
諏訪部「みんな気をつけろ!犯罪とかおかすなよ!」(正しいツッコミすぎる)
横アリで下野!コールされる声優。マジで下手なアイドルよりもずっとすごいよ。
・マジLOVE1000%-Rainbow Star ver.ー
このイントロの力、強い......。
マスターコースでトロッコ乗ってるのか!いいトロッコの使い方だ...。
アンコールなのになんかハモってる?すごいな...。
藍ちゃんによる「はい、翔の番!」
ああああああ全部いいな.....キャラ台詞、全部いい.....(塵になって消える)
ワッ........最後にWelcome to~がかかるの、あまりにいいな。
こんなに本気で名残惜しそうな幕切れって存在するんだ…。

わ~~~~~~~友ちゃん~~~~~!!!!

いやぁ...楽しかった!!!!!!

 

 

プリライ4th

・オープニング
おっモニターちょっと大きくなった?予算アップか?
注意事項メンバーからなのありがてぇ~!!盗撮するレディはいない件。
翔がしゃべった瞬間、「ギィヤァアア」で1人死んだな
・マスカレードミラージュ
そんなことある!!!!!!????????一曲目で??
セトリ当てダービー当てた人、今すぐ万馬券買いに行きなよ。
第二パート以降の選曲じゃん...。
ええええええええええええステージ上の早替えもやっちゃうんですか!?声優さん!?
なんかスケールアップしてない???全体的に予算増
よく見たら男性ダンサーしかいない?のもアイドルっぽくていいな。
蒼井さんの透明感のある歌声はもちろん時々がなるような歌い方するのもカッコイイな...
・天下無敵の忍び道
いや、だからこのセトリはBパート以降だろ!?
冒頭から全力シャイニングマジカルボール投球すぎる...
和トンチキで情操教育受けてきた人間には刺さりすぎる!!!!
聖川さんのオタクなので3rdに続き真斗くんのいる曲でありがたいな。聖川さんにワイヤーつけるシャニジュの妄想してぇ。
待て待て大好きだよ特効の無駄遣い!!
2曲目なのに特効と機構とステージを使い果たすつもりの忍び道チーム。
フライングって2曲目でやるんですか???中盤曲のモリモリ具合だろ。
・JOKER TRAP
まだ機構残ってた!?登場の手数を増やしてるのやっば 1年2か月で何があった?
背景の映像もアニメ映像やゲームスチルのスライドショーじゃなくて発注かなりかけてるな
・MC
3曲のカロリーがえぐすぎて「ようこそ!」のテンションじゃないのよ
忍者かわいすぎる.....おじさんたちなのに...
「かわいいだけじゃねえか!!」それはそう。蒼井翔太かわいい。
キャスト同士の関係性の深化なのかテコ入れされたのかMCのテンポも聞きやすくなってるな。
「などと言うと思ったかこの愚民ども!」大好きすぎる。虐げられてぇ~~!!!!
軽蔑して♡(うちわ)
前野さん、「カミュ」ることにためらいがなくなってますます極められてる...
今回は繋ぎの映像部分も先生じゃなくて本人ナレなのか。
聖川「俺も一度声掛けをやってみたかった」そうなんだ...!!(感激)
・コズミックRUNNER
一番手が下野さん演じる翔なの、あまりにも大正解すぎる。
なんというか緊張感もあるし、そこを最初に突破できるという。
っていうかフツーにテレビサイズくらい歌ってるのにメドレー扱いなの、シャニ所のフルサイズへのこだわりすご。
このサイズがライブのフツーでは....?台詞言ってる間、得意楽器の曲なのいいな。
・騎士のKissは雪より優しく
掛け合い入るのか!というか今回はこの曲つなぎなのか。
曲つなぎ気になる勢としては、工夫が感じられていいな~
まーっすぐステージに立って歌を届けてくれる演出、いいな。ありがとう鈴村さん。
・AURORA
真斗も好きなカミュ先輩の曲。
前野さんの”頑張ってる感”の愛おしさと、ピタリと何かがハマって"カミュ"な時があるな。
演劇みたい...見た目が違くても、そう見えるっていう。
・RED×HOT LOVE MINDS
バロンに話しかけるレンちゃん~~~~!!!
前の曲のカミュ先輩も思ったけど、これだけ「音楽で伝える」が重要な世界でわざわざ英語とはいえ台詞が入るって
よっぽどそのまま伝えたいメッセージなんだなって改めて。
・TRUST MY DREAM
寺島さん、何か掴みましたね!!!??なんか寺島拓篤2.0じゃん。
ダンスめっちゃパワーアップしてる!?ダンサーの使い方、掛け声、「音也がやりそう」すぎる
・愛と夢とアナタと
手紙書いてきたセシルちゃん~~~~
ちょっと熱が入る歌いっぷりいいな
・愛しき人へ
帽子からマラカス出てきたのはどういう演出.....??ゲームやったらわかる?
ゲームやったら戻ってくるね......。
・WILD SOUL
袖がない衣装、似合いすぎ。わかる袖ないよな。
アッ、スギちゃんでWILDってこと!!!???いや待って2015年ってどの時代?いや絶対違うな。
アツいな~~~!!
・星屑Shall we danse
トキヤの前口上、め~~~~~~~っちゃトキヤ。
わかるペンラ芸をオタクに求めてその後でろでろに甘やかしてくれるやつ。(会場のオタク!アァ~に笑わないの!!)
ゲームを再現してくれる宮野さん。
・A.I
藍先輩のセリフの最中、オタクが握りしめてるペンライトが映るの、すごくいいな。
その光に、愛がこもってるんだよね。
もしかしてこれもゲームエンディングのセリフなのか!??????
待ってDVDのカット、気合入りまくり編集か?
オレンジの照明、下からスポットライトを浴びるカット...情緒的で詩的な編集すぎる。
蒼井翔太さん最後のやつなに!!??わかった黙ってゲームやるね!!
・サザンクロス恋唄
那月くんから藍ちゃんにメッセージなの良すぎる。
谷山さん、立ってるだけでカリスマ性があるの、ずるい。
歌うまコンボが止まらなくてオタクのライフはもう残ってないのよ!!!
・メッセージ
そっかクラ組が始めと終わりだったメドレーだったのか!なんかエモだな..。
先輩方!!!!!?????
BパートとCパートのつなぎは短めでスムーズ
・キスはウインクで
現場にいないからレーザーの総量わかんないけど、嶺二先輩=レーザー中毒のイメージある!!
バッキバッキゴリッゴリのレーザーで焼き尽くしてくれ~~~~~~!!
あ~~~ん最高!!!踊り狂って記憶なくしたい曲~~~~!!
・純潔なる愛
前野さん~~~~~~~!!!
「人生で一度だけ恋に膝をつく」で膝をついた.....
鐘とステンドグラスの映像、意味深...(ゲームやろうね)
・Not Bad
男らしさゴリゴリの曲で歌詞が太めのフォントでメインモニターに出てるの超~~~~好き(明朝体Rap育ち)
黒崎さん曲の、音楽そのものの黒崎さんらしさはもちろんとしてダンサブルでありながら客も巻き込んでバランスいいな...
HEY!!!!!!!!!(喉を枯らす)
・二人のモノグラム
ポップアップ~~~~~!!高い~~~~とんだ~~~!
そうだよな...藍さん曲、泣かせバラードだけじゃなく踊れる曲も結構あるんだよな...
「教育してあげる」!!???
「大好き」!!????
・マリアージュ
うあああああああああああああああ
待て待て無理無理マリアージュ大好きだから待ってそんなこんなスムーズに後ろから出てくるなんて聞いてない!?
ああああああああああ花道移動カルナイキャスト強い~~~~
花道移動移動ほど「風格」が出る瞬間ってないじゃん!!?????マリアージュでメンステからセンステ行くんですか?
きゃあああああああああああ二番初めて聞いちゃった!!???あああああああああ
あああああああああああああああ4人で中を向いた!!???手を合わせて!!!???
シャボン玉綺麗...... 死ぬ前に見る走馬灯に絶対入れたい景色、頼むぜ私の脳みそ
・MC(カルナイ)
ライブでメンバーに強めに来られるの大好きだからカルナイキャストの煽りたまらん...。
「愚民」ってどんなファンネームだよって思ってたけどこれはもう愚民にならざるを得ない。
「愚民www」って思ってた私が誰よりも愚民だった.....。心のペンラを即水色にしている。
躍りに前向きすぎるカルナイキャストのみなさん。
おみじゅ飲む蒼井翔太きゅんかわいいねぇ~(きもオタの感想)
プリライのバミリはアルファベットなんだ!!??なんかの二次創作に生かそ!!
もしかしてうたプリのオタクってMC中も立ちっぱなし...?MC座り文化ないのか。
「手加減なしでいく」いいですね~~LOVE BATTLEだからね、ライブはね!
・☆YELL☆
ノリノリ曲~~~!!うわあああああなっちゃんがああやって出てきたらやばいな...。
谷山さん僅かにステップ踏んでるじゃん!!!!!!
盛り上がらないとさっちゃんが出る...!!??
誰?さっちゃん???谷山紀章!!????楽しいからなんでもいっか!!☆
・FREEDOM
4th、モニターもダンサーの使い方も贅沢でいいなぁ...。
全力でレン感を出してくださる諏訪部さんに感謝が止まらないぜ...!
本物のレンちゃんはこのダンサーたちくらい踊りそう~
・HORIZON
風船から登場~~~~~~!!!!!!!好き~~~!
このへんの曲はスタリちゃん達もゲームやってないから解像度が、泣
でも寺島拓篤が覚醒してることはわかる。
宮野さんはさておき寺島さんはフツーの声優さんだよね!?めちゃ踊るやん
あ~~~~メンステからバクステ方面に真っすぐ伸びるHORIZONのような照明~~~~~~
参戦した人にとって一生忘れられない線だろうな。
下手で終わるのも、まるで太陽みたいだ。
・Sanctuary
青い光の海とスモーク、似合いすぎ...。
真斗くん......... なぜだろう。鈴村さんなのに「真斗くん...」と言いたくなる。
このオレンジの照明は意味深じゃない!??(ゲームやりましょう)
ここでハートが降ってくるの、素敵。
なんかシンプルに歌を届けて目線で表現しようとしてくれてるの、ありがたいな。
・Happiness
「イイですか?」オタク「キャー―――!!」いいよね、こういう鉄板。
布出てきた~~今回は演出の手数が多いな~
スモークの中に消えていくの最高~!
・independence
宮野先生、踊りのキレが違う...
この曲めちゃくちゃカッコイイのにオタクになったばっかりの時にフォロワーがペンギンのツイートを教えてくれたせいでペンギンのイメージがすごいんだよな。
宮野「(半分脱ぐ)」オタク「キャー――!」この鉄板がいいのよ
この魂のパフォーマンスを見るとトキヤがどうやってこの曲を生み出したのか益々気になる
・CHALLENGE
タオルキャラの下野さん
よく鍛えられたオタクたちC&Rが上手
Wake Upのフォントのダサさ、すごい安心する。ライブにダサフォントは欠かせないから...(性癖)
キングダムも冒頭の名前紹介ダサフォントにすっごい興奮したくらいダサフォントが好きだよ(癖)
いやいやこんなデカいリフターをセンステに仕込んでたんか~い!!!
リフターからのサインボール投げはアイドルだな~~!!
・MC
「おチビちゃんかっこよかったよ」「翔よくやりましたね」Sクラ~~~!
聖川「いいぞ来栖」←これはラジオのノリ
四ノ宮「そのままハケて~」←中の谷山さんの意向が強すぎる
カルナイMCにジェラってるスタリおじさん、すっごい愛おしい...。
出た~~!!横アリアーティストの話~~!そっか、うたプリも刻まれているのか...。
真斗の「ふぉ~(?)」愛おしいな.....
変幻自在に寺島さんが音也出してくるからドキドキしちゃうな
忍び道チームは本当に忍者が楽しかったんだな... 7人フライング見たい
ずっと言い忘れてたけどみんなリングライトつけてるのが、アレで変身してるみたい アレでプリンスになれるんだね
急にルーレット来るやん!!!!!!!あああああああああああ レン「やれやれ」
ゲスプリwwwwwwwwwwwwwww
うたプリのオタク、ペンラ芸と下野さん煽り芸が上手すぎるよ...真っピンクじゃん...
才能あふれる即興ソング
・マジLOVE2000%
楽しい~~~!!!
結構アニメの振付やってる~~~~!!!!
くぅ~~~~C&Rめっちゃ楽しそう~~~~~~~~~!!!!
・MC
下野を渡さないぞ!のスタリおじさんたち
また鈴村さんが謎のキャラに!笑 うたプリ情報部
マジLOVEレボリューションズのタイトルが決まった瞬間なのか!カルナイもシングル!
セシルさんのお声で「愚民よ!」キャー――!!!
4thまで来たら一生来栖翔とやっていくことになるっていうお話は感動的だな...。
なんか前回よりパフォーマンスのレベルが上がったからスピーチの湿度が上がってるな...
「みんなの力でダムを決壊させてくれ」が愛の言葉になる素晴らしいアイドル
みなさん都内住みだよね?横浜公演なのに泊まりなんだ!?予算!?まぁ前回前乗りしてたもんな...
諏訪部さんがいちいちレンちゃんの独特のあだ名でキャラを呼んで挨拶を回してるのが最高...
音也「赤色だいすき!」←良~~~~~~~~~~泣
エッエッ!!???GOLDEN STARってアニメ先行だったの!!??へ~~!
・GOLDEN STAR
3期の先行カットが!!!!
2番、こんなエモエモな先輩後輩の歌詞だったんだ...シャニ所の社歌じゃん
ライブ終盤で歌うとすごいいい感じだ...
何気ない瞬間もマスターコースのキャスト同士でつるんでる~~~泣

・マジLOVE1000%(アンコール)
Tシャツお着換えトロッコ登場アンコール~~~~~ぅ!(アイドルライブのパブロフの犬
えぐい量の風船w
「男気全開~♪」「オリオン越えて~♪」のアレンジっぷりよ!!
シャイニングダンサーズのご紹介があるのも素敵!
タツアの最後にマイク通さない挨拶、「あるある~」って思ってたけどプリライの系譜か!
全然ハケない名残惜しいみなさん 
心の距離近くなった結果、すっごいわちゃわちゃするやん!生身の成人男性!!
・最後のアナウンス
「遠足は帰るまで遠足」的なことを伯爵ボイスでおっしゃるカミュ

 

 

 

プリライ5th
・the dice are cast
良すぎ(白目)
なんか背景のアニメもちょっとライブ用に作り替えた?
てかスーパー踊るやん…すごい踊る…
そしてこれが例の骨折回なのか
マジLOVEレボリューションズ
今回はカルナイが白、スタリが黒っぽい衣装なのか…
ガォーみたいな振り付け、とても可愛い 

・MC
ロックなお医者さん
3rdと4thを経て「愚民」をいただかないと満足できない身体だよ私は
なんか3rdくらいは蒼井さんがタジタジしていて下野さんが「藍~~~!」ってフォローしてた所あったけど、いつのまにか美風藍を乗りこなしている蒼井さん。

・カルナイのVTR
「マッチョッチョ」という煽り(ツッコミ待ち)からの「ロックだぜ」の二段オチは高度過ぎ。想像してなかった。
「おー!」なの、ちょっとかわいい。

・月明かりのdearest 
振り付け可愛いというか物語性がある…蒼井さん演じる藍さんはすごく情緒的で演劇的だ
前野さん、パワーアップが著しいな!?カミュるのどんどんお上手に
待て待て待てデュエット曲で背中合わせだなんてそんなん最強カードじゃん?3曲目で切っていいカードなの?
藍さんのパフォーマンス中の立ち方とか指とか視線の使い方が好きすぎてSSSでカルナイ曲はラベンダー色にしてたんですけど、アニメでのパフォーマンスがそんなに多くない中でその辺の身のこなしは蒼井さんが開発した説ある....?
・RISE AGAIN 
アーーーーッ腕が使えないことで合法的に!!合法的に!!デュエット曲を一本のマイクで歌うやつが発生してる!!!
大雨でマイクが死んだ時以外でもこのオタク大好きショットを拝めるんですね、ありがてぇ…
・Innocent Wind
冒頭で腰に巻いてたスカートみたいなの外したのめっちゃいい フェミニン路線よりもマスキュリンに寄せます宣言か?(MCでそれっぽいこと言ってた)
ほんと〜〜蒼井さん演じる藍さん、すごくエモーショナル 指先の一つ一つまで 誰よりも情緒的 これで本当に「感情がわからない?」みたいな話を藍さんはするんですか…だからこそなんですか…
演劇的でもあり……とか言ってたらラスト何!!!!???ラスト!!!!???どういうこと!!!!!わぁああああああ
一曲の物語がデカいんよ
・ONLY ONE 
待て待て これはあの、藍さんの余韻が残ってるので本当に待っての方
センターステージに鈴木さんが戻った時の下手のダンサーさんの顔が、こう、「うちの蘭丸が戻ってきましたよ」顔でとてもいい。4thの舞台裏でも「チーム蘭丸行くぞー」って言ってたけどたぶんそういうことやってたんだろうな、の顔をダンサーさんがしてた
鈴木さんの蘭丸さん見てると、カラアゲを無理してでも回数増やして「暴れるゴリラ」を見たかったな...の後悔。
・NEVER…
アッ!なんだかんだ言って春歌ちゃんに告白してた曲だ!!!!!!!!
2番に物語がある....森久保さんの表情....
今回、カメラワークが格段に良くなっている…観覧車前でどーんと抜く映像になるの、良すぎ
・Saintly territory 
アーーーーッ例のタワー!!!!!!すごい!!!!マジ!!?本当にタワーの上から!!!マントを!!!!!ひらひらさせて!!!!!!来た!!!!!!
まさかタワー再現とは…
タワー再現だけでひっくり返ってたのにマジェ棒演出までしてくださるんですか!?いいんですか!!そんなに!!いただいてしまって!!?
・ポワゾンKiss
ここまでで既にめちゃ強いのに4人揃ってもうそんなの最&強じゃん
藍さん「跪きなよ」
私「今までの人生でMの自覚無かったんですけど、カルナイに出会ってからもしかしたらMなのかもって...。」
フォロワー「Mの自覚持って生きてる人多くないと思います。」
・エボリューションイヴ
良すぎか………(天を仰いで)
カルナイ、花道移動、破壊力(自由律俳句)
「友と呼べる日はまだ遠いけれど」のところで真ん中に手を伸ばしてぐるぐるするの、いくらなんでもエモすぎる…
・MC
玉出身れいちゃん、NACK5の番組持ってて「この後は交通情報です」って言って欲しい~(突然の妄想)
愚民スタンプとマッチョッチョスタンプの汎用性はキャストも認めるところなのか…
前野さんと蒼井さんのやりとり、可愛すぎるだろ…「前野さんって目青いんですか?」
まさかの中の人による蘭丸と藍の会話の二次創作が存在するだと!?
アツい……アツいな…カルナイキャスト陣……良い…… 
「カルナイLINE」って響きがもう良い
もしかして蒼井翔太さんを産んだママたちなの?あっおじいちゃんもいるの?

ポラリス
最初からずっと鳥海さんがお痩せになられているのが気になるけどダイエットとのことで安心した
宮野さんの髪型がとても素敵
ドラマCDめっちゃ好きなんだよな…セシルアイジマが特に……
・Pirates of the frontier 
鈴木さん骨折により余計に海賊感出ている
白い悪魔、衣装良すぎでは?「ソレ」じゃん
恋桜振り二度目のチャンバラ
ワーーーーッ撃ったーーーーーー!!!
ライブ用に演出されて間奏が長いの大好き侍
なんかもう衣装と殺陣だけですごいのに撃ったり、なんか一曲に2〜3ネタ仕込むのが当然になってて怖い…すごいぞ…
・Bloody Shadow 
蒼井翔太さん、美しすぎない?襟の開き具合とかカラコンとかアイレス感やっっば
鈴村さん、全力で真斗しつつも2点吊りの喜びを隠しきれないご様子。とてもいい。鈴村さんの幸せは私の幸せです。
マサフェリー、味の濃い人だったな...。
・エヴリィBuddy
いや下野紘前髪上げ来栖翔リスペクトめっっっっっちゃ可愛いな!!!!!!?
森久保さんガチ運転!?器用すぎん!?歌って演技して運転するの!!?すご!!!
車登場だけでインパクトものすごいのに、警官コスのダンサーさんとの印象的な総踊りまで……マジで一曲に何個も展開があるのがレベルアップを物語っている
下野さんと森久保さんのハマりが良すぎてむしろ下野紘森久保祥太郎でこのドラマ見たことある気がしてきたが!?

・MC
オタクに語り掛けるのではなく流れでお互いにお喋りする御曹司が好き
トキヤのビジュアルが姫すぎて「トキヤ姫すぎる!!!!?????」となった
あと翔くんが海賊みたいな帽子なのは何故...。

・シャイン
宮野さんファンサ過多〜!!!ありがとうございます〜!
「洪水中」ってうちわが見えて爆笑した ダムってことだよね?「洪水」「決壊」ってうちわがあるコンサート、天才(特定のアイドルにしか使えないうちわ大好きマン)
・The New World 
はわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜良〜〜〜〜(ひっくり返りながら)
踊らないとか言われてるけどこれはこれで四ノ宮さんの世界観なんだよな 楽器の音と歌声で魅せてくるなんて四ノ宮さんリスペクトじゃなきゃできないことだよ
台詞、現場では溜めて言うのかと思いきやむしろ性急に言っていてとても良い
・木漏れ日ダイヤモンド
弾き語り!!!!!!!????
初挑戦!!!!?????
やって出来るものなのか!!!??すっご…
寺島さんの「見た目は寺島のまま音也を降臨させる力」がとんでもないんよ…
・EMOTIONAL LIFE 
このアニメの回すごい好き……
後々のMCでここの振り付けを再現させられる谷山さんとても良かった
谷山さんは立ってるだけでカリスマ性があるのが本当に素晴らしい
・Mellow×2 Chu
キターーーーーーーーーー!!!!!
ドットイメージ、このくらいの時期に流行った演出のイメージある。
FREEDOMもだけど諏訪部さん自身の動きを抑えつつダンサーを利用してレンのやりそうな感じを出してるのがすごいな。
それにしてもこの曲、コミックソングじゃなくかっこよくできる神宮寺レンさんの力量よ...
・すべてを歌に!
下野さんだけなぜか早送りみたいな動きをしてる
アニマル癒し映像とかについてる「トコトコ」「ぴょこぴょこ」みたいな効果音聞こえるの私だけ???
可愛い......すんごい可愛いよ下野さん......
アーーーーーッついに二点吊りで回った!!
横のシャイニングジュニアがワイヤーセッティングしてるのも萌える。
・GREEN AMBITION
同じドットイメージでもかなり低く下ろしてきて魔法みたいにするのがセシルだなぁ。
セシルさんは私の中の知らない部分を刺激するのでなんと言っていいのかわからん気持ちで悶えてた
セシルさん~~~~~~~~
・Code:TVU
この回のアニメ良かったよね...の話をした
最後3人でポーズするところがすき
・SECRET LOVER
椅子出た~~~~!!!椅子パフォーマンスアイドルっぽい~~~~!!!
椅子だけじゃなくステッキまで!!
もう一曲に2展開がデフォになっちゃってるのよ...
・静炎ブレイブハート
はわ~~~~~~~ッ!!!!ライブ映え楽曲ぅ~~~~~!
Blaze!!
特効の炎も青でいい...。炎色反応で青って何だっけ?受験後忘れた知識の代表。
声援が静炎になるからね....。
・ORIGINAL REASONANCE
ピアノ~~~~~~!!例の音楽番組だ!!ネオドリーム音楽祭!!!
鈴村さんがシルバー系、宮野さんがゴールド系のキラキラで違う衣装なのに、照明によって同じような色に見えて、青と紫も溶け合って歌声のハーモニーがステージ演出に見事に生かされている....。
そしてドヤ顔の「オリジナルレゾナンス」ありがとうございます。画面二分割納得です。
・マジLOVE2000%
改めて思うけどスノバラにI want you H入れたの誰!!???
鈴村さん宮野さんが楽しそうで何よりです...。
絶対にメドレーをまとめ上げられるパワーのある曲があるスターリッシュ、強い。

・MC
「たまーリッシュ」ってwwwwwwww
7人だとそこそこ大所帯なので誰かが話してるときに他の人が別の話題してたりしてわちゃわちゃ著しい。愛おしい。
下野さんはテディベアみたいで可愛い。本当にそれ。
鳥海さん発案のクップル登場はナイスアイデア
高い所好きな鈴村さんはずっとウキウキしててキラキラしていて素敵ですね。
・サンキュ
いい曲だ~~~~~~~~~
♡の降りもの、心のお手紙を紙飛行機にしてファンに届けるみたいな見た目になるのが素敵ですよね

・MC
寺島さんの音也が引っ張ってくれてできる、みたいなのいい話だな。
おーーーーーーーーっカルナイキャスト熱い.....もしかして、これは「歴史の1頁」を見てる????
「エボリューションイヴ」だと.......。「そのとき歴史が動いた」(製作著作NHK)じゃん!!!???

・GOLDEN☆STAR
何気ない歌割がゲームとかいつもの例の順番になってるところ、好き
・アンコール マジLOVE1000%
下野さんと谷山さんのアレンジwwwwww
本当にいつもみなさん名残惜しそうに帰っていくな....。
そして気が付けばいつの間にか春歌ちゃんや先生たちはいなくなって「プリンスの」ライブになって行っている...。
うたプリのイベント」という側面よりも「プリンスのライブ」へと。
あと、カルナイのメンバーって誤解されやすい性格というか言い方がキツい人が多くて、それにはきっと彼らなりの理由があるんだろうけどキツイことに変わりはない中で一番傍にああいうキャストさんたちがいるのが素敵だな、と思った。

 

 

 

 

Debut一ノ瀬トキヤ√感想

 

Debutトキヤ√感想です!!

 

 

いや~~~~~~~~苦しかったけどすっごいラブロマンスだった....。

ラブなロマンスを私はトキヤ√に感じるタイプの人間なんですけど、もう今回すごいラブで........。ちょっとこれまで他の人をやってきた感じ、Debutはラブじゃないのか?ラブよりもライフ(人生)なのか?と思ってたのに超~ラブだった....!

 

ということで、トキヤ√感想というかトキ春感想という味が強いですが、そちらご了承の上おすすみください...!

あと、冒頭は例によって(?)寿嶺二さんどうなってんの...?タイムです。

ということで簡単な目次はこんな感じ。

 

・寿さん、何があった?

・待ってました!ラブロマンス!

・「七海春歌のDebut」

・そして、シンデレラにかかった魔法は永遠になる

 

後半怒涛のトキ春です。

 

 

 

 

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トキヤ√、苦しい。

 

何が苦しいって、過去との決別ではなく現在進行形の、しかも業界特有の苦しみ(チクチク言葉?)を味わうことと、もう一人なんか寿嶺二さんも苦しそうなので、二重、三重に苦しいという独特の展開...。

マジでトキヤ√、修羅スチルが何枚かあったよね...?涙ボロボロの...。修羅スチルってなんやねん。スチルといえば胸キュンじゃないのかい!っていうのは置いておいて...。

 

ダブル苦みの一因となった寿さんの話してもいいですか?

トキヤ√の感想なのですが、ちょっとこの衝撃をどうしていいかよくわからないので冒頭は寿さんの話をします。

 

 

・寿さん、何があった?

All Starへの楽しみはとっておくべく、きっちりではないけどもなんとなーく先輩たちの核心に触れそうだな...というものは一応避けてきた。なので、「博士」と呼ばれる存在も美風藍さんに確実に関わることは知ってるものの、情報源はギャグ系二次創作あたりなので、まぁAS藍√の楽しみに....くらいに思ってたんですよ!!

 

寿さんが電話して出てきた!!!????

 

博士、Debutトキヤ√に出てきた???しかも寿さんと電話一本の仲......。

 

ということで、Debutトキヤ√をやると、寿さんは藍さんと縁が深そうな「博士」と顔見知りだしお互いなんか事情を知ってそう。その寿さんには「親友」がいて、その人は「行方不明」であるっぽい。なんか映画に関係してる。そして、その「親友」は寿さんが語るに一人称が「ボク」である。私のお題箱には、藍さんと寿さんの二人を「心友」と呼ぶという情報が入っておりまして.......。

野暮なので、これ以上は考えたくないのですが、手元のカードから推測するに、いわゆる地獄がうっすら透けて見え始めて、辛くなってしまった.......。

 

まぁ全部私の勘違いかもしれないし勝手に手元の点を無理やり線でつないでるだけかもしれないから。私の勝手な思い込み!!ハッピーハッピー!ハッピッピ!!

 

 

 

で、寿さんに何があったのかは結局はハッキリはわからないけど、私的にたまらなかった寿嶺二さんはこちら。

「人ってね、案外もろいんだよ。」

 

 

アーーーーーーーッ............25歳......................................。

 

 

確か25歳だよね?

日向先生にしろ、私が10代のときにプレイしてたら、「話を盛り上げるために人を死なせたり、行方不明にしすぎw」って思ってたと思うんですが、あの、案外、人って死にますよね。

20代半ばくらいになると、持病がなくて特に何も寿命について考えたことがなかった人も、10代のときの、仲いい人みんなで30歳になって、40歳になって、50歳になって、どんどん年取ってって無邪気に信じていられる無敵感が現実に裏切られていく(実際友情エンドのタイムカプセルを埋める3人は、未来が続いて行くことを疑っていない)。ドラマの主人公じゃなくても、意外と人は病気や事故や、あるいは自分自身で、亡くなっていく。

自分自身の大切な人はもちろん、うまいこといって偶然自分の恋人や親友は亡くならなくても、友達の恋人や友達の友達なんかが、ある日、フッといなくなる。そういう経験をしてしまうもの。

「あー、人って案外もろいんだな...」という経験が、どこかで蓄積された人の話し方を寿さんはされていた。それが、たまらなくって。ガン泣きだった...。

”みんなで30歳になる"が、当たり前に思えてた10代と、意外とそれって難しいな~の20代半ばが、トキヤと寿さんの間にはハッキリあって。

寿さんはトキヤがそうやってぽきっと折れてしまわないかをすごく気遣いながら育てていて...。

だからすっごいトキヤのことも大切にしようとしてるし、相変わらずの面倒見の良さが本当にすごい人なのに、トキヤには最初、伝わらないんだよね~~~泣

 

いや、トキヤも聡明な人だからなんとなくわかってるのかもしれないけど、寿さんは「嘘を武器にするアイドル」だよね、多分。

なんらかの哀しみが背後にありながら、どこまでだっておどけて見せる。

 

一方で、「一ノ瀬トキヤ」は嘘を武器にだけは絶対にしないアイドル。なぜなら「HAYATO」という嘘の塊を脱ぎ捨てて、あえてわざわざ「一ノ瀬トキヤ」という名前を選び、再び歌うことにこだわった男だから。

一ノ瀬トキヤのアイドルとしての輝きは、どこまでも「本当」なところにある...というか「そうであるべき」。じゃなきゃ、HAYATOを辞めた意味がない。

 

だからHAYATO辞めた直後のトキヤにとっては最悪の組み合わせ。

HAYATOもだけど、寿さんもテレビ的振る舞いが骨肉になっていて、プライベートだろうがなんだろうが隙あればおどけている。

そういう寿さんが、トキヤだからこそ余計にキツいんだろうな...。

 

トキヤ√の感想記事だからこのあたりにしておきますけど、いやぁ...寿さん、マジであのツンツントキヤを適度な距離感でサポートし、時に音也を突撃させ、ある時は春歌ちゃんを制止し、自分が悪者になることも厭わずに後輩のために奔走したうえで自分の仕事もきっちりやってる.........。マスターコース手当ちゃんと出してる???頼むよ、シャイニング事務所!!!寿さんにマスターコース手当出してね!!

 

寿さんのこと深入りして考えるとトキヤ√の感想じゃなくなっちゃいそうなので、とりあえず保留!それにしてもDebutは7人それぞれの集大成であると同時に、次回作へのプロローグというか、先輩√やりたい!と思わせる仕掛けに満ちているな...。

 

 

 

ということで、Debutトキヤ√......

 

 

トキヤ√、超~~~~~ラブロマンスだった!!!!

 

 

ラブで!!ロマンス!!!!!そしてドリーム!!!!

 

 

今の所音也√、真斗√とやってきてどちらも「乙女ゲーム(=恋愛シュミレーションゲーム)」としてはある種の「裏切り」だと感じるくらい、音也くんと真斗くんはそれぞれ自分でブレイクスルーして、恋愛だけじゃない生き方を見出していく。春歌ちゃんはずっとどこか無力感を感じて見守っていて、音也は音也の戦いがあり、真斗くんは真斗くんで「運命に甘えない」と言って恋愛にベッタベッタの人生と切り分けていく。

 

ところが、トキヤ√はゴリゴリに恋愛をやる。恋愛から絶対に離れない。それでいて、アイドルであることからも離れない。それをトキヤ自身がぶれない。

はぁ....待ってました!ラブロマンス!!恋と愛と歌の力で夢を切り開いてこそのうたプリワールド!!!!

一番弱って困っているときに、愛する人が傍にいて、道が拓けていく。これこそ、ゴリゴリのロマンスだと私は思っている訳です。だからもうね......トキヤ√、ラブロマンスだった~~~!!

 

 

トキヤは、自分自身を、そしてパートナーである春歌ちゃんを認めさせるために今まで以上にキリキリと頑張る。それで周りが見えなくなり、ミスをしては「自分の責任です」と負いこんで1人になろうとする。

それを、音也くんだったり、寿さんだったり、同期だったりが、「1人にならないで」と構い倒すシナリオ。

 

だからこそ、Debutトキヤの課題は、人を信じることとか頼ること。

 

元々芸能界で仕事をしていて、自分にも他人にも厳しい人だからこそ、恋人にすら依存しないで「自立」するというシナリオではなく、誰かに「頼る」「信頼する」「自分の弱さを認める」ことがデビューへの鍵になる。

(先輩エンドと友情エンドでは明確にトキヤが「共演者と仲良くできるようになる」「現場に馴染む」ということが書いてあって...そこだけ見るとなんかコミュ障克服ストーリーみたいだけども......。トキヤがそういう課題を乗り越えたことが明確。キャストコメントで宮野さんがツッコんでいたくらいで、笑)

 

 

それにしても、ほんと~に苦しかった。トキヤにはトキヤの事情があるとはいえ、周りの人間を信用できずにひたすら戦い続けるのはしんどい。なんていうか、トキヤ√で起こることってささやかな悪意や、ありそうな誤解、実力とは違う原理だから苦しいんだよね。音也√でくじ引きして謹慎してる「それは現実には無さそうだけど何かのメタファーね」ってのとノリが違う。

やっかまれて悪口言われるとか、オーディションに出る人は事務所から1人にしろって言われるとか、その原因が誰かの口利きなのかスポンサーの意向なのかよくわからないとか。チクチクしたものが、ずっと残るタイプの苦しさ。

さらに、自分のやり方が通用しない出来事が続く。

「一ノ瀬トキヤ」の「完璧さ」を保とうとするばかりに視野が狭くなってどんどんミスを重ねるし(マジで社長の旅行なんか裏があるに決まってるのにオーディションで頭がいっぱいで全然カメラを回さないなんてそんな初歩的なミスある?ってくらいトキヤの視野は狭くなってしまう)それだけトキヤが痛々しいほど追い詰められてる。

やっと切り抜けた!と思ったら寿さんに「ブラザーエンブレムは受け取れません」とか言い出すし.....苦笑(さすがにプレイしながら大声で「なんでだよ!!!」って言った笑)

 

 

音也は音也で一生懸命にトキヤに「俺のこと頼ってよ!」ってメッセージを伝えて馬鹿でかい感情がノンストップなんだけど、トキヤはそれをまっすぐに受け取れる状態じゃない。

 

トキヤ√8月の音也のデビュー曲の収録を見学に行ってくやしさで涙を流すスチル、いまだかつてこんなに苦しいスチルがありましたか???修羅すぎ。

スチルって胸がキュンってなったりほっこりしたりするやつじゃないの????

人生の修羅場の切り取りやないか!!!!!

「黙りなさい。仲間など今の私には必要ない。」

「友達以前に、あなたと私はライバルなのだと何度言ったら...。今の私には友情ごっこに興じる余裕はない。」

 

きっつ。音也の輝きがトキヤにとってキツすぎるターン........。

何より、この二人を見てる寿さんがトキヤは音也に相談できないことに気づいてるのが、おそらく寿さんの経験に照らしてもしんどいんじゃないか。危なっかしいというか...。

 

寿さんのこともやっぱり寿さんのことを信用できないんじゃ...ってなったり、逆に疑った自分を許せなかったり、あるいは音也のことだって、人を信じるか信じないか、頼るか頼れないかという負のループにハマる話のなかで、トキヤが負のループを脱出するところに絶対、春歌ちゃんがいる。

あんなに寿さんがしんみりと話しても、音也が叫ぶように説得してもトキヤの中ですん...と落ちて来なかったものが、春歌ちゃんと夕暮れに手を繋いで歩いたら、穏やかな時間を過ごしたら、緊張の糸がほぐれて理解できるようになる。

 

 

これだよ!!!!これがラブロマンス!!!!!

 

 

 

トキヤ√では、春歌ちゃんはヒロインの面目躍如で、きっちりトキヤを癒し、きっちり仕事をして成果を出し、トキヤのパートナーにふさわしい...それ以上ない活躍をこの「Debut」(=ヒロイン差し置いて自力で成長しがち...?)でして見せる!!

 

「願いを叶えるためなら手段を選ばない。そんな一ノ瀬さんが私は大好きです。」

 

「一番大切なのは一緒にデビューすることだから。その他は二の次でいいです」

 

トキヤをびっくりさせるほど、強い姿を見せる春歌ちゃん。(この台詞のグッズ欲しい...。)

「守られていたのは私の方かも」とこぼすほどに、トキヤ√の春歌ちゃんはこの時期のトキヤの心の支え。

この春歌ちゃんの言葉で、寿さんを信用するかしないか、そもそも信じられなかった自分が許せない問題は一回保留したうえで、進むことにする。

 

 

マジでDebutのトキヤ、本当にギリギリで信じられないくらいに視野が狭くて、必死に「一ノ瀬トキヤ」を保とうとしているのが見てて痛々しい場面が、特に対嶺二さんで多いので苦しいのだけど、春歌ちゃんの前では緊張がほどける。甘く、優しく、温かい。

そして、その時間がMy Little Little Girlに詰まっている。

 

その後、寿さんから例の「人ってね案外もろいんだよ」と人生の先輩から有難いお言葉をいただくのにトキヤは「私は折れたりしない!」と強がる。ただ、すべての事の顛末(嶺二がトキヤのために奔走していた)を知り、やっぱりどこか思うところがあったはず。さらにデビュー曲づくりも行き詰まる。

 

そんなタイミングで春歌ちゃんと影踏みしたりけんけんぱしたり!!!

うう~~~トキ春~~~泣 かわいいよ~~~!!

 

で、やっと肩の力が抜けたかと思うと、今度は音也のデビュー曲の収録を見に行ってあまりのキラキラっぷりに衝撃を受けて思わず涙も出てしまうし、またまた肩の力入りまくりの一ノ瀬さん。

 

そしてやって来ました8月6日の誕生日!!!!!

 

「わたしも一緒にもらってください。」

 

くぅ~~~~~~~~~~~~~!!!!!

いぇ~~~~~~~~~~い!!!!!!!!(ドンドンパフー!)

 

「新手のプロポーズ」いただきました。

いや~~~トキ春は公式でバースデーイベントがゲームシナリオ上とっても重要な場面に配置されてるの、マジでたまらないです。どこにお中元を出せばいいですか?

 

トキ春好きの私のテンションが上がるのは置いておくとしても、トキヤも本当にうれしそうだし、これをきっかけにしてMy Little Little Girlが提出できる状態になる。

 

こうやってトキヤが追い詰められるたびに春歌ちゃんが救ってきたからこそ、映画のオーディションに受かった!と聞いた瞬間に一瞬の空白の後に流れ出すMLLGが最高オブ最高...。ほんとこんなにシンプルな作りのノベルゲーなのに、BGMのタイミング一つでこんなに人を感動させられるんだな...。

 

さらにダメ押しのように、映画の撮影が始まり、上手くできなくて焦っているトキヤに春歌ちゃんは語り掛ける。

「でも一ノ瀬さんは自分の弱さに気づくことができたじゃないですか。」

「自分の弱さを認められた人はちゃんと強くなれるんです。」

 

ナイス春歌ちゃん!!!!

 

 

はぁ~~~!!「恋愛アドベンチャーゲーム」の名にふさわしいラブとロマンスが詰まってる。

 

 

でも、トキヤが春歌ちゃんに頼りっぱなしという話じゃない。

トキヤはずっとずっと芸能界で1人で戦ってきて、他人ではなく自分だけを信じ、自分の力だけを頼りに生き抜いてきた。その人間が、他人である春歌ちゃんに心から揺り動かされ、力を抜き、ぽきっと折れないようなしなやかな強さのきっかけを得る。

そして寿さんや音也、みんなとエンターテインメントを作っていけるような存在へとパワーアップする。

 

ただ春歌ちゃんを頼るのではなく、最初に夢をくれたのは紛れもなくトキヤ。

トキヤの支えとなる春歌ちゃんを生み出したのは、紛れもなく過去の自分の仕事「アイドル」の力。

 

 

これを突き詰めると、やっぱり「アイドルオタクの私が、好きなアイドルの作曲家になって恋しちゃった~~!!??」というよくある夢小説かよ、みたいなスタート地点からトキヤと春歌ちゃんが始まっているという「ファンとアイドル」の恋愛だってところがDebutにしてこんなに効いてくるとは.....!!??っていう感動がすごい。

 

「ファンとアイドル」の恋愛という側面が少なからずスタート地点においてはあった二人が、だからこそ春歌ちゃんがずっと「一ノ瀬さんの背中を追いかける」必要があった二人が、「公私ともにパートナー」として二人で歩くためのDebut。

 

そう考えると、トキヤ√で最後に降りかかる困難は、まさに「七海春歌のDebut」の物語と言える。

 

 

 

七海春歌の、Debut.

 

この話、春歌ちゃんの「デビュー」の話だとも思った。

というか春歌ちゃん大活躍で、トキヤと春歌の物語だからこそ、トキヤのDebutは「七海春歌のDebut」なんだ!!と。

 

 

ずっとどこかであるだろうな~と思っていた「アイドルとのツーショット流出」が満を持してトキヤ√9月で発生する。

もっとも春歌ちゃんはギリギリ現場での「説明のつく」範囲での行動だったし、関係者しかいない場所だったので、決定的なミスを犯したわけではない。トキヤだって現場での付き合いは悪いかもしれないけど、真面目に仕事をしているので完全に逆恨みや嫌がらせの類だ。でも、”そういう所”からまるで真実かのように写真は出てくる。

そういう微妙~なところがまたトキヤ√全体を流れる性善説への軽蔑を裏付けるようで、本当にいや~なシナリオなんだけど、苦笑

 

それを受けて当然にトキ春は窮地に追い込まれる。

トキヤがボロボロ泣くスチルが衝撃的で、というか音也にも泣かされてたし、本当にトキヤ心配だよ.....状態。

 

春歌ちゃんも、この事態の深刻さがわかるから(だってアイドルオタクだし)覚悟を決める。

この状況で彼の隣に立つことはできない。

 

ここの春歌ちゃんの選択は、すごくビジネスライク...ビジネス魂(たましい)に溢れている。「私が事務所にいては打てる手も限られてくる」という言い回しも含めて、「一ノ瀬トキヤ」という商品を傷つけずにいかにこの場を治めるかに優先順位を置いている。だから「彼の隣」に立つことはできない。自分が作曲家として「プロ」であることを自覚しているから、トキヤの「隣」に立つ存在だと自負しているからこそ、この判断が出てくる。

 

なのに、まるで学園に入り立ての「ファン」のようなことを自分自身にいいきかせる。

わたしは十分夢を叶えたから後は彼に託したい。

わたしの夢は、大好きなアイドルに曲を提供すること。

 

 

 

はっきり言って、「アイドルと仕事がしたい」なんて、どこにでもある話だ。

中学の先輩がこぼした将来の夢、アイドルのラジオ番組に送られたメール、大学の後輩の就活相談...色んなレベルで、みんなが言っていた。直接にテレビ業界を目指す人、広報関係、服飾関係...やり方は人それぞれだったし、中学の時に言っていた人が本当にそこに行ったかはよくわからない。言うだけは簡単だし。

「アイドルをきっかけに仕事をしたい」もいた。アイドルが演じた医者、法律家etc.、職業への憧れをくれたのはアイドルで、その意味で「アイドルがくれた夢」を目指す人もたくさんいる。雑談や飲み会の中での進路相談、就職相談でオタクたちはそれぞれ自分の人生を語ってたね。

春歌ちゃんだって、早乙女学園に入る前は、そんな星の数ほどいる「憧れるオタクたち」の1人だった。

 

そこから春歌ちゃんは行動したし努力したし運も掴んだ。

 

相手は、「HAYATO」だった一ノ瀬トキヤだった。

 

その後は、いろいろあって、Debut9月の冒頭では「前を歩いているのなら手を繋いで隣へ導きましょう」と言われる。

 

「あぁ、そうか...。君が懸命に私を追いかけてきてくれたから。だから気づかなかったんですね。」

「私は君がいるから輝けるんですよ。」

 

もちろんリピだってAASSだってそうだったけど、この二人で夕暮れの道を歩くほっこり描写は、トキヤが心の安寧を得ているのはもちろん、「七海春歌のDebut」という意味では、もうトキヤと春ちゃんは追いかけたり追いかけられたりする関係じゃなく、共にプロとして立っている、ということの比喩なんだろうと。

だからもう春歌ちゃんは、「ファン」じゃない。「アイドルとの仕事」を夢見ていろんな場所でいろんな風にアレコレ言っている星の数ほどいるオタクたちのone of themではない。

もう、一度トキヤに歌ってもらったくらいじゃ満足できない。どんどん作りたい。ただのファンじゃいられないことなんて自分自身でもわかっているはずなのに、「わたしの夢は叶いました」と言って去る。

 

それに対するトキヤの泣きっぷりと慌てっぷりと必死さとくやしさで、もうこの人どれだけ春歌のこと好きなんだろうって...........号泣

 

「君の歌じゃなきゃダメなんです。私は君の歌を歌いたいんです。」

 

こんな熱烈な思いを受け取っているのに、「一ノ瀬さんなら他の人の曲も...」って言うどこまでもリアリストな春歌ちゃん。トキヤほどの実力者なら「誰の曲でも歌えてこそプロ」と言うでしょうから、この状況はあまりにも......トキヤの理性とプロ根性を全部狂わせるほどの春歌ちゃんへの愛。トキヤまじで春歌ちゃんのこと大好きなんだね....泣

 

でも、やっぱりただのパンピーラブロマンスじゃない。「アイドル」のラブロマンス。

何もなかったわたしに作曲家になりたいという夢を与えてくれたのは一ノ瀬さんです。

 

お互いにお互いを思い合うだけじゃない。お互いがお互いの夢である。それがトキヤと春歌ちゃん。

私も一応アイドルのオタクは長いので、この「アイドルが夢をくれる」で結びついているところですんごい泣いちゃう。

 

「アイドルと仕事がしたい」なんてどこにでもある話って言ったけど、でもどこにでもあるからどうでもいいって訳じゃない。むしろ、それだけの人に夢を与えることができるからこそアイドルは素晴らしく、そしてそのアイドルになりたい、アイドルの力になりたいと考える人が多いということ。

アイドルには夢のパワーが詰まっている。その「アイドル」とのラブロマンスだからこそ生まれる煌めきと苦しみがここに詰まっている。

 

 

 

―――そして、”夢は醒める”。

 

 

春歌ちゃんは事務所を去り、実家へと帰る。

あの、リピの選択画面を思い出させる春歌ちゃんの実家背景。

SS翔√でドッキドキ実家訪問のときはウキウキしたものだけど、Debutトキヤ√でやってきた実家はこんなにも苦しい。

この実家で、テレビの前で春歌ちゃんはおはやっほーニュースを正座で見てた。

このテレビを挟んで、夢は始まった。

 

早乙女学園に入り、一ノ瀬トキヤの曲を作り、そして、また実家に戻ってきた。

 

テレビを見る。

テレビの向こう。アイドルたちが微笑んでいる。

 

まるで、すべての魔法が解けてしまったみたいな物悲しい描写だと思った。

春歌ちゃんは夢を見て、夢は醒め、「ファン」に戻ってしまうのか...。

 

 

いや、そうは一ノ瀬トキヤが許さない。

 

My Little Little Girlの成功後、時間を置いて迎えに来るトキヤ。

私はもうファンだから...と渋る春歌ちゃん。

「いいえ、君は私のパートナーです。公私ともにかけがえのないパートナーなんです。」

 

 

 

 

 

・そして、シンデレラにかかった魔法は永遠になる

 

ずっと、トキヤがなぜ王子様キャラなのか?がよくわからなかった。

いや、めちゃくちゃ顔がかっこいいし、どんなキザな台詞も自分のものにできるし、その意味で彼は間違いなく「王子様」が似合うのだけど、そうじゃなくてこのゲームシナリオの中でどうにか「王子様」を位置づけられないだろうか?というのが私の悩みの種だった。

もう一つの一ノ瀬トキヤの謎は、「トキ=時」を冠した存在であるにも関わらず、そしてうたプリというコンテンツがこれだけ「時間」に執着しているにもかかわらず、その象徴のような名前をもらい、そのうえ、リピ、SSと「時計」が象徴的な場面を彩っているのに、彼自身の「時間」観が見えてこなかった。

 

この二つの問いに、私なりに結論をつけるのなら、それがトキヤと春歌ちゃんのラブロマンスの形そのものである、ということ。

 

 

数あるオタクの中から、HAYATO......もとい一ノ瀬トキヤの「パートナー」の地位を努力と運でもぎ取った春歌ちゃんの人生は、文字通り「シンデレラストーリー」だろう。

 

もっともシンデレラの魔法は、解けてしまいそうになる。

一度はリピのクリスマス。12時を過ぎたら、魔法は解ける。

 

 

そして、二度目がこのDebutだった。

春歌ちゃんは、「芸能界」という特殊な場所からMy Little Little Girlというガラスの靴をもしのぐ美しい曲を置いていなくなる。その曲には、作詞作曲の名前がなく、関係者は王子様の心を射止めたその曲の主を求めて探そうとする。

 

「芸能界」から出て行った春歌ちゃんは、テレビの前で微笑むアイドルを観る。「ふつう」の暮らしに戻っていく。

 

 

そして、王子様は、あの時計台の前に来てくださいと連絡をする。

 

「お探し物ですか?」とあの桜の木の下で再会するの、あまりに感動的すぎる。リピの思い出が回収されるのにめちゃ弱い....。

「全てはここから始まった。そんな場所で再会できるなんて...運命的ですね。」

 

そして二人は時計台の下へ。

SSでの情報によれば、あの時計台の時計は、壊れたまま時を止めている。

これが、春歌ちゃんにかかった魔法を、永遠にする合図。

 

「......夢のその先を見たくはありませんか?」

 

春歌ちゃんが夢を叶えようと、早乙女学園とシャイニング事務所で積み重ねてきた努力は、一ノ瀬トキヤと重ねてきた日々は「夢のよう」だったかもしれない。でも、夢じゃない。ちゃんと認められるようなものだった。そう簡単に「醒め」たりしない。

 

そう、魔法じゃない。

春歌ちゃん自身の努力と才能、そしてそれを知らしめる一ノ瀬トキヤの努力のその先で、春歌ちゃんは永遠に「プリンセス」になる。一ノ瀬トキヤが、春歌ちゃんを「プリンセス」にし続ける。絶対に離さない。

 

「私は君に夢を教えられたんです。」

 

もうアイドルとファンの恋愛として10000000000000000000点なんよ...........。

夢をもらい、夢を見せてもらう「ファン」だった春歌ちゃんが、そのエネルギーで曲を生み出し、恋をして、一ノ瀬トキヤさんの心の安寧の場所になり、そして何より夢を与えるはずの「アイドル」に「夢を教える」。

トキヤにとって本当に本当にかけがえのない存在になる。「今度は私の夢を叶えてください」と。

 

「君にしかできないことです。この偉業を成し遂げるのに、君の愛は不可欠ですから。」

 

「ファン」ならば、「歌ってもらえた」だけでもう夢は叶って、そして夢は終わり、またテレビのこちらと向こうに引き裂かれる。

 

でも、もう「ファン」じゃない。トキヤにとって必要不可欠な「パートナー」で、お互いの場所はテレビの向こうとこちらではなく、「隣」。

だからこそ、永遠になる。時計は止まり、王子様とお姫様は、魔法が解けたあとも、探し出して一緒になって、永遠に幸せに暮らす。

その意味でトキヤは「王子様」だし、「トキ」ヤなのだろう。

 

例えばセシルなら、「王子様」は一時的な地位で、その先には「王」が待ち受けている。

 

でもトキヤの「王子様」は、終わることのない永遠の恋の象徴。

互いが互いの夢となり、奇妙奇天烈、魑魅魍魎の跋扈する「芸能界」というお城の中で、キラキラとワルツを踊り続ける。そんな王子様とお姫様。

 

ずっと追いかけてきた背中はもう見えない。

今度は二人肩を並べて寄り添って。

夢のその先を見に行こう。

 

 

「アイドル」と「ファン」じゃない。「プロ」と「プロ」になる。その意味で、トキヤ√は「七海春歌のDebut」の物語でもあり、二人の終わらない恋の始まりの物語と思う。

 

七海春歌のDebut」という観点でいうと、主に恋愛エンドで話を進めてきたけど、友情エンドの以下のシーンは、アニメ軸トキヤの切実すぎる「歌いたいんです...」を思い出させる、春歌ちゃんの心の叫び。

シャイニング「お前は、曲を作りたいか?」

春歌「曲が......作りたいです。」

 

そして、前はただ曲が作れれば楽しかったけれど、今は違うと話す。

「みんなに聴いて欲しい。何より、一ノ瀬さんに歌って欲しいんです。」

 

まさに、「プロ」で、もう「ファン」じゃない。ああ、トキヤ√はちゃんと「春歌のデビュー」も描いてるんだと確信したやりとりでした。

 

春歌ちゃんにとってみれば「肩を並べる」景色であるあの夕暮れは、同時に、トキヤにとっては、追い詰められて追い詰められて「この道しかない」という状況から脱して、「この道を二人で歩く」と少し肩の力を抜くことを覚えた大切な景色。

そうやって自分1人の「完璧」にこだわらないことで、もっと遠くへ行けると気づくことができた景色。

 

二人が二人で、お互いのピンチには駆けつけて、大切な言葉をかける。

自分の「夢」を確かめて、「夢の先」を描く。

 

Debutトキヤ√は、どこまでも「二人」の物語で、「アイドルとファンの恋物語」を越えていく、本当にすっごいラブロマンスだった......。

 

 

夢の先の先へ、二人でお幸せにね!!

 

 

 

 

 

ということで、意外なほど恋愛体質で、完璧に演技しようと思えばできるのに、嘘をついて生きていくことを極端に嫌うまっすぐなトキヤがつかみ取った恋と愛のデビュー!

それは春歌ちゃんにとってもデビューであり、まさに「二人」のデビューでマジ最高でした......!!!

 

 

寿さんとのところにも書いたけど、アイドル「一ノ瀬トキヤ」って、「正直」というか「まっすぐ」が輝きの秘密なんだろうなって。

リピで春歌ちゃんと付き合うところもそうだけど、嘘をついて歌ったらなんの意味もない。嘘をついて生きたらなんの価値もない。

 

だから、トキヤの「スキャンダル」って、あの潔癖そうなキャラクターだと致命傷になりそうだけど、案外そうでもないのかな、レンのキャラとは別の意味でトキヤは大丈夫なんだろうな....なんて思ったりもしました。

明らかに「作曲家となんかあった」My Little Little Girlでデビューして文句言わせないほど売ってるのだから、それはもう「一ノ瀬トキヤ」の勝ち。

 

「次の新曲、私は彼女の曲以外では歌いません。何故なら、ファンが望んでいるのは彼女の曲を歌う私だからです。」

 

ひっくり返った。

男性アイドルが付き合ってる女と作った曲なんて、はっきり言えば「一番ファンが望んでいない」類のソレに近いと通常考えられている(賛否は置いておくとして、男性アイドル業界が異性愛に基づいた文化に支えられていることは間違いない)のに、堂々と「ファンが望んでいる」と言い放つ「パーフェクトアイドル」こと「一ノ瀬トキヤ」さん。

 

すごい。マジで、ここまで言い切ったらもうそれは「一ノ瀬トキヤ」の大勝利。

だって、それだけ自分の歌に対して、努力をして魅力あるものに仕上がっている自信があるから、言える。しかも、最後の最後で「愛」が自分の歌を格上げしている自覚があるからこそ、絶対にそれを手放さないと語る。

 

 

HAYATOのように嘘を演じることを、リスクを取ってでも辞め、「正直に」歌うことを胸に誓い、歌ってきた人だからこそできた、「恋も夢も」の物語。

 

そういうトキヤの恋に対する圧倒的な信念の強さも味わえて、ますます好きになりました。

突き抜けるほど過剰な思いは、絶対にその人の魅力だから。

 

 

以上、Debutトキヤ√感想でした~!

 

 

Debut聖川真斗√感想

 

めっっっっちゃ良かった.........。

 

 

Debut真斗√感想です!!!!!

 

想いが溢れすぎてオタクポエム連発(つまり突然自分語りも入るかも!)、時にこの興奮を伝えたくて汚い手書きメモを開示しながら進んでいくスタイルですが、お付き合いいただける方はよろしくお願いいたします!!!

 

もう......本当にますます聖川さんのことが大好きになるDebutでした!

 

以下、こんな感じの内容です。

・「運命」の重さと軽さ

・愛と夢

・黒崎さん、神宮寺レンくん、本当にありがとう!

・「運命の恋」じゃなくても

 

 

なお、個人的にはリピ真斗√からのこの展開か!!というところにめちゃくちゃ感動していて、自分のリピ真斗√の感想を読み返しながら書いたので、念のためにリピの時の記事も貼っておきます。なんかこういう風にお話が続いていくからこそ、リピの記事をちゃんとまとめておいて良かったな...と思うDebutでもあったな...。

 

lovelifeenjoooooy.hatenablog.com

 

では、行きます。

 

 

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・「運命」の重さと軽さ

 

現状、うたプリ以外に乙女ゲームをプレイしたことがないので「乙女ゲームが~」という主語で語れる立場にないのですが、だからこそつい最近まで全く触れたことのなかった人間としては乙女ゲームって「恋愛」が至上価値を持っている世界だと思ってきたんですよ。

さらに、アイドルとの組み合わせについても、三次元のアイドルに対してはこの世の中には無限に価値観があるし、恋愛以外にも歌の主題になるようなモチーフは山ほどあるのになぜほんのり恋愛モチーフの曲がこんなに多いのかがあんまり納得できず、それに対してうたプリは「恋愛の曲」であることに必然性があるので、きっちり説明がついて好きだな!と感じていたくらい。

そういう人間なので、恋愛ってぜんっぜん「すべて」じゃない、というのが私の大前提にあって(一方で、すべてじゃないのにバカでかい感情を動員してしまう恋の愚かさも大好きで)、だからこそ特定の「枠」の中で恋愛に奔走する物語としてのうたプリゲームが好き。

 

ところがDebut、「彼らの人生を描く」とはほんと~~~によく言ったもので、はっきり言って恋愛に対してどこか「醒めて」いる側面がある。

私は心の底からそのことにゾクゾクして、まるで彼ら自身が「ゲーム」というメタ的な枠をやすやすと飛び越えて、「恋愛」じゃなくて「人生」を走り出す。

もしも「恋愛」が「人生」のすべてではなく一要素に過ぎないのなら、それは生活の中にあって、アツアツの時もあれば突き放して考えなくちゃいけない時もある。その突き放しっぷりが、単にその後の「恋愛」を盛り上がらせるための着火剤としてあるのではなく、「人生」の一側面として置かれている感じ。

それがたまらなくてたまらなくて、クゥ~~~~~~~!!!!!!!ってじたばたした。マジでたまらないよ、Debut。

 

特に聖川さんって、リピラブからかなり「恋愛」に情熱的な人で、”恋は人を狂わせる”を地で行くかのように、恋愛のアクの強さを体現しながらゴリゴリと「愛」の名前の元に爆走できる人で、そんな人がこのDebut見せた「人生」が、ああ聖川さんですらこうやって「愛」と格闘するんだ...っていうのが、もう...本当にたまらなかった。

 

 

 

なんの話をしているのかというと、Debut、「運命」が相対化されていく過程が痛いほど克明に描かれている。

 

 

 

聖川さんにとってハルとの出会いは「運命」で、もうそのインパクトのあまりの大きさをエンジンにして爆走している。「運命」のインパクトに突き動かされるまま、"世界すべてを変える"ような恋をしてきた人。「運命の恋」は、世界を、人生を、すべてを変えて「新しい自分」で生きていく力をくれる、そういうものだったはず。

だからこそ、リピで「A4一枚分の人生」と呼ぶようにこれまでの自分が歩む予定だった人生はどこまでもどこまでも「軽い」「薄い一枚」として表現される。

恋愛のインパクトが強ければ強いほど、過去の自分は軽い。

それが、ロミオとジュリエットの物語と重ねられて、若いあの二人は「恋愛が重い」がゆえに「命が軽い」。命すらも捨てられるほど、重い「運命の恋」。

(参照 

第1回 愛は全部キモい ──『ロミオとジュリエット』 | 最果タヒ 愛は全部キモい | web岩波 )

 

 

 

しかしDebutで黒崎さんと出会った彼は、自分の人生の重みが「A4一枚」なんかじゃないことに気が付く。黒崎さんの人生、自分の父親が背負ってきたもの、そして突然に周囲の人間に期待されることで経験し、実感する。「運命の恋」とは反対側の秤にかけられていた「A4一枚の人生」は、急激に重みを増す。

それと同時に、絶対的であったはずの「運命の恋」、そしてその恋と共にあった夢が相対化されていく。

 

「夢を見ている場合ではないんだ。」

「自分の夢など二の次だ。」

 

 

何言ってんの????ハルとの恋は「運命の恋」で、アイドルになることは何があっても叶えたい夢だったんじゃないの?????どうして????とゴン詰めしたくなる言動の数々。

 

私のプレイ中メモも「人は変われない.....」と絶望しながらブチギレしている。

シンプルに一言「なにそれ」、ちょっと怖い、笑(走り書きで字が汚い...)

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ここで明らかなのは、人は簡単には変われないという事実



「運命の恋」がすべてを変えたと思っていた。過去は遠くへ消えていき、「運命の恋」より後の自分は何もかも別人になったと思っていた。

でも、そんな「恋の魔法」は存在しない。自分の人生は、一本道で、これまで歩んできた道を簡単に忘れて消すことはできない。過去を捨てられないし、自分はそう簡単に変われない。「A4一枚」だなんて言って、ビリビリに破いて捨て去ることはできない。

そうやって「運命の恋」は、相対化される。

もし仮にそれが「運命の恋」だったとしても、人生にとっての「一つの出来事」に過ぎない。絶対的な重みで、すべてを変えてくれる訳じゃない。

 

私はそこがたまらなく痛くて苦しくて、めっっちゃ泣いてしまった...。「人間って恋で人生を変えていける、踏み出して行ける!」っていう考えの限界をまざまざと見せられたみたいで辛かった...。人って変われないんだよな、魔法みたいには。

でも同時にリアルでもあって、すごく好きなポイント。

なんだろう、私はそんなに恋愛に価値を置いていない一方で、どこかで”運命の恋”の力を信じてる所があって、その魔力が裏切られる苦しさに身体が引き裂かれるみたいだった。

でも人生ってそうだよな、人って簡単には変われないよなっていう納得感が同時にあって、この迷走期間がすごく好き。後で書くように迷走中に口を挟んでくる神宮寺レンさんが大好きっていうのも大きいんだけど。

 

 

 

だって「運命の恋」だよ!!?????

そんなロマンチックなもの、この世にないでしょ。その幻想を暴いていくシナリオなんて聞いてないよぉ......(歯を食いしばりながら呻く)

 

 

そして、

 

「どれだけ境遇が似ていようと、他人は他人。誰も自分以外の者になれやしねぇ。てめぇのことはてめぇで考えろ。」

 

黒崎さん.....!!!!!!泣

 

黒崎さんの言う通り、「運命の恋」が相対化されて軽くなって、「A4一枚」の重みに気が付いて、自分は自分にしかなれないと思い知る。そして「A4一枚」を歩むべく自分が教育されたことも、お祭りの時にハルには話していて(あるいは引っ越しの前の絵本の話で教えてくれて)、やっぱりどれだけ逃げても過去は変えることはできないし、その過去も含めて自分でしかない。

 

 

だったら!!!

 

自分は自分にしかなれないのなら、「自分」になるという終章に向けた展開!!!しびれた......最高にしびれた........。

そうか、こうしてアイドル「聖川真斗」はできたんだ....!!!!

 

あれだけ恋愛体質というか恋愛に情熱を注いでいた人が、こうやってまざまざと人生の中で「運命の恋」が相対化されていく場面に立ち会って、情けないほど、むかつくほど、でも仕方ないとあきらめざるを得ないほど夢と愛を捨てそうになる経験をして、「運命という言葉に甘えていた」という結論に至るのがたまらなくって...。

 

 

Debut音也√で「親に見つけてほしいとかじゃない」と言い出した時に腰を抜かすほどびっくりしたんですが、Debutって「ここらへんに着地するんだろうな~」をスッと通り抜けて、メキメキとプリンス達が成長しだす一点が存在する。(気がしている)

そのカタルシスがヤバイ。

想像を超えて、歩き出すその瞬間を見届けたときの感動たるや。

真斗√もそうだった。

「運命だ!」と恋も夢もゴリ押しして解決するんだろうと思ってた所を、通り過ぎて越えていく。

 

 

 

理屈じゃないんだ。好きだから歌う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねぇ、「運命の恋」ってどんな恋だと思ってました?

 

私は、強烈に「運命の恋」があると信じている人です。

 

そして、私は”人生が狂っちゃうような出会い”がそれだと思ってきた。

その人に出会わなければ、自分はこの夢を追えなかった、自分はこんな人生を歩めなかった。

そう言えるような出会いと恋はこの世に確かに存在していて、私は自分のそういう出会いを「運命」って呼びたくて、だから好きな人を人生の大切な場面に織り込んできた。あなたがいなければ、私はこんな選択をしなかった。私の人生にあなたの人生を織り込んで、二人にしか編めない人生を生み出したのなら、その始点が「運命」になる。

だから、私が私自身の人生を語るとき、私自身の夢を語るとき、私にはいつも同じ顔が浮かぶ。同じ顔の、同じ言葉が。同じ顔の人と過ごした時間が。

だからこそ、私はその人に対して愛の言葉として、そして呪いとして、じゃれ合うような冗談として、しばしばこう言う。「ねぇ、私の人生の責任を取ってよ、笑」。

 

 

そうやって誰かの人生と、私の人生をきつく結んだら、それが運命の糸なのだと。

そうやって生きることの限界をどこかで感じながら、叶わなかったものも含めて「運命の恋」たちを抱きしめてきた。

そして、真斗くんとハルの出会いも、そういう衝撃的で、「予定通り」の人生を狂わせて走り出す、そういう「恋」なのだと、ほほえましく、時に痛々しく思ってきた。

 

 

 

真斗くんは、そんなもんじゃない。軽々と越えていく。

運命の歌、運命の五線譜を「越えて」いく。「彼方」へ。

 

 

「俺はお前と出会わずとも、この夢を目指していたことだろう。俺は昔から歌が好きだったんだ。

俺はお前と出逢い、歌を知った。愛のため、お前のために歌っているんだと、俺はずっとそう思っていた。

しかし、それ以前から歌への憧れはあったのだ。お前はその気持ちを呼び覚ましてくれた。そして、歌への愛を共に育ててくれたんだ。

歌への、この熱い思いは誰のものでもない。」

 

 

「お前と出会わずとも、この夢を目指していた」

 

衝撃的すぎる。プレイ中どころか今も泣きながらこのブログを書いている。

ここで、「運命」=”人生が狂っちゃった”の定義はボロボロと音を立てて崩れる。

”狂っちゃった”んじゃない。自分で”狂わせていく”。

「運命」なんかに甘えるな。自分の人生は自分で選び、自分で責任を取るしかない。

自分以外の誰も、私の人生の責任を取ってくれないのだから。

 

 

 

この衝撃をどう言い表せばいい?

 

ロミオとジュリエット」でアドリブをしてしまうほど、あんなに情熱的な恋愛をしてきた人が、親族の前で「カモン!」と言い放って「運命」のゴリ押しをしてきた人が、「運命」の纏うロマンチックさをすべて突き放して、神や父親に翻弄されるのではなく、「選ぶ」を見せつける瞬間を。

この生き様のかっこよさを。

 

おそらく春歌ちゃんも衝撃を受けたのだろう。

未来への可能性。かつて目の前にあったいくつもの選択肢から今、歌への道を選ぼうとしている。

運命という言葉に頼らず、彼は自分の意思で決めた。

後悔はない。とでも言いたげに世界一わがままで、熱い想いが歌声に乗り、真っすぐに突き抜けていく。

 

 

かつて、父親の権力と神の権力は同視された。

 

 

もし「運命」が人ならざるものに導かれるような何かなら、結局それは「父親」の決めた何かに邁進することと変わらない。

ハルという”女神”の以前/以後で断絶されたように見えた人生は、その意味で結局は継続していたことを受け止めた聖川真斗は、「自分の人生」を語りなおす。

 

「誰かのためでも、まして家から逃れるためでもない。

誰に必要とされなくとも、夢を追う覚悟......。」

 

そりゃ私だって思ったよ!?なんでここで春歌ちゃんを置いていく必要ある!??って。でも、この時間が多分彼には必要だった。だからこそ「わがまま」な歌が歌えるようになった。「理屈じゃない、好きだから歌う」の歌が!

 

本当の意味で父親の、そして神様の「お人形」をやめること。「自分」になること。

強烈な「自分」になって歌うこと。

それが、アイドルであり人間である「聖川真斗」になるために必要だったんだ.....!!

 

 

(号泣)(言葉がない)

 

 

私、真斗くんが「真面目すぎてアイドルらしくないと言われることもあるが...」とシャニライで話しだすたびに「そんな訳ある!!???その美しさで!!??誰だよ!!??真面目なことはアイドルにとって大事だろうが!!???とキレてきた。

 

でも、なんていうか、要するに真斗くんのアイドルは「天職(Calling)」じゃないということなのかもしれん。

「天職(calling)」って「神が”呼んで”いる」「神の思し召し」って意味でしょ。

真斗くんのアイドルは、「たとえ神が呼んでいなくとも!!!俺は!!!!!!アイドルに!!!!!!!!!!!なる!!!!!!!!!!!!!!!!!!」なので。

 

 

ぐあ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

好き。

 

 

なんかもう感激しすぎて何言ってるのかわからなくなってきたんですが、とにかくもう本当にこの結末が好きで好きで。好きで。

「運命」のロマンチックさを突き放して、人間そう簡単に変われない......っていう痛みも経験して、それでも「自分」が「自分」として「アイドル」になるために「理屈じゃないんだ。好きだから歌う。」に至るのが本当に最高。

 

そういう強烈な自我みたいなものにリピから惹かれていたけど、それは最終的には「奪い取った」ものなんだっていう事実がたまらなく私に刺さる。

それに私は、このステージが呼んでいる、このステージでしか生きられないというタイプのエンターテイナーも好きだけど、やっぱりどうしようもなく心がぐちゃぐちゃになるのは無数の選択肢がある中で「わざわざこの選択をした人」なんだと再認識させられた。

 

それに、リピの真斗くんは聖川家としての自分の人生を「A4一枚」呼ばわりしていて、アイドルになるということがどれだけ「ヤバイ賭け」なのかわかってない感じがしていたけど、Debutの真斗は完全にその重みを理解している。

その上で「賭け」をやってのける。

 

シャイニング早乙女が「Mr.ヒジリカワは最後の賭けに出るでしょう!」と言い出したときに、私は「もらった!!!!!」と思って涙でボロボロになりながらも口角ぐんぐんに上がったオタクスマイルになっちゃったもんね。

聖川さんは、追い詰められて追い詰められてヤバイ賭けになればなるほど強いギャンブラーなので!!!!!!!AAで聖川パパに「賭けをしよう」と言われたとき然り、この人、「賭け」には負けないんですよ。

 

 

悩み、迷い、情けないところもあったけど、それでも、最後に「これ!」と決めたなら、その「賭け」には負けない大胆不敵な「強さ」。

ロミオとジュリエット「再演」は、「自分」を奪い取って生み出されたまったく別次元の「再演」で、だからこそ本当に「強く」て。

最高です.......。

 

しかも、この「賭け」の強さは持って生まれたラックの高さもあるけど、それだけじゃない。

「奇跡とは天から舞い降りるものにあらず。

100%の力で立ち向かって初めて引き寄せられるものなり。」(友情エンド)

「幸運とはただ天から降ってくるものではない。俺はそう思います。常に最善を尽くし、諦めず動くからこそ掴めるもの。」(先輩エンド)

 

万全の努力で運を引き寄せたら、あとはどんな賭けもかかって来い。

「運命」じゃない、自分で選び、そのための「運」は己の力で味方につける。

 

そういう、最強な聖川真斗くんが好きだ。

 

 

 

 

 

・愛と夢

 

そうやって「運命」を相対化したので、最初は「エッ愛か夢かじゃなくて、愛と夢だし、愛が夢なんじゃないの!!!?????」って思いませんでした?

私はめっちゃ思った!!!!!!!!!

しかもやっと家のこと片付いたのに「一人」ってなんだよ!!??ハルと一緒に夢叶えるんじゃないの!!??と。

 

今でこそ、真斗√ほんと最高だった......性癖ど真ん中.....と大絶賛して泣きながらブログ書いてますけど、最初は結末とかよくわかってないので、めちゃくちゃキレながらプレイした、笑

プレイメモにも「なんでだよ!!!」のツッコミ。

 

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※あまりにも自分が生き生きとツッコミながら真斗√をやっているので、今回は積極的にノートを晒すスタイル...。

 

 

そんな風に真斗くんにイライラしていた訳ですが、結論は既に述べたように、「運命」が相対化されていくし、「お前に出会っていなくても夢を目指していた」という風に、愛と夢は必ずしもイコールではなくなっていく。(逆に早めに終わる6月の先輩エンドだと明確に「愛と夢、切り離せるものではない」と言う。6月終わりだったら「運命に甘えていた」という話にはならないというのもまた人生の機微を感じてたまらない。)

 

じゃあそれが、愛が「冷めた」のかというとそんなことはない。

 

「ひとりが不安なら手を繋ぎ、共に歩けばいい。」

「これからもこうしてふたりで手を取り合いながら、長い道のりを歩いて行こう。」

 

 

恋愛エンドでは、AAの露天風呂が嘘みたいにしれっとベッドにいるのでその部分の時の流れもまた素敵なんだけど、「運命」というきつい糸でお互いの人生を結び付けるみたいに愛し合っていた二人が、依存ではなくて、「1人と1人」で「共に歩く」というところに落ち着いたのが、愛に対して誠実だと思った。

 

「運命の恋」を中身モリモリにしていくずっしりとした愛も私は大好きだし、割とそういうスタイルで私自身は生きてきたのだけど、そぎ落として、人生の中の一つの「きっかけ」にその出会いを位置付けたとしても手を繋いで一緒にいたい、と思えることは愛に対して誠実だと思った。

 

 

その誠実さを「この身体に 残った”お前”という Only My Love」と熱く歌い上げるところもまためっちゃいい...。

家、事務所、夢、歌、アイドル、いろんなものがドカドカ整理されていって(無理やり振り払って)、モリモリにしていた「運命」が相対化されてもなお、「お前」が残る、という話をしっとりと歌い上げるんじゃなく、こんなに激情的に表現するの天才か!??天才なんだよな......。

 

それに、「恋=夢」(=は「運命」)だったからこそ、「恋か夢か」という天秤はどちらを取っていいかわからないものだったのに、「運命」が相対化されたからこそ、かえって「両方とる」道がパァーっと開かれていく。

「恋=夢」だから両方取る!の論理じゃなくて、恋と夢の連関を切った上で恋も夢も取って行くっていう理屈が私はすっごーい好きなんだ......。

その過程は乱暴な部分も、ついていけない部分もあってイライラしたんだけど(笑)、それがMostフォルテシモになるなら何も言えない...何も言えないんだよ...........。

恋と夢、秤にかけるな!奪い取れ!

 

 

「これはステージへの扉を開く鍵。お前と俺を結ぶ愛の架け橋だ。」

 

 

あ~~~~~~~降参!!!!!ヤベー男を好きになったよ!私は!!!

 

 

思わずプレイ中の叫びをメモに残さずには居られなかった。本当にここは降参だった(両手を挙げて)

ちょっともう本当にいい加減にして欲しい。こんなに私に好きにならせてどうするの????????

 

「運命」で結び付けられた「愛」と「夢」を切り離して、それでも「歌う」ことを選んだことを知るのはこの後のことなんだけど、結局ここでは切り離されているのにわざわざ「迎えに」来てるってことでしょ?

もうね、この情緒ぐちゃぐちゃ恋愛ジェットコースターの聖川真斗くんのことが大好きで、だって自分から「1人でデビューを目指す」とか言って離れて行って、家のことの後で悲壮感も多少あったのに、にっこにこで木に登って迎えにきて「ならば、助け出すのがナイトの務め。さぁ行こう、ジュリエット。俺にはお前しかいない。」とかいう情緒どうなってんの!!??みたいな台詞でハルを「奪い」に来るんだよ!???

「愛」自分で、捕まえに来てるじゃん..........。

 

それで「運命(愛=夢)」すら越えていく自分の姿を見せるためのチケット持ってくるなんてさ.......。

 

やっぱり私は、人間の「意思の力」が大好きで大好物だから。

「運命」すらも越えていくことを見越して歌を完成させた人物が、「ロマンチックな運命」の体現であり、そして二人の思い出であるロミジュリの「再演」でもって、その扉を開けるという矛盾を力技でぐいぐい通して、愛も夢も、「意思の力」でどうにかしていく結末への幕開けが「お前と俺を結ぶ愛の架け橋だ」に詰まっててさ.....!!!!!!!!!!

 

 

「愛」だ........。

誠実でありながら、情熱的で、”狂わされた”のではなく、自ら進んで"狂いに行く"ほどの熱と覚悟をはらんだ愛だ...........。

いや、冷静さを失っているのは私の方なんだけど..........。

 

 

 

それに対して春歌ちゃんも恋愛エンドで

「幸せにしてほしくて一緒にいるわけじゃありません。あなたと出会えたことが幸せなんです。」

 

 

Debutって、「醒めた」話なので、二人で「愛が夢」でずぶずぶで行きましょう!という話には全然ならなくって、幸せにするとかされるとか、そうじゃなくて「二人で歩きましょう」というところに着地する。

(何度も言うけど着地するまでにめっちゃ大変だったことは忘れないけどね!!!)

 

それでもなお情熱的で、意味不明なことされてるのに(マジで何度目の別れ話だった...?)相変わらず真斗くんにゾッコンなくらいには理性を失わざるを得ないような恋で。

 

 

こりゃあ、むしろ「運命」の方が背負うには荷が重かったね、という恋。

恋に惑い人生に迷ったときの愚かな選択と、それら全部をゴリ押しする人間の意思の力は、神も恐れ入ることでしょう。

 

「聖」を「背負える」くらいの男ですからね。

 

神々も畏れをなすほど、自分の力で「必然」にする、愛と夢。

 

 

(話は恋愛から逸れるけど、先輩エンドの「黒崎さん!ジンクスなんてないんです。たとえあったとしても打ち破ってみせます!」は完全に神とか人ならざるパワーをごりっごりに振り払っていく聖川さんでしたよね。)

 

 

 

・黒崎さん、神宮寺レンさん、本当にありがとう!

 

真春の二人は、突然大暴走したりしながらそれでいいんだと思うんだけど、周囲の人間は大変ですよ笑

 

 

まずは黒崎さん!!!

「女の作った歌は歌わねぇ」然り、林檎先生・日向先生√ぶり三度目の「シャイニング事務所、ハラスメント講習をやってください!!!!!」と言いたくなる発言が目立ちました....が、この人がいなければアイドル「聖川真斗」は生まれなかったでしょう。

ましてや「Mostフォルテシモ」は絶対に生まれなかった。

 

マスターコースの先輩が黒崎さんでなければ、「聖川真斗」は生まれなかったというのをヒシヒシ感じて、オタクとしては黒崎さんに頭が上がりません。

黒崎さんがいなければ、「A4一枚」の重さを理解できなかったんじゃないかと。レンの存在があるけど、彼とは関係値が濃すぎて、自分を客観的に見るための指標にはできないから。

 

既に引用した部分もそうだし

「仮定の話をして何になる。過去があるから今の俺がある。」

 

「アイドルっていうのは、誰かに輝かせてもらうんじゃねぇ。てめぇ自身で輝くもんだ。」

とか、この人の背中が無かったら「自分」になるということは真斗くんにはできなかったと思う。

 

真斗くん、とっても真っすぐな人なので、学園時代に思いを押さえて押さえての恋の末に曲を作れば「騎士のKissは雪より優しく」になるし、付き合えてハッピーでウッキウッキの春に作り始めたら「BLUE×PRISM HEART」になるし、黒崎さんの元でマスターコースを過ごしたら「Mostフォルテシモ」になる。

そういう真っすぐな人が、あれはあれでまっすぐにRockな人の下で学んだことは計り知れないだろうし。

 

それに、聖川真斗、「馬鹿まっすぐ」を地で行くので、「魚心あれば水心」とか言ってハルと交際してます!!!!!って言うじゃん。

あれ本当に信じられなくて(言い方)......だって、黒崎さんは「女嫌い」って言ってるし、春歌ちゃんも雑誌等の情報で「女関係でバンド解散」って情報掴んでる人に対して、信頼してもらうにはまずはこちらの情報を!って「俺たち付き合ってます!」って言いますか???????すごくない?????普通言わなくない????

聖川さんのそういう意味わからないまっすぐさのアクの強さが好きでオタクやってるからいいんだけど、めっちゃヒヤヒヤしちゃった......w

 

 

突き放す先輩を「絶対に離さない!!」と言わんばかりに追いかけて、しかも付き合ってます!とか言い出す謎後輩(しかも社長に押し付けられただけ&御曹司で自分のトラウマもえぐる)をさ、なんだかんだで後半は可愛がる。特に家関係では、自分のことを思うと話づらいだろうに、時間作って公園で話してるし.....。

なんか、黒崎さんの強烈さは確かにあるんだけど、負けない力量で聖川さんも強烈なので、よくわかんないけど、黒崎さん、本当にお世話になりました....!

 

 

 

 

そして、レンくん!!!!!!!!

マジで全力感謝.....。

 

プレイ中も自然に手が感謝を書き残していたよ...。

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もう本当にめちゃくちゃ情けなく家の仕事やり始める真斗くんに発破をかける神宮寺レンさん.......。

リピ真斗√で「聖川真斗!!」ってとびかかっていた人と同じ人で、「三男」であることが苦しくて仕方なかった人が、正面から声をかけてくれる。

「やっぱりその程度だったか」と見捨てるでも、「結局選ぼうと思えば財閥を継ぐことだってできるなんて妬ましい、ずるい」となるでもなく、「お前の夢はアイドルになることだったはずだ」と真正面から声をかける。

 

こんな人、こんな人間関係、どう頑張ったって手に入れることはできないよ.......(号泣)

 

こんなにこんなに聖川真斗のことを真剣に考えてくれる人がいて、こんなに真剣に声を荒げてくれる人、宝じゃん.......。

こんな人間関係....。(そりゃあ神様も羨みますわ)

 

 

「あんなすべてを諦めきったような歌。誰も聴きたくないんだよ。」

「失くしてなんかないだろ。本当に心から抜け落ちたのなら何故歌った。お前はまだ諦めていないはずだ。」

「お前が本当に夢を捨てられるならそれでもいいさ。けど、違うだろ?」

 

それで子供の頃の話をする。

Debut真斗√は「ハル以前/以後」に「運命」によって分断されていた真斗くんの人生を、全体としての真斗くんの人生へと語りなおすという側面を持っているから、ハル以前を知っているレンくんの言葉は、そういう展開への一つの鍵になっている。

 

レンくんがいなければ、始まらない物語。

 

レンくん~~~~泣

 

 

 

それに本当にレンは優しくて。

「ねぇ、レディ。人を信じるというのはとても難しいことだ。」

と春歌ちゃんの良き相談相手になる。

あるいは、まるで6月に演じたドラマをなぞるように(それはつまり”真斗のために”)春歌ちゃんのパートナーに名乗り出る。

 

リピ真斗√のレンくんの様子を見ていれば、聖川真斗を変えた女こと「七海春歌」に複雑な感情を抱いていたことは間違いないのに、Debutでは森に誘拐するでもなく、春歌ちゃんの相談相手になる。

(もっとも、リピの頃よりも巧妙に真斗の気を引こうとしているとも言い換えられるのだけど。)

レンくんの気持ちを考えると、本当に本当に優しくて、ありがとう.....という気持ちでいっぱいだった。

 

 

それに対して、聖川さんのマイペースなこと!!笑

 

8月末には「お前にはわからない!」と言い放ち、9月には「だったら迷ってない!」と言い、迷走っぷりを遺憾なく発揮。

ところがMostフォルテシモを完成させて、友情エンドでは、ま~~~~~~~~元気に神宮寺レンと喧嘩する喧嘩する、笑

 

でも、それが聖川さんの通常運転だし、迷走期を知っているからこそ、ああやって元気に跳ね返ってくれて友情エンドのレンくんも心のどこかで嬉しかったよね(泣

 

 

それにこの二人は、言葉は喧嘩していても音楽で通じ会える。

 

「お前、ステージを降りたあと『お前のおかげで最高の歌になった』なんて言っていたくせに。」

「知らん。忘れた。お前も忘れろ。」

 

最高か??

このぶっきらぼう言い方!

それでいてお互いに忘れられないような感覚があったという.........。本当にお互いに歌っていて気持ちのいいコンビなんだろうなぁ。

普段の仏頂面が嘘みたいだという真斗の表情といい、、、、ね、、、。

 

もちろんここは映像化されていないのだけど、私は2022年からのオタクなのでセイクリッド・ペアーズという参考資料があるという....ありがてぇ......。

 

 

はっきりと言葉にすることはなくても、レンの存在のかけがえのなさはきっと歌を通じて感じているんだろうな....。

 

 

 

 

 

 

 

・「運命の恋」じゃなくっても

 

さて、前半のDream more than loveの話とか、チョコバナナの話とか、言いたいことあるんですけど、もう1万字越えているのでとりあえず締めます。

 

 

で、最後にオタクポエム(ポエムに失礼!)なんですが、うたプリが「運命の恋」の人って多いんじゃないんでしょうか。

私は、うたプリ界隈のオタクたちの「運命の恋」だったり「初恋」だったりした感情が長く長く、時にその感情の大きさゆえに苦しくなりながらも、維持され続けているところが好きで。

一方で、私にとって彼らはすごく最近出会った存在。

 

大人になってから出会ったので、人格全部をあなたに合わせて、溶け合うように愛することはもうできない。私には私の人生があり、私には私の価値観がある。

これからも私は私で生きていくし、私の日々は聖川さんの音楽で彩られてゆくけれど、私の夢や人生の分岐点はもう通り過ぎていた。(先の人生はわからないけど!)

 

あなたが「カラスは白い」と言えば「そうだね」と言えるような愛を、あなたがいなければ私の世界は存在しないの、と宣言できるような愛を、あなたにあげることができないのが私は少し苦しかった。

でも、真斗√の最後にたどり着いたところは、1人と1人で「共に」歩いて行くこと。

簡単には変えられない自分自身と過去を「運命の初恋」ですべて吹き飛ばしてしまうことはできないけど、それでも愛をやっていくことはできる。

 

そんなメッセージを受け取って、私は私のままで、あなたをこれからも愛していきたい。

共に歩んでいきたい。

だってこんなに夢中になってしまうほど、あなたは魅力的なのだから。

そういうこれからを自分自身で選びたい。

 

そう思ったDebut真斗√でした。

 

 

 

ふたつのOver the Rainbow-一十木音也の「ゲイネス」をめぐる一考察

 

 

この記事は、Debut一十木音也√(友情エンド)を、二つの「Over the Rainbow」という曲を切り口に音也くんの「孤独」と「未来」を考察します!!!

 

いつもはダラダラ私の感想が書いてあるだけですが、今回は、別の映画「オズの魔法使い」劇中歌で音也のデビュー曲と同じ名前の「Over the Rainbow」をフックに「ゲイネス」という概念を使ってDebut音也√の友情エンドを分析してみよう!!結論、ルレってとんでもないね!!!!っていう話です。

 

ということで、他の音楽や映画、LGBTについての概念を道具にして、音也√をのぞいてみよう!という趣旨が地雷っぽい人は閲覧をおすすめしないです。

なお、創作ではないので特に右とか左とかは想定しておらず、ルレの強い絆(「友情」エンド)の話ですが、何かあっても私は責任をとれませんのであしからず...。

 

とはいえ、評論の訓練とかも受けたことなくって独学ド素人が好き勝手やってます...。

 

とにかく、まじで人を選ぶ感想な気がしているのでお気をつけて責任取れないですからね...!!!

 

注意書きは以上!

 

 

個人的にとんでもない衝撃を受けたDebut音也√友情エンドに愛をこめて。

 

 

 

 

 

 

=====

 

「うたのプリンスさまっ♪Debut」というゲームの一十木音也√で、最終的にパートナーの七海春歌と作り出すデビュー曲は「Over the Rainbow」である。

 

 

この記事は、そのDebut音也√を分析対象とした文章であるにもかかわらず、

まず、分析のための道具として、もうひとつの、全く別のOver the Rainbowという楽曲の話をさせてほしい。

 

おそらく、世界で一番有名な「Over the Rainbow」は映画「オズの魔法使い」の中でドロシー役のジュディ・ガーランドが歌った「Over the Rainbow」だろう。

 

そして、このOver the Rainbowはゲイのアンセムであり、ジュディ・ガーランドは当時の同性愛者のアイコンだった。世界的な同性愛者の権利運動のきっかけとなったと言われている「ストーン・ウォールの反乱」は、ジュディ・ガーランドの死を悼んでゲイ・バーに集まっていた人々を警察が違法に取り締まろうとし、それに反対する運動がきっかけになったと言われている。現在、LGBTの運動で虹色の旗を振るのは、Over the Rainbowがきっかけではないかという俗説が流れるほど(実際検証するとそうではないらしい)ジュディ・ガーランドOver the Rainbowと同性愛者の歴史は深い。

(詳しくは、ジュディ・ガーランドはなぜゲイの人々から支持されたのか? )

 

ちなみに、今月はプライド月間で外資系企業の店頭に虹の旗が立っていたりするが、それは「ストーン・ウォールの反乱」が6月に起きたから、6月はプライド月間だ。
そして、Over the Rainbowを歌うジュディ・ガーランドの命日は、6月22日である。

 

 

なぜ「オズの魔法使い」が同性愛者に愛されたのか?

一説にはその「キャンプ」な感性に満ちた点であると言われる。「キャンプ」とは「あえて定義すれば、人工的でわざとらしいもの、どぎつく悪趣味なものを「愛でる」態度」だという。また「キャンプの美学にはまた、一見するとストレートに見えるよう偽装することも含まれている。ただし、うまく隠して誰にもわからないようにするのではなく、隠しつつ、いわば思わせぶりにウィンクをしてみせることで、隠していることを自ら暴露すること」も含まれる。

 

例えば、「オズの魔法使い」に登場する臆病者のライオンは、「臆病者」である点で「ライオンらしさ」とはかけ離れている点で、「普通」との違いに苦しんでいるが、同時に「ハンカチがわりにしっぽを目にあてて泣く仕草」で「女性らしさ」をにおわせて、「普通」に擬態しても擬態しきれずどこかで隠していることを暴露している。

 

ドロシーの出会うブリキの木こり、臆病なライオン、かかし、はみんな何かが「欠けている」と自分に対して思っている。そしてその「普通でなさ」を隠したり、隠せなかったりしながら、生きている。

そういう「孤独」や、世界の「普通」とのズレを抱えた「オズの魔法使い」のキャラクター達が、「普通」とは違うとされる同性愛者の胸を打ったのではないか。

何より、Over the Rainbowは、アプリ等もなく自分と同じ人間がこの世界にいるともわからなかった田舎の同性愛者にとって「Somewhere over the rainbow虹の向こうのどこかに」信じた夢がすべて現実になる場所がある、という歌は希望であり、しかし同時に飛び立つことのできない自分にとっては手の届かない夢でもあることを自覚させるメロディだった。

ジュディ・ガーランドその人自身もまた『オズの魔法使い』以降に演じた作品の中でキャンプな感性を見せ、同性愛者に愛されたと言われている。
(参照:菅野優香「ジュディ・ガーランドを愛するということ―キャンプ、ドラァグフェミニズム」『クィア・シネマー世界と時間に別の仕方で存在するために』(フィルム・アート社、2023年))

 

 

 

 

さて、ジュディ・ガーランドOver the Rainbowと一十木音也のOver the Rainbowという二つの同じ名前の曲を手掛かりに、一十木音也の「孤独」について考えたい。

 

 

 

一見してこの二つは名前が同じである以外に何の共通項もないようだが、「家族」と「愛」をめぐる「普通」と「孤独」について共鳴していると私は考えている。

 

 

 

「...ねぇ、春歌。家族って...幸せって何だろう...。」(9月)

 

 

うたのプリンスさまっ♪Debutにおいて、一十木音也が直面するのは「家族(がいない)」という事実だ。

正確にいえば、「家族」がいなくて施設育ちであるという事実そのものはほぼゲーム1作目にあたるうたの☆プリンスさまっ♪Repeat音也√の段階から明らかにされていたのであって、Debutでは「だけどそんなの全然気にしてないし!」というニコニコした振る舞いと自分自身が抱えてきた哀しみとのギャップに苦しむ。

先輩である寿嶺二と共演するドラマにおいて「家族を失う」という演技をすることになり、彼のトラウマが開いてしまったためにこれまで通り「普通」に「ニコニコ」と振舞うことができなくなり、歌えなくなった所からの再生がメインストーリーだ。

 

 

「家族」がいないという出自は、何かにつけて明らかにされやすい(嶺二がきわめて自然な話の流れとして「おとやんは大家族だったの?」と聞くように家族構成についての質問はセンシティブでありながらよくあるコミュニケーションとして行われる)ので、完璧に隠すことはできないが、「でもぜーんぜん大丈夫!」と言う風にふるまってカバーをする。水面下では必死に手足をバタバタさせて溺れないようにしながら、水面から出ている顔は平気にするみたいに人の何百倍の努力で「隠す」。これで世界は「普通」に回り出す。

家族がいるのは「普通」で、俺は「普通」じゃないけどでも大丈夫!明るく元気で仲間がいるから!!これで世界はキラッキラ!!

 

「普通」との距離を感じながら、「普通」に見えるように、「普通」に見えなくても大丈夫なようにもがき続ける。

この「孤独」は誰とも分かち合うことができない。

 

Debutで明かされた一十木音也の苦悩はそういうもので、その苦悩を越えて生み出されたのが一十木音也のOver the Rainbowだ。

そしてここがジュディ・ガーランドOver the Rainbowとの交点だ。

 

ここで言いたいのは、彼が同性愛者だとかそういうことではない。(そんなこと彼にしかわからないし、少なくとも私が読んだのは明確に七海春歌という女性と結ばれるストーリーである)。

「普通」との距離ゆえに「普通」を意識し、「普通」になろうともがき苦しんで疲れ果てて壊れてしまいそうになるその経験は、「異性愛」と「同性愛」の距離そのものと重なる。

そして、最終的には「普通」な世界とそうではない自分の距離に蹴りをつけて、歩き出す。

 

 

蛇足だが、『オズの魔法使い』で主人公ドロシー達が目指すのは「エメラルドの都」だ。エメラルド色の瞳を持ち魔法を使う王子様とその母親のことを知っているうたプリプレイヤーにとっては、これが示唆する皮肉は強烈すぎる。

虹の向こうの「エメラルドの都」。かの国にも、音也の歌は鳴り響いただろうか?
(「虹の向こうに 空高く 魔法の国がある」)

 

 

二つのOver the Rainbowは、「普通」との距離に苛まれ、「孤独」を抱えた者を迎える歌だ。虹の向こうに楽園があったらいい、実際はないことを知りながらも、歩みを止めない者の歌だ。虹の向こうに行けなくても、ここで生きていくことを覚悟する歌だ。

 

 

そして、Debutを経た音也が、「普通」との距離やその偽装にこだわることを辞め、等身大の自分でまっすぐに歌い、未来に向かって歩き出すことを意味するのなら、もしかしたらそれは一十木音也の「ゲイネス」をも指し示しているかもしれない。

 

「ゲイネス」とは、学術的には「異性愛原理と家族制とを前提とせず他者の身体に関わってゆくこと」であり、しばしば「ジュディ・ガーランドはゲイネスと同義である」と言う風にゲイの象徴とかゲイらしさとかいう意味でも使われる。

いろいろ複雑だし私は詳しくないので、反異性愛で反家族主義くらいに捉えて進ませて欲しい。

 

 

 

私は、一十木音也の「ゲイネス」に惹かれている。

 

 

 

もっとも、二次創作ではしばしば男性とカップルであるが、描くひとによって彼が「ゲイ」であるかどうかはかなり微妙であるし、私が考察対象としているのは七海春歌という女性と結ばれる強制異性愛ストーリーである。そのうえ、恋愛エンドでは明らかに結婚を匂わせており(例によって春ちゃんが鈍感なのでピンと来ていないが)、「乙女ゲーム」のセオリー上、男女が結ばれて「幸せ」なのだから、「異性愛原理と家族制とを前提とせず他者の身体に関わってゆくこと」とは程遠いかもしれない。

 

 

 

しかし、友情エンドがある。

 

 

 

恋愛エンドでは、「普通」の逸脱に悩んだ音也くんが結局は七海春歌という女性と結ばれ、生育家族の逸脱を創設家族の「普通」で補うというストーリーになる。(「孤独」は異性愛の「結婚」をにおわす家族制で癒されてしまう。)乙女ゲーム=恋愛ゲームの宿命である。

 

 

しかし、友情エンドは違う。「友情」エンドの名前の下で、同室の一ノ瀬トキヤという男との絆が物語を動かし「エンド」を迎える。

そもそもこの音也√における一ノ瀬トキヤのセリフは、「乙女ゲーム」のセオリーを覆しかねないシンデレラストーリー破壊の強烈な一言である。

 

「家族がいればそれだけで幸せとは限りませんよ。」

 

 

Sweet Serenadeトキヤ√でも長々と述懐されたトキヤの家庭環境であるが(現時点で私はDebutトキヤ√未履修)、こんな風に「王子様とお姫様は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」のその先を「めでたし」で終わらせない男が王子様ソングを歌ってる狂気の話は置いておくにしても、これは異性愛原理と家族主義への強烈なアンチテーゼである。

「普通」でない、「家族」を知らないともがく一十木音也に、「普通の家族」だからって幸せになるとは限らない、とコメントする。もちろん、この8月の段階では「でも死んだらもう一度話すことはできない」と正論で音也は返す。だけど、そこで返された論点は親の生死についての論点で、トキヤが伝えたかった「家族=幸せ」の理想像にこだわる必要はないという論点については未回答のまま、センシティブな会話ゆえに終了する。

 

 

そして、友情エンドの終章で、「歌えない」状態から一十木音也を引きずり上げるきっかけを担うのは、一ノ瀬トキヤだ。

 

 

先にデビューを決めたトキヤが、ソングステーションで歌うから観に来い、と誘う。そして、意味深すぎて司会者も「おおー!大胆告白か~」的な茶々を入れざるを得ないコメントともに歌を披露する。

これまで散々、七海春歌が懸命に手を握り愛を伝え、抱きしめ、自分ひとりでしか戦えない内面の葛藤を支えてきたにも関わらず音也くんはずっと復活できなかったのに、一ノ瀬トキヤの歌はものすごい勢いで物語を動かし、音也を光へと連れ戻す!!!

 

 

この歌で、一十木音也は復活し、再び「歌える」ようになる。

 

「俺の歌はいつだって自分の心に正直じゃなきゃダメなんだ。それが俺のスタイルだから!」

「トキヤの歌とメッセージを聞いてやっとわかったんだ。俺が本当は何をしたかったのか。」

 

 

友情エンドにおけるOver the Rainbowは、「自分の心に嘘をつかずに正直に歌う」というこれまでの音也らしさの延長のように見えながら、人に好かれるような自分だけを見せるのを辞める、という意味で断絶した「自分の心に正直」な歌。

つまり、「普通」じゃないけど「ぜーんぜん大丈夫だよ!」と見せるために水面下でバタバタと泳ぎ続けていた脚を止めて、全然大丈夫じゃない日もあるし哀しいこと、苦しい日もあるし、明るいだけじゃないけど、そんな自分が「本当の自分だよ」と。

 

この記事では音也くんの「普通の偽装」を切り口に彼の「ゲイネス」に迫ってきた。だとすれば、トキヤの歌とメッセージを聞いて「普通の偽装」を辞めるのであれば、それはある種のカミングアウト、暴露のメタファーだろう。

「いつも明るくニコニコしていなくちゃ」(「普通」のフリして周囲に馴染まなきゃ)から「自分の心に正直になる」(これが自分だ)へと切り替わり、歌うことを決意する。

心の奥に封じこめていた自分のみないフリをしていた感情と向き合って解放するというストーリーは、明らかに暴露的だ。

 

しかも、それはトキヤによって解き放たれる。

 

 

さらに、友情エンドはソロライブを開催し、その舞台裏での音也とトキヤの決意表明で締められる。

 

音「この一歩を踏み出せば、俺たちは別々の道を歩き出す。二度と振り返ることはない。」

ト「互いに道は違っても、目指すべき場所は」

2人「「ただ一つ!」」

音「トップアイドルになるその日まで、俺は走り抜いてみせる」

ト「あのステージこそ、あなたの行くべき場所。進むべき未来です。」

 

 

「家族」をめぐり「孤独」を抱え、そこから再生するストーリーとしてDebut音也√を捉えたときに、このエンドほど苛烈な、それでいて解放的なエンディングはない。

 

恋愛エンドでは、音也の見つける居場所は「ステージ」であることも示唆されていると同時に、そのあとに春歌ちゃんと向日葵畑に行って抱きしめるスチルで締められるので、春歌の「傍」もまた音也くんの居場所になる。春歌のところが「ただいま」と「帰る場所」になる。「家族」の不在は、新たな「家族(=お嫁さん)」によって埋め合わされ、その意味で家族主義的だ。恋愛エンドは、音也が生きる「居場所」はステージであり春歌の傍でもあって、特にスチルはステージから降りた向日葵畑のスチルであるので、二重の居場所のうち、特に恋人との幸せにこそ比重が置かれているのかもしれない。(だって「恋愛」エンドだからね。)(私の感想はステージ重視でしたが。)

したがって、「家族がいるからって幸せとは限りませんよ」というトキヤのセリフは遠ざかって忘れられていく。意地悪な言い方をあえてすれば、音也と春歌がトキヤの両親のようにならない保障はどこにもないのにもかかわらず。

 

 

 

 

一方、友情エンドでは、音也の生きる場所は「ステージ」としか解釈のしようがない。

ステージに立つのは、ひとり、でもライバルがいるから走り続けられる。

 

 

2人の男がハイタッチをして別々の道へと歩きだす。
(ハグをする男女のスチルとなんて対照的なのだろう!)

 

 

「普通」にも「家族」にも確約された幸せはない。だったら、苛烈な「ステージ」で生きていく。

未来は、異性愛でも家族主義でもない身体的なつながり、つまりゲイネス的な場所にある。

 

 

 

 

このように二つのOver the Rainbowは、「ゲイネス」という点において奇妙な交差をしているように思えてならない。

 

 

そして、それこそが一十木音也の底知れない魅力につながっている。

ステージに賭け、逸脱すらも輝きにして背負い込めるようなスター性。

孤独を埋め合わせないまま走る者の渇望が滲む温かくも鮮烈な歌声。

 

 

 

繰り返し言えば、これは一十木音也くんの性の在り方の話を直接にしている訳ではない。

ジュディ・ガーランドはゲイネスの象徴である」という言い回しがあるように、その人自身とその人の象徴的なメッセージは異なる。

 

Debut後の音也くんの活躍はまだ知らないが、「普通」との格闘を経て"Over the Rainbow"を歌う彼はその道の始まりにいるような気がする。

 

何より音也くんのOver the Rainbowは「いつの日か太陽になりたい」と歌い上げる。「太陽」そのものになるのは不可能であるから、ここで言う「太陽」は何らかの意味で象徴的な存在であろう。

ステージの上で何かの象徴になること、それは本当に孤独なことだ。ましていわんや「太陽」などになってしまったら、自分自身すらも焼き尽くしてしまうかもしれない。「すべてを失くしてもいいからこのステージに立ちたい」は、「太陽」のメタファーと合わせて考えると、あまりに苛烈で、だからこそ大衆を惹きつけずにはいられないスターへの道を開く。

つまり、Debut音也√友情エンドは、「家族」=「幸せ」=「孤独じゃない」の考えに蹴りをつけ、徹底的に「孤独」であったとしてもステージで太陽になることを選び取る物語になる

 

 

ちなみに、詳しくは「ジュディー虹の彼方に」という映画を見ていただきたいのだが、もう一つのOver the Rainbowの歌手であるジュディ・ガーランドはそれはそれは波乱万丈な人生で、まさに自分自身を焼く炎で輝き、焼き尽くされるように死んでいった。

映画の中で、彼女は「業界」で生きるために子役時代からのドラッグ中毒でヘロヘロ、40代後半にして歌う曲を忘れステージ上で倒れるほどにエンタメに魂を食われている。出会う男たち(異性愛)は、離れていき、必死でしがみつこうとした「母親」という地位も手放さざるを得ない。

 

 

じゃあ、ここで壮絶な覚悟を持ってステージに立つことを決めた音也くんの未来は、まぶしくも苛烈で、自身の輝きで燃え尽きてしまうような明るくも悲しい太陽なのだろうか?

 

 

否。

 

音也くんには、最高で最強のライバルがいる。

 

 

一ノ瀬トキヤがいる。

 

 

燃え尽き燃やされることすら許さない。太陽になると言ったなら、輝き続けなさいと、同じくステージに賭ける男が共に走り続けるのならば、そんな未来は来ないだろうと、私は確信している。

 

 

 

 

最後に、もう一つのOver the Rainbowの歌い手であり、映画で描かれるジュディ・ガーランドの人生もまた苛烈で解放的なので、映画のネタバレ込みで勝手に音也とトキヤの行く末を占わせて欲しい。

 

 

映画「ジュディー虹の彼方で」の中で、夫との関係が破綻し、子どもの親権も得られないジュディ・ガーランドは、映画の最後の最後で自分が台無しにしたために追い出されたクラブへと代役のショーを見に行きたいと言い出す。

(英語が得意じゃないので、聞き取りを微妙に間違ってると思うんですが文意は取れてるはずなのでスルーしてください泣)

 

 

"I'm still believing, you know, in love found in audience." 

「まだ信じているのよ。客との間に生まれる愛を。」(Amazon字幕版)

「それでもまだ信じたいの。スポットライトの中で愛されることを。」(HP予告編字幕)

 

 

 

そして、クラブへと向かい、ステージの光を見てこう言い出す。



"Could I give on just one song?"

「一曲だけ歌わせてくれない?」(Amazon字幕版)

 

 

直訳すれば、こうだ。しかし、映画の予告編の訳はまたもすごい訳がついている。

 

「歌わせて、ここでしか生きられないの。」

 

 

 

 

 

「業界」の中で、「普通」になんか生きられなかった彼女が最後まで選び続けた「ステージ」。その「ステージ」で生きること。

 

映画のラスト、Over the Rainbow を歌いきれない彼女を支えるのは、彼女の大ファンであるゲイカップル、そして観客たち。

 

ジュディ・ガーランドの人生には、観客との、スポットライトの中の愛があった。

 

 

 

じゃあ、一十木音也には?

もうひとつのOver the Rainbowの歌い手である、一十木音也にも、わたし達ファンとの愛があるはずだ。

そして、孤独なはずの「ステージ」に立つことを競い合うライバルである一ノ瀬トキヤがいる。

 

異性愛でも、家族主義でもない「愛」の中で、「孤独」を引き受けながらも歌い続ける。

そういう解放的な「愛」を描く、Debut音也√友情エンドは、私を惹きつけてやまない。

 

 

 

 

 

 

Debut一十木音也√感想

 

 

やっと......たどり着きました、噂のうたの☆プリンスさまっ♪Debutです。

音也√の感想です...。

確かにこれはまぁ重いっちゃあ重いけど、すごく真っ当なストーリーだと思ったしマジでプレイしてよかった......。遅刻間際ギリギリラストトレインからの、Debut....。

私はうたプリの「あ~そういうところを深堀するのか...」みたいなセンスが割と好きなので、Debutはドンピシャでしたね。

 

 

Debut、エンド分岐でだいぶ印象が違うので、この記事では恋愛エンド前提で話を進めます。(先輩エンドは言及する。)興奮したので、友情エンドは別記事になります。

 

ざっくり言うと以下のような目次で進みます。

 

・Debut空気が違う(寿先輩最高です)

・真っすぐな強さ

・ごめん、わたしもあなたに何かを託していたよ

・虹の向こうに何がある?

 

 

 

 

 

========

 

 

・Debut空気が違う

一十木音也くん自身の過去と未来の話に入る前に、Debutの空気感の違いというか段階の違いがすごい.....って話をまずしたい。

始章で「卒業オーディションと違い、明確な基準がない。どうしたらスターになれるかわからないのと同じ」と今回シャイニングから課せられた課題を春歌ちゃんは理解する。

 

ここがまずグッと来た。早乙女学園しかりどこか「実力主義」の傾向がしばしば見られたこれまでと違って、もはや客観的な基準がないと明言された世界。テスト勉強は頑張ればどうにかなるけど、その先はどうしようもないことが起こる。そういう段階に移ったことを自覚。

 

あと、マスターコースの寮ってなんで一回学園の寮出たのにそんなことに...?同室萌えか...?とか思ってたけど、一回春歌ちゃんと物理的に引き離されるっていう絶大な効果があるんだな、と。

なし崩し的に半同棲に近い寮生活を送っていたところから、物理的に離れて、それでもプロとして、恋人としてやっていけるか、という試練。恋愛ゲームとしても大きい試練。

 

そして、寿嶺二先輩の先輩っぷりがまたすごい。

付き人をしている春ちゃんをさらっと業界関係者に紹介して挨拶する縁をくれるところ、新人にはありがたすぎる...。

こういう所も、実力オンリー、音楽の力オンリーというよりは、業界人としてやっていけるか、みたいな所に着目してる。

音也と春ちゃんが朝までいちゃついていたことで遅刻しそうになる場面では、あえてみんなの前で大げさに怒ってくれる。めちゃくちゃ責任ある&教育的配慮の行き届いた人だ......。怒るのだってエネルギーがいるし、「れいちゃん」のキャラから外れるから自分のリスクだってあるのに、育ててくれる。

 

特に、この遅刻の場面とか「あー苦笑」と思ったんだけど、音也&春歌18になる年で高校3年生くらいの年齢な訳で、しかも「学園」時代からのパートナーとやってるわけだからすごく「学校」と連続的な世界で生きている面もある。それを嶺二が「それじゃダメだよ」って言う。

大学生バイトがへら~ってしてるみたいなああいうモラトリアム状態から、もうそうじゃないでしょ、とはっきり言う。それがDebutなんだ!とすごい印象づけられた。

(話は逸れるけどSS龍也√で春歌ちゃんがビジネスメールの書き方を教わる所もすごいリアルだなぁと思った。17歳ってメールの書き方もわからないよなぁ...と思って。)

 

先輩エンドも、あえて厳しくするところと親しくする所のメリハリ、何より「マスターコースの先輩」をめちゃくちゃしっかりやってる。良き実務家が必ずしも良い教育者であるとは限らないと思うんですが、寿さんは良き実務家であり教育者でもあるというすごい人だ......。

それこそ、自分が何かを教えるときに全部知ってることは教えたくなるし、手取り足取りやる方がむしろ楽、的な部分があると個人的には思ってるんですが、あえて口出ししないとか泳がせるのバランスがすごい寿さんは上手で。

それでいて折れそうにならないラインを探っている。

ドラマの役とはいえ、演技で感情が爆発してる音也を抱きしめてあげるのがこの人で良かった...。演技しながら「あ、まずい」のラインを把握してシャイニーさんにも連絡しているし。本当によく見ている...。

 

 

なお、寿嶺二さん、芸能に魂飲み込まれてるやべぇ人だな...というのはマスターコースのドラマCDを聞いて思っていたんですが、その確信が深まってますます好きになりました...。

マスターコースドラマCDの寿さん、カメラ入るとか一言も言われてないし多分あのドラマCDも神の視点で結局カメラ入ってないと思うけど、仕事詰まっててシャイニーさんの懇親会しろって指令のことをめんどくさ!と思ってるのに、ド深夜に飾り付けしてパーティーを用意する。その後、王様ゲーム始める流れで「ウワッ....この人、テレビ的なふるまいに全人生が支配されてる....!!」と思って恐れおののいたんですよ。

随所随所で”テレビが過剰”な人だなぁ...というのが漏れ出ていて、その人の仕事スタイルが垣間見える強烈なドラマCDだった。

 

 

で、その人の音也√4月ですよ。
シャイニング早乙女探しして、勝ったチームはエンブレムか宝くじ1万枚か選ぶ。

そこでもだもだする後輩の会話をうま~く奪って「宝くじ!」と言う。

なぜか。そっちの方がテレビ的だから!!

 

何がきっかけかは今の私は知る由もありませんが、こういうエンタメの悪魔に魅入られてるアイドル見るとゾックゾクしてテンションが上がるし、そういう人を愛おしく思う性分なのでこのくだり本当に興奮した...。

春歌「仕事じゃない時まで常に考えているのって大変じゃないですか?面白くって言われても...」

嶺二「でも、ぼく達はそれを求められる。何をもって面白いとするかは本人次第だけど。人とは違う何かを見せて、より多くの人を楽しませる。そうじゃなきゃ人前に立つ意味はないよね。

 

この後、公私をなくせという意味ではない、と付け加えるところまで最強。

大人としての礼儀が真っ当だとか、教育者として見守る所と口出しするところのバランスが絶妙だとか、そういうスキルがある人がこれほどまでのスーパーアイドルなのが余計にすごいな....と。

 

ところで、シャイニング早乙女に「問題児だった」と言われてるのが気になりすぎますが、それはAll Starまで持ち越し、ということで。

(どうしようこの感想がフラグになってたら!)

 

 

 

 

・まっすぐな強さ

で、ここから本題。音也くんの話です。

 

 

 

これが強さじゃなかったらなんなんだ。

 

 

おそらくこのDebutが元になったと思われるレジェンドスターを初めて見た時も思ったんですけど、一十木音也さん、どん底に行ったあと、自分でもう一度歩き出す。

アニメで、音楽の力を受けたとはいえ、自分で瞳のハイライトを取り戻した時、すっごい感動した。

ゲームでも基本的にそう。

 

これがほんとうにすごい。

 

 

他人を、特に春歌ちゃんをカウンセラーにしないのが、本当にちょっと...とんでもない人で。

それは音也が本当の意味で心の底から頼っていい人がいない状態が長かったから、あえて大事なやり取りを忘れたり、ずっと持ち物を開けないとか、、、そういう対処療法も含めて、自分ひとりで自分のケアをして生き抜いてきたから。

 

だから全体的に乙女ゲームか?っていうくらい二人のストーリーというよりもむしろ、音也のストーリーとそれを見守る春歌ちゃん、みたいな作りなのが...まぁ制作陣の心意気を感じる。「一十木音也」を描きたいっていう。

 

 

というのも、何が衝撃的だったかって一十木音也√恋愛エンドの着地点。

(親に気づいて欲しいとか、早く自立したいとかもあるけど)

「もっと単純に、俺は子供の頃からこのステージに立ちたかった。ここが俺の目指していた場所なんだ。」

 

 

父親に気づいてもらわなくてもいい、とまで言う。

たぶん、ここ春歌ちゃん、ハッとしたと思う。直前まで「いつか誰かが迎えに来てくれる、俺を愛してくれる人がどこかにいるんだって。そう信じ続けていたかったんだ。」と言っていた人ですよ。

 

なんというか.......話の着地点は「過去を受け入れる」になるんだと思って途中から見ていたのだけど、そこを突き抜けていく。

 

「音也くんはもう過去を見つめてはいない。未来を信じているんです。」

と春歌ちゃんがあのシャイニング早乙女に語るように、過去の受容を突き抜けて、前を向いて未来に意識を向けている。

それを、自分で母さんと過ごした地に脚を運んで変わってしまった景色に絶望し、忘れていたことに直面し、ずっと開けないでいた荷物を開けて虹を見つめるという荒療治を一人で、たった一人でやり抜いてしまって、その境地にたどり着く。

 

 

もっと春歌ちゃんをケアの女神にしたっていいはずなのに、音也くんはこの自分との闘いを一人でやり抜く。

そして、ブレイクスルーして未来を見つめている。

確かに春歌ちゃんは大事な存在だけど、良くも悪くもずっと手を握ってる、これが本当に大事ではあるけど、でも「それだけ」というか。
(”振り返ればそこには いつも変わらない笑顔で 俺を見守る君がいた”と歌っているように春歌ちゃんの存在は重要だけど、でも「見守る」しかしていないとも言える。)

 

もっと八面六臂の大活躍でアレコレお節介を焼いた結果、トラウマを乗り越えました!さすが!乙女ゲームのヒロインだね!音也くんを救いました!ってなるのかなと思っていたのに、音也まじでほぼ一人でこの地獄を駆け抜けた....。
(だからこそ恋愛エンドメモリアルで「でも、ひとりで悩むのはもう終わりだから」とようやく春歌がずっと傍にいたと認識して「ただいま」と言う。)

 

 

母さんと過ごした街が全く知らない景色になっている瞬間を一人で迎えて、ずっと開けないでいた荷物を一人で開けて、「心の奥に俺の知らない俺がいる気がして、なんだか落ち着かないんだ」って言ってたのに、自分でその心の奥底の蓋を開けて流れ込む仕舞いこんでいた「弱さ」と対峙する。

対峙した末に「親とかそういうの以上に、自分は子供の頃からここに立ちたかった」と自分の人生を自分の言葉で語りなおす。

 

 

 

自力で咲いた向日葵なんだよ。あなた自身が。

 

 

 

春歌ちゃんが街角で見かけた自力で咲いた向日葵の話を聞いたことをきっかけに、母さんと過ごした街へ行く。区画整理されていて、思い出の町は跡形もない。

「......何も......なかった。」

「俺がそこで生きていた痕跡も、思い出の欠片さえ何一つなくなって...。世界に俺一人だけ取り残されたみたいだった。」

 

こういう絶望を、彼女と仲良く手を繋いで二人で乗り越えるのかと思ったら、1人でそこに行って、1人で帰ってきて泣いている。そこに春歌ちゃんが来る。優しく後ろから抱きしめる。

 

 

Debut音也√で、なんどもなんども形ある思い出たちは壊れていく。大切にしていた寄せ書きも、思い出が詰まっているはずだった街も。

思い出、想い、願いは形あるものに宿らない。

 

音也の心の中にある。

 

「母さんは哀しみに負けず、まっすぐ上を向いて生きて欲しいって言ったのに...。俺は哀しみと孤独に押しつぶされそうで、怖くて、知らないフリをした。それを感じてしまったら立ち直れない気がして。」

 

そうやって「弱い」自分を嘆く9月の音也だけど、終章では未来を真っすぐに見据えて歩き出す。

母さんの願いの通りの人になってる。「向日葵のように」という願いは、音也くんの心にずっと残って根を張って、時に呪いのように音也自身を縛りながらも、音也くんはその種をちゃんと心の中で育てて、強く、真っすぐに生きる。

ちゃんと、花は咲いている。

 

「支えてくれる人、信じてくれる人がいる」と人の想いを受け取ってステージに立つことができる。

 

母さんの願いが種ならば、形あるものは消えてしまっても、音也くんのなかでまっすぐに育ち、たった一人で音也くんはその種を抱え続けて、咲いた。

 

 

そういう音也くんが本当にかっこよかった。

1人で戦い抜いた。

 

まっすぐまっすぐ向日葵のように心の中の強さが咲いて、正面突破した。

 

 

 

 

 

 

・ごめん、私も君に何かを託していたよ

で、同じような話を春ちゃん側から言ってるだけなんですが......

 

 

急にメタいことを言うと、乙女ゲームのヒロインたる七海春歌は間違えない。

 

七海春歌ちゃんの発言は大事な場面ではいつも核心をついているし、ぐいぐい踏み込むし、大事なことを相手に気づかせて引っ張って行ってくれる所がある。
(リピレン√でお子様に人生相談する趣味はない事件があるとはいえ、あれは「踏み込んで」ミスった形だと思う。)

 

でも、音春の春歌ちゃんは間違えるし、いつも音也くんの傍にいて「引っ張る」という訳じゃない。

そして、プレイヤーである私自身も、ゲームの中では春ちゃんも「音也くんと言えば明るくてキラキラ!さわやかです!」と思っている。

(前回AASSL音也√の感想で「なんで音也は自分らしさを春ちゃんに何回も聞いてるんだ?」という宿題を残していたのだけど、まさかこんな形で回収されるとは。)

 

lovelifeenjoooooy.hatenablog.com

 

だから春歌ちゃんは、そういう自分の中の託したい音也くん像を仮託していたことを悔やむし反省する。

音也くんは太陽みたいな人。少なくとも、わたしは彼の温かい笑顔と明るい声に励まされてきた。

でも本人はそうではなかった...?自分の印象を彼に求めていただけなのかもしれない。

それは音也くんにとって負担でしかない。そう思うとわたしは、自分のしてきたことに何も言えなくなった。

 

 

 

ちなみに、私は一十木音也くんに「怒り」を託していた。

私の10代のときのどうしようもなさは一番近い感情でいうと「怒り」だった。「大人」を許せなかった。

リピのあなたは、そんな「あの頃」の、16歳の私の前に現れたみたいだった。

 

早乙女学園で堂々とルールを破って高らかに宣言する音也くんは、不合理なルールに腹を立てていたあの頃の私の前に現れて救ってくれたような気分になった。

だから私はリピ音也のそういう所に惹かれていたし、AA音也√の「大人になるってどういうことだろう?」というのも、そういう不合理さを作り出した「大人」の側に近づくことへの不安なのかと思って読んでいた。

だって、私が17歳のときには、そういう人に一緒にいて不安を共有してほしかったから。

 

音也くんはそうやって、いろんな人が勝手に思いを託して焦がれたくなる人なのだと思う。

ごめん、私もあなたに何かを託していたし、そうやって愛していたんだ。

 

 

「君が好きになってくれた俺は、元気で明るくて前向きな奴なのかなってさ。」7月

 

春歌ちゃんはこれに「そんなことないよ」って伝えようとしたのに遮られる。

この後も、音也くんはどんどんドツボにハマっていくし、どこか調子が悪い様子なのだけど、誰もその核心に踏み入ることができない。トキヤはもちろん、これまでの他の人の√ではここぞ!のタイミングで踏み込むことを躊躇わない春歌ちゃんが、聞けない。(というか今、思い返すと音春の春歌ちゃんは必ずしも踏み込み力高めという訳じゃなかったな...とDebutを経て気づかされた。)

わざわざ公園で待ち合わせをするのも、明らかに訳アリなのに聞き出せず、違和感を積み重ねるばかり。

 

 

その後の春歌ちゃんも、音也くんの傍にいままでもこれからもいることを伝え続ける。

派手に想いの丈を叫ぶとかじゃなく、寄り添って、手をつないで、「ここにいますよ」って伝える温かさと踏み込みすぎないのが、音也くんの春歌ちゃん。

"大好きだから傍にいたい。ただそれだけなんです。"

ってさっきまでのセリフと同じことをモノローグで言ってしまうくらい何度も何度も春歌ちゃんは「傍にいる」って言うし行動に移すけど、簡単には音也くんに響かない。

「この手を離さないで...。一人じゃないって実感したいんだ。」

「俺、ひとりじゃ.....ないんだね。傍にいてくれてありがとう。」(9月終わり)

こうやって音也も実感してはいるんだけど、Debutで音也くんが抱えている問題はマジで自分との勝負だから、手を握ってもらったからすぐに脱出できるというわけでもなく、終章の中盤以降にならないと光を見出さない。

 

 

なんだかんだで一人でもう一度前を向ける音也くんの強さと、その傍にずっとい続ける春歌ちゃん。

 

自分自身と向かい合うことは自分自身との壮絶な戦いなんだ。(9月)

 

 

中庭で泣いている音也くんを抱きしめながらのこのモノローグ。

音也√の春歌ちゃんは間違えるし踏み込まないけど、音也くんの中で起きている壮絶な戦いをしっかりと認識して、その戦いは音也くんが一人でやりきらなくちゃいけないからこそ、そっと後ろから抱きしめてエールを送る。

 

乙女ゲームのヒロインらしからぬ、全能じゃないし、音也くんは基本的には一人で復活するので癒しの女神でもないけれど、その人の中にある他人が決して代わって戦ってあげることのできない戦いを理解する音春の春歌ちゃんが素敵だなと思いました。

だからこそ作曲家として自分の領分でできることを頑張る。

 

 

 

 

 

 

それにしてもDebut前半の5月~7月くらいの音春いちゃいちゃタイム、めっっっちゃ良かった......。ちょうどいい甘さでこの辺はまだ乙女ゲーム楽しむ余裕があった...。

「不器用な愛のボリューム調節ができない」とか言っていた男の影は跡形もなく、ばっちり愛がチューニングされてた...。春ちゃんの耳元で優しく囁くスタイルになったのが天才すぎる...。リピは大暴走だしAAはどうやって愛したらいいのか困ってた姿を知っているからこそ、チューニングばっちりで春歌ちゃんをドキドキさせて愛してる音也くんの栄養が豊富すぎた...。

もちろんエッチな音也くんも健在なのでマスターコースの寮でトキヤと寿先輩がいないからっていちゃついてるときに

「ん?もしかして悪いことしてる気分になっちゃった?」

「そっか...。じゃあ、もっと悪いこと......する?」

 

は~~~~~~~~~~~~っ(肺いっぱいに音春を吸い込む音)

 

しかも囁きでこれ言ってくるのが(頭を抱えて)

 

春歌ちゃんもちょっと慣れてきて、プライベートな俺はどんなイメージって聞かれて「今はちょぴり大胆だけど、私の大好きな、ひとりの男性...。今の音也くんは彼氏の顔をしています。」って「大胆」認定されてるのが良すぎる........。

 

もっとも、いろいろ経ての恋愛エンドは

「愛した数だけ歌を作ろう。君へのラブソングを...。ギターサウンドをラブレターにして、君の心に届けたい。」

 

名セリフ過ぎる。

そんでもってみなさんこんな言葉をご存じの状態でLOVE SONG FOR YOUをくらっていたんですね......。

 

 

 

はい。音春ちゃんの話も無限にできるんですが、ここでまた真面目な話に戻してこの記事を締めます。

 

 

・虹の向こうに何があるの?

 

 

虹の向こうには、何もない。

というか、行けやしない。

 

行くときは、彼岸だ。死ぬときだ。生きることを選んだら、行けない。

 

 

"Over the Rainbow”って本当に切ない。

 

終章Over the Rainbowで母親は死んでいると思う、虹の向こう、という話をするところからして虹の向こうは彼岸なのだろう。

音也くんは、両親に会いたかった。迎えに来てほしかった。

 

「いつか誰かが迎えに来てくれる、俺を愛してくれる人がどこかにいるんだって。そう信じ続けていたかったんだ。」

 

そして誰かが迎えに来て、孤独から抜け出すことは「大人」になることだった。

 

「俺さ、子供の頃、大人になれば哀しいことなんか何もない。幸せに暮らせるって、ずっと思っていたんだ。」

「でも俺、いつまで経っても大人になれない。」

「俺だけ全然。寂しがって泣いている子供のまま。この孤独から抜け出したい。早く大人になりたい...。

 

6月には「今が楽しいからずっとこのままでいられたら、なんて思っちゃうよね。大人になったらどうなるのかわからなくてちょっと怖い気持ちもある。」と漠然としていた「大人」像が心の蓋を開けて明確になった9月には「孤独ではない」と提示される。

でも、それが「彼岸にいる両親が迎えにくる」ことだとしたら、その「大人になる」は文字とは裏腹に生き続けることを意味しない。

 

そして、自分自身との闘いを経て、ソロライブのステージに立つ前の音也くんはこう言う。

 

「俺の居場所はここにあるから...。それにもう泣いているだけの子供じゃない。」

 

 

ここで、「大人になる」と「虹の向こうで孤独を脱出する」は切り離される。

居場所は、虹の向こうじゃない、ここにある。

春歌ちゃんが傍にいる。トキヤもれいちゃんも、ファンの人もいる。

 

ここで生きる、と音也は言ってるんだと私は思った。

 

「約束された明るい未来なんてない。自分の力で今日を輝かせて、明日を作っていくしかない。」

 

時間の流れに身を任せて、気が付いたら年齢を重ねて「大人」になって、ぼーっとしていても孤独を脱して幸せになって哀しみなんかもう消えている。

そんな未来はやってこない、と覚悟する。

その上で、勝手に流れる時間じゃなくて、人生のページを自分で書いてめくっていく。そういう今日の繰り返しで明日を作って、生きていくという宣言。

 

死ぬんじゃない、生きていく!!!!

そういう未来を選び取る。

 

終章の最後の最後で両親に感謝する音也は圧巻としか言いようがない。

「産んでくれてありがとう!」と言って、自分の生を祝福する。

春歌ちゃんも

音也くんの微笑みを見ていたら、生まれてきて良かった。産んでくれてありがとうと言っているように思えた。

と音也の表情を語る。

 

 

死への希望ではなく、産んでくれてありがとう、と感謝して、生きることの覚悟を示す。

「虹の向こう」へと行かずに「ここ」で、生きていくことで「大人」になることを選ぶ音也くんのなんとかっこいいことか......!

 

 

Over the Rainbowという曲は、虹の向こうへと行けないことをどこか示唆していてそれは愛する人と会えないことを意味して、どうしようもない喪失感を抱えたまま、それでも生きていくこと、それは素晴らしいことに違いないという想いを歌いあげている気がする。

 

なんていうか、この曲は、生存証明。

決意に満ちた人生賛歌。

 

 

これからも、いままでも、生きていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

私、うたプリに遅ればせながら出会って、本当に生きてきて良かったって思ったんです。去年の9月に。

というのも、私がうたプリを小耳に挟んでいたのは10代の頃で、なんていうか......10代ってうっすらどこかで死にたくないですか?なんかそういう思春期のどうしていいかわからないけど、ヘラヘラ笑って「若いっていいわねぇ~」って思われているような、実際は世界全部クソくらえ!って思ってるみたいな時期に、彼らとすれ違っていた。

 

で、まぁいろいろあって昨年、ようやくすれ違うことなく「巡り会う」ことができて、みんなすごいいい顔...人生を祝福する顔をしてて。

なんか事情はよくわからないけど、生きることで愛を知る、という風に生きることを祝福しているし、一緒に生きていこうと、時間を重ねていこうと言っていて、そういうセリフが出てくるってことは何かを乗り越えて生きていくことに前向きになった瞬間があったんだろうな...と。

 

そして私も、彼らに出会ったことでこんな風に何度だって愛を始められるのなら、誰かを好きになって生きていけるのなら、きっと10年先も恋して愛してきっと元気に生きていくことができる、そう思えて「ああ、生きるのって悪くないな」って。

そう思えるような10年後......正確には12年後に来たんだ、と。

 

人が沼に落ちるときってどこか弱っていたりする時だから、こんな風に思ったのかもしれないけど。

うたプリって、生きることを祝福している。だからYOUR BIRTHDAY本当にいい曲で....(話が逸れる)

 

 

聞いてない話が長くなってごめんなさい。

要するに、そんなプリンスである音也くんが「生きよう」と「歌おう」と思った人生の大事な時期をこうやって七海春歌ちゃんと心を重ねながら(ゲームのプレイヤーとして)生きることができて本当によかった。

「生きる」を選んだ瞬間を知ることができて本当に良かった。

 

 

しかも、音也くんが「生きる」を選んだ「ここ」がステージの上だったから、私はあなたに巡り会うことができた。

 

「でも今はわかるよ。ここで歌うってことは、自分のすべてを賭けるということ。ひとつ間違えば全てを失うとわかっても、俺はこのステージで歌いたいって思った。」

 

音也くんが選んだ「虹の向こう」じゃない、「ここ」「居場所」は厳しい場所だった。

 

だけど、そういう場所で輝くアイドルだから、私はあなたに巡り会えた。

 

 

二度とは戻れない一本道の先へと、生きて生きて、輝き続けてくれてありがとう。

あなたは私の心を照らしてくれた。

 

 

 

 

Debutのその先、夢のその先の未来で、あなたは間違いなく、私の太陽です。

 

 

 

 

 

 

AASSL日向龍也√感想

 

正直言ってマジでビビっている...。

うたプリ、深すぎない??????

 

 

超舐めてた....。

そもそもマジLOVE1000%のインパクトが強すぎて、トンチキギャグアニメの印象があり、リピもそしてAASSもまぁ確かにトンチキ要素は重要なんだけど....えっ?深くない???こっわ.......。

 

 

 

ということで、日向先生√の感想です。

相変わらず言いたいこと言ってる雰囲気感想なので、悪しからず...!

ファンタジーとは理解しつつも、ちょっとコンプラ!的なツッコミもしていますので、その辺ご了解いただける方でよろしくお願いします!

あと感想の都合上、SS翔√やリピセシル√にも言及します...!

 

 

 

=====

 

 

 

 

うたプリ、深い.......。

マジで想像の5億倍深いじゃん。

聞こえてる~~~?リピ始める前に「乙女ゲームはちょっと...」とか言ってた自分~~~~~????軽率にSwitch買ってよかったね~~~~!!!

 

 

 

 

何が深いって、時系列よ。時間の深みが違うから、うたプリは時間を味方につけられてるんだな、と。

 

 

私は新規やりながら「こんなに時間を味方につけられているコンテンツあるのか...!?」と驚愕していました。

タツア新規なので、スタアワ然り、アンコールでマジLOVE1000%を持ってきて別にアニメとかよく知らない人にさえ「ああ!あの曲!」と言わせて音とともに当時を喚起させつつ、それとはまったく違う「今」を生きていることを感じさせる演出。

(ちなみに今週の話でいうとYOUR BIRTHDAY最高でしたね。この味は時間を味方につけた彼らにしか出せない~~~!!と思いました。)

 

 

どんなコンテンツにとっても「時間の流れ」は大敵。

フレッシュで新しいモノの方が流行するし、初期は宣伝にも気合が入る。

だからこそ、どのコンテンツもアイドルも「時間」との真剣勝負をして、この真剣勝負に負けたら、すなわちコンテンツの死!という状態でやっている。

 

 

だけど、うたプリのなんとも言えない「時間を味方につけている感」すごい。

熟成したワインの方が高価!みたいな、風味が違うよ.....。

それはファンの人たちが大切に愛してきたからこそなんだろうなぁ、とひしひしと感じています。

本当に一緒に生きて時を重ねること、古いことを味方につけて、愛し合って行けるなんて奇跡のようなこと。

 

 

ただ同時にゲームを進めるうちに、これは物語内在的でもあるんだな...!と発見し、今回の日向先生√で「ウワーーーーっ!!!うたプリ!!!深っ!!!」と感激するに至ったのです。

 

 

春輝ですよ、春輝。

 

というか、うたプリワールドの中の幾重にも重なり絡まり合った時間と関係性たちですよ。

 

 

最深部には早乙女光男がいて、琴美もいる。(そして実は光男√の春歌ちゃんとAクラス)

 

次に早乙女学園1期生の日向先生、林檎先生、そして春輝。

で、寿さんは早乙女学園で、あとカルナイの3人にあたる人たちの人生。(ここはまだ知らない)

そして、初期7人(アニメでいうところのST☆RISH)がいる、と何層にも折り重なっている。

 

 

 

そっか.....これか、こういうしっかりした時間の基盤みたいなものがあるから、そのあとに積み重ねる時間もまた愛おしく、苦しくも輝かしい予測不能の歴史になるのか...!!と。

 

しかも、それぞれの物語のなかでかけがえのない「今」「青春の時間」であったり、今回の龍也先生√のように「過ぎた青春」を胸に抱えながら生きる「大人」の時間であったり....。あるいはリピセシル√のように時間がゆがめられてしまいそうになったり。

それぞれがそれぞれに「時間」と向き合って、「今」と格闘している。

大人と子供、青春と過ぎた青春、過去・現在・未来。

朝日が昇り、昼間は焼け付くように照り、夕日は温かく、夜は月が光り、星が輝く。

時間の流れが全く違う表情を見せることと一日の太陽や星の輝きが重なり合うように光っていて愛おしい。

 

ずいぶんとポエミーになってしまったけど、龍也先生√の過ぎた青春の時間と、それを直視できるようになるまでの大人の格闘を見ててすごいそういう時間の流れのことを考えてしまって....。

 

「人ってのはどうやったって大人になっちまうもんなんだ。」(メモリアル)

 

 

 

 

 

で、春輝の話しますね。

林檎先生√のときにもハルハルの存在は出てきた訳だけど、日向龍也√はレベル違いの存在感で登場する。

 

春歌ちゃんが龍也先生のお部屋で何気なく手に取った「haruki01」を再生した瞬間の衝撃たるや......!!!!!!!!

 

えっ??熱情SERENADEのイントロじゃん!!!!?????

 

曲を先に聞き、そしてうたプリの世界ではあらゆる曲は七海春歌から生み出されているというのを前提にしていた人間への不意打ちがすごい...。

というか、うたプリのゲームって立ち絵と背景と音声とBGMだけで構成されている訳で、正直いまどき色んなエンタメがある中ではすごくシンプルな作りで場合によってはエンタメ体験に欠けることもあるはず...と、この意味でも舐めてたんですよ。アワーーーーーッ...乙女ゲームってこんな感じか~飽きちゃわないかな...的な。

 

そんなことない!!

 

「haruki01」を手に取ってかけた瞬間に耳に流れ込んだあの衝撃。この体験。

他にもうたプリはエンディングで曲がかかった瞬間の感動がえぐい訳で、これだけシンプルな仕掛けで人ってこんなに心を揺り動かされることができるんですね....!!

 

 

「haruki01」がかかった瞬間のプレイヤーとしての衝撃と、ストーリー内での春歌ちゃんの衝撃が重なって...ああ、これを聞いてしまったら忘れられないのも納得だな、と思わせる作り!!すごい!!!すごいゲーム体験だ......!!!

 

あと、後出しジャンケンみたいな言い方だけど、初めて熱情SERENADE聞いたとき、「2007年とかのアイドルが歌ってそ~」みたいな気持ちになったんですよ笑 あながち外れてなくて笑っちゃった!実際は2009年くらいの計算になるのか...?

 

で、春輝さんと龍也さんですよ。

 

 

でっっっっっけぇ感情!!!!!!!

 

 

 

なんだこの龍也さんと春輝さんの間のバカでかい感情。

 

個人的に「アッ...日向龍也√好きだわ...」ってなったのが、2章の泥酔して帰って来て、春歌ちゃんを春輝と勘違いする所。

ばっしゃばっしゃ泣いてしまった......。あのしっかり者で強い日向先生が、弱くて、みっともなくて、くるしくて、どうしようもなく生々しい大人で。

 

多分、春輝を失った生傷に定期的に自分で塩を塗り込んで、痛む心そのものを春輝の存在証明にして忘れたくないとすがってるみたいに見えて...。

「お前は俺に歌を遺してくれたのに、俺はお前の死の記憶とともに歌を封じた。あの頃の俺は、弱くてそうすることしかできなかった。」(友情エンド)

 

エンドではっきりと「弱い」と振り返るその姿。

 

お酒を飲んでも飲んでも忘れられなくて、もう取返しが付かないことはわかっているのに、どうすることもできなくて、くるしい。くるしい、飲む、眠れない、もっとくるしい、どうしようもない。

 

この生々しさにアアァ.......アアァ.......となってしまった。

 

それに、林檎ちゃんもわかってるから、踏み込まない。

「頑張って忘れようとしているから、蒸し返したくないの。」

龍也さんを見守ってる。

それが大人だと思う。人はそれぞれどうしようもないことを抱えていて、過ぎた時は戻ってこなくて、苦しさに立ち向かう勇気を必ずしも持ち合わせていなくて。

大事なのは、一緒にアルコールを流し込んでくれる人がいること、何も言わなくてもバカ言ってくれる人がいること。そういう友情が林檎ちゃんとの間にはある。

だからこそ、状況を打破できない。

 

 

そこに、「若さ」がやってくる。

Sクラスと七海春歌が!!!!!!!!Youth!!!!!!

 

リピのレン√春歌ちゃんとか顕著にそうだと思うんですけど、春歌ちゃんの素晴らしい歌声や才能があったら絶対に埋もれさせてはいけない!!!!絶対に世間に出す!!!っていうエゴに近い「作曲家」力(ぢから)がここで遺憾なく発揮......!!!

(そして回想からして春輝も似たような作曲家力(ぢから)がある人だった。)

 

 

すごいですよ。別に才能があったってその人がそれを好きじゃない場合もあるだろうし、自分の楽しみにしておくだけで世間に公表しないって方法もあるのに、七海春歌さんは素晴らしい歌声と才能、あるいは(春輝さんの)音楽があればそれは公表されるべきで、「アイドル」としてより多くの人に共有されるべき!って考えている。

あんなに控えめな女の子なのに、そこの確信が揺らいでいない。

「先生に私の歌手になって欲しい」

とまで言い切る。(3章)

まだ事務所所属にもなっていないのに、「作曲家」としての自我がばっちりあるし、その自我をごりごり押して、先生に歌って欲しい!!!と告げる。

 

 

今回はSクラスも乗っかって

トキヤ「なおのこと、私はこの曲を形にするべきだと思います。」

レン「この曲がリューヤさんの傷なのだとしたら、オレたちでその悲しい記憶を幸福に塗り替えよう。でなきゃこの曲がかわいそうだ。」

翔くんも、そうしたら先生も吹っ切れるかも、という。

 

 

これが、教育というか、「人を育てる」ことなのか...と言うと大げさかもしれないけど、龍也先生が若者たちを育ててアイドルにしたからこそ、こうやって若者に背中を押してもらえる。その構図が素敵で。

 

「......春輝。俺、またここに来たぜ。二度と来ないと思ってた思い出の場所にさ。」

「お前らがそれを歌いたいってんなら、俺に止める権利はねーよ」

「あいつの曲、思いっきり歌ってやってくれ!俺にできなかったことをお前らで、ステージにあいつを連れてってやって欲しい。」

 

春輝さんへのバカでかい感情と、そのデカさゆえに立ち止まっていた大人たちの背中を、haruki01に触発された若者たちが蹴る。

止まった時間が動きだして、日向龍也は思い出の場所に訪れることができる。

 

それで、かたくなに閉ざされた心がふわりと開かれる。

「ああ、わかってる。俺はお前の教師で、上司で......そんでもって、いつかお前の歌を歌う......歌手だ。」

 

作曲家の熱意があって、それに押されて心がほぐれて、「心」のある歌を歌う方へと歩いて行くことができる。今はまだできないけど、いつかできると誓えるくらいには考え方が変わる。

 

音楽がその関係性と変化には欠かすことができなくて、さすがうたプリ!!そうこれがうたプリ!!!

(なお、4章は早乙女学園内のトラップやらシャイニング早乙女との激闘やらトンチキ風味もいいスパイスになってて二重に『うたプリだなぁ~』って美味しかった!!!)

(「社長!取引先からお電話です!」の春歌ちゃん聡明すぎて大好き)

 

 

 

特に友情エンドやメモリアルで明かされるように、春輝の曲が日向先生にとって青春を生き抜く命綱だった。

「あの頃は夢も希望もなーんもありゃしなかった。けど、お前と出会って俺は変わった。」

 

総長をやってたけど別にそれが生きがいだった訳でもない。シャイニング早乙女に出会って、殴ることで発散もできず、だけど暴力の雰囲気から周囲とも馴染めず、どう生きていいかわからない。

そういう苦しさと孤独を抱えた10代の時に春輝は現れて、日向龍也に歌って、と言った。歌が日々を楽しくして、歌が絆を繋いで、歌が孤独を埋めて、歌が文字通り日向龍也を「生かして」くれた。

(個人的にリピSクラスの「白いシーツの中の孤独」やらHAYATOやっててしんどい人にとっての作曲家春歌ちゃんはそういう命綱的な存在だったと思うから、龍也さんも早乙女学園に生かされたんだと知ることができてすごいよかった...)

 

10代って、青春って生存に関わるようなしんどさを抱えるものだからね。

 

そして夢に向かって駆けあがって、武道館でライブして。

なのに、その歌の先で、自分を生かしてくれた歌を存分に披露するライブでの忘れ物、自分せいで、自分を「生かした」その人を「殺して」しまう。

 

だから「歌えない」。

「うたの」プリンスの世界で「歌えない」人。歌が大事で、歌が青春時代を生き抜く命綱になる世界だからこそ、それを失ってしまったら「歌えない」。

「歌」がどこまでも大切な「うたプリ」だからこそこれは苦しくて苦しくて。

 

そして、その「死んだように生きる」(月宮先生が「見ていられない」と言うような日々)に変化を与えるのもまた音楽。そして、作曲家である「七海春歌」。

 

これはアニメ世界線のセリフだけど「闇に光を灯し 荒れ野に花を咲かせ 心を大空に旅立たせる 音楽は世界を変える」ってまさにこういうことだ...!!と改めて思い知らされた。

閉ざされた心に光を灯し、ふさぎこんだ生活に潤いをもたらし、心を軽やかにして、見える世界を変えていく。

 

そういう音楽の在り方を、春輝と春歌、二人の「春」が教えてくれる。

(そして春輝が事故で死んで龍也先生の心が死んでしまうのは「冬」。)

 

 

ああ、本当に素敵だな。

こんな風に「音楽」を、「歌」を信じているうたプリの世界が私は本当に好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、春輝にでっっっっっけぇ感情抱いてるのはいいんですよ。

人間、20代後半にもなればでっっっっっけぇ感情抱いている同性がいて、その人との関係が様々な理由で破綻していたりするもんだと思うので。

 

 

 

そのでっかい感情が七海春歌への感情と重なっちゃってるじゃん.....

春輝が亡くなったシチュエーションと重なってしまう、春輝みたいな音楽、優しさ。

「女では初めて」のフレーズ。

 

 

ごめんけど、大人として結構、いやだいぶやばくない????

 

そしてこの「やばさ」が日向龍也√の私的な魅力なので、ほんっっっとうに罪な男ですよ、、、、龍也先生........。

 

 

だって、相方を失った悲しみのケアを10歳以上年下の女の子に背負わせてしまっているし、相方への感情のデカさと恋愛感情がぐっちゃぐっちゃになっている感じがする。(しかも自覚してるよね)

その上、自分は春歌ちゃんにとっては「先生」で「上司」で憧れの「アイドル」の一人でもあって、しかも10代の子にとって20代後半ってめっちゃ大人に見えるもんだからそういうアドバンテージもフル活用な訳で...、言葉を選ばずに言うと、ずるい!

あと、月宮林檎√では「日向コンプライアンス龍也」みたいな感じだったのに、自分の√だと仕方ないとは言え春歌ちゃんと二人っきりの仕事場なの、シャイニング事務所はマジでちゃんとコンプラ研修やった方がいいよ!!!爆笑 林檎先生のときも思ったけど!!笑

 

 

そんなこんなで大人として10代の女の子相手にそれはちょっと.......感が溢れているのだけど、そうせざるを得ないほど龍也先生の心は閉ざされていたし、仕事以外で笑えないほど限界で。あんなに強くてしっかりしていた日向龍也がそんな状態だったなんて............。

しかも、そういう大人の「どうしようもなさ」みたいなのがめっっっちゃ似合う....。何度も言うけど、泥酔して帰ってくる箇所、好きすぎる。マジで好きすぎる。前後不覚で帰宅して春輝の幻覚見てるの切なすぎるよ........。

あとセクシーだよ......。

 

春輝のことがあったから龍也さんは春歌ちゃんに対してとても過保護だし、武闘派だから「俺が守る」と思ってるし、実際そういう場面もあるけど、なんだかんだでharuki01の音源にこだわって曲を作った春歌ちゃんのガッツとか、”怪談のときみたいにわざと怖がらせてるんだな”と気づく聡明さとか、もともとの明るく温かな所に救われている所が大前提にある。(龍也先生√の春歌ちゃんは作曲に加えて仕事もしててスーパー優秀だし...。)結局は春歌ちゃんに「救ってもらった」文字通り大きな身体の「大人」がここにいる訳で、そういうギルティさがなんだかんだで龍春の素敵なところに繋がっている......。そこがすごいなって。

 

 

乙女ゲームの√じゃなかったら、シンプルにハラスメント事案一直線なので、このどうしようもなさと、日向先生本人のセクシーでかっこいい魅力と、春歌ちゃんのかわいらしさ(根っこの部分では日向龍也が情けなく弱い大人で、春歌ちゃんがそれを救った天使である)が絶妙なバランスで成り立ってるな.......美味しい...........。

 

 

ちなみに私が初見で「ずるくない???」と叫んだのは大恋愛エンド。

「気持ちくらいは通じあったっていいだろ?

お前が一人前になったらちゃんと付き合ってやる。

だから、それまでは今のままで...」

 

日向先生だからそんなことないって言えるけど、フツーの10代に手を出す男だった場合はヤバイ台詞ですよ...都合のいい若い女一直線すぎる....。いや、わかるよ、この文脈では日向先生は春歌ちゃんの将来を思って、そうだってSクラスの担任ですからね......夢と恋を両立させるべくこういう言い回しをしている訳で....。でもさ......!!!!

 

春歌ちゃん「......嫌です.....」

 

私「よく言ったーーーーーー!!!!!!」

もうここまで行ったらちゃんと付き合ってもらおーーー!!!

 

「お前...俺の恋人になるってことがどんなことが本当にわかってんのか?ガキの遊びじゃねーんだぞ。」

 

か~ら~の~

すっっっっっごいキス!!!!!

 

ねぇ~~~~20代後半~~~~~~~~~~~~(じたばた)

あ~~~~~~~~っ~~~~~~~~~~~もうさ~~~~~~~(頭を抱えて)

 

いや~~このキスよりすごい音楽を作るのは大変っすね!って感じです!!

(ちなみに恋愛エンドでもめ~~~~っちゃすごいキスで笑ってしまった。すごいキスすぎる。先生スゴイ.......)

 

本当、ずるさとエロさと、なんだかんだで優しさと弱さと。

最後の最後は「お前が好きだからこそお前の夢を守りたい」とSクラスらしいところに落としどころを見出していて流石です!となったけど、途中めっちゃズルい男の片りんと、10代に手を出してるガチ感が出て若干不安になったりドキドキした、笑

 

ちょっと歪なところが私的龍春の魅力だな....本当に。

 

 

 

 

 

 

ここからは龍也先生そのものというよりは、龍也先生を知ったことでSクラスの面々の見え方がまたちょっと変わったっていう話。

 

リピの時から何気ないSクラスの「クラス」としてのまとまりというか、助け合いが素敵だな~と思っていて、特にSS翔√ではみんなで「卒業パーティー」をやったり、なんだかんだで困った時に助け合うし「青春」感があるな~と。

 

今回、龍也先生のメモリアル等々を見て、担任の龍也先生が「青春の時間」をとても大切にしていて、だからこそ、そういう空気がSクラスにはあるのか~~!!と。

春輝と林檎と過ごした時間が、暴力とは違う生き方を日向龍也に教えてくれた大切な時間ってことな訳で。

どれだけ早乙女学園が特殊な学校でも、きっとそういう時間を過ごして欲しいと思っているところもあるはずで、それを強制感を出さずにうまくやってたんだろうな...と。いい先生だ~~~~!!!

 

 

 

そんな風に龍也先生のことを知ると他の√の見え方が変わるのもあって、特に翔√!!!!!!!!!

 

翔くんが憧れているアイドル日向龍也だからこそ、翔√だけ日向先生の存在感がとんでもないじゃないですか?ソングステーションもあるし、そもそもの翔くんと日向先生の出会いもある。個人的にはリピセシル√で翔くんと薫くんが出てくるところの日向先生の大奮闘が大好きなんです。(神社スキルもフル活用だし。)

ここまで一生徒である来栖のために身体張れるのはなんでなんだろう...と思ったときに、日向先生も日向先生なりに命の重さ、突然命が失われるということを体験していて、そういう切実さが妙に来栖を見る目に影響しているのかな...とか。

もちろん、他のみんなも親との死別等を経験してるのだけど、それは先生に話したり知る機会があるタイプのものじゃなくて、リピセシル√みたいになったときのあの頑張りが引き出される背景には絶対春輝がいたよな......と思いました。

(なお、今回の龍也√で突然林檎ちゃんがライバルになる所は、リピセシル√で春歌ちゃんの唇を奪った林檎先生を思い出してニヤニヤした!林檎先生はああ見えて、くるっと裏切ったりする役回りをさせると上手だし、そうさせたくなるようなつかめなさがあるな~と実感)

 

日向先生√のメモリアルからもかつての来栖翔との出会いが描かれていて、日向先生にとっては何気ない日常の一幕のはずなのに、忘れられないということはそれだけインパクトがあったってことだよなぁ....とか。

 

 

あと、春歌ちゃんが2章で日向先生に「わたしが同じ立場だったらきっと先生には歌い続けて欲しい」「自分が曲を作れなくなったことで大切な人が歌えなくなるのは悲しい」と話す所で、SS翔√~~~~!!ってなりました。

SS翔√では、翔くんから俺にもしものことがあっても曲を作り続けて欲しいと日向先生に預けた手紙を通じて翔くんから懇願されていた春歌ちゃんが、日向先生√ではパートナーを亡くした日向先生に「歌い続けてほしい」と言う。わ~~~因果~~~!!

何よりSS翔√でも日向先生は春輝を失っている訳で(リピ翔√で日向先生はワンフレーズだけ歌う)、どんな気持ちで翔くんから手紙を受け取ってどんな気持ちで送り出して待ってたんだ..........。

 

こんな風に日向先生サイドから翔√のことを考えられるような部分もあって、これだからうたプリワールドは.........!!!!好きだよ!!!

 

 

 

 

 

ということで、日向先生√もエンジョイしました!わっしょい!

そしてこれで、とりあえずAASSLのメインのルートはクリアした!やったー!!

 

 

侮るなかれ、乙女ゲームうたの☆プリンスさまっ♪」。

ゲーム2作目でもそれぞれのいろんな面を知ることができて、それに一緒に見た景色は忘れられなくて(特に音也√の海と那月√大恋愛エンドの海は忘れられないかな。)、ああ...こうやってうたプリファンの中には彼らと見てきた景色が蓄積されていっているんだと感じることができたのも本当によかった....(噛みしめ)

 

 

とりあえずAmazing Aria & Sweet Serenadeお疲れ様でした!

 

 

「人形」としてのうたの☆プリンスさまっ♪

 

 

スーパーおもろい本を読んだ。

菊地浩平「 人形メディア学講義 」

 

 

いつもは乙女ゲームたる「うたのプリンスさまっ♪」(通称うたプリ)の各ルートの感想やその他うたプリ現場の感想を書いているブログなのだが、おもしろい本を読んだので、その本の感想をうたプリと絡めて書かせて欲しい。というかめっちゃ書きたいから書く。

 

なお、先に断りを入れておくと私は昨年9月の映画「マジLOVEスターリッシュツアーズ」からうたプリのファンになったいわゆる「スタツア新規」であり、さらに言うと文学部出身でもなく演劇論や批評についての学術的訓練をいわゆる「ぱんきょー」レベルですら受講したことがない。

つまり、分析対象であるうたプリそのものについても、分析道具である人形論についてもスーパード素人である。

だけど、おもろい本を読み、世界がぐるんっと広がったからには何か感想を書きたい!ブログだったら許されるよね!レポートじゃないし!っていうゆる~い感じで書いている。しかもレポートだったら許されないけどうたプリオタクのブログなので、結論は「うたプリ最高~!」と決まっている。

 

なので、まぁいろいろ許して欲しいし、むしろ私より詳しい人が「うたのプリンスさまっ♪」でもっといろんなことを書いてくれ~の気持ちを込めている......。

うたプリで卒論書いたよ~って先輩ファンは山ほどいそうな気配がするので、あなたの卒論を教えてください...!修論でも博論でもいいんですけど笑 お題箱はいつでも開いてます!!

 

なお、「人形」と絡めて書くので当然にプリンス達を「うたの☆プリンスさまっ♪という作品のキャラクター」として扱って記述している箇所が多々ありますので、気になる方はお気を付けを。

でも、「プリンスが実在してる」っていう話をしているつもりです。

 

 

 

【前置きここまで】

 

 

≪目次≫

①なぜ「人形メディア学講義」を購入したか?

②二重の「人形」性を帯びた「うたプリ」―1.アイドル

③二重の「人形」性を帯びた「うたプリ」―2.3DCGと「着ぐるみ」「中の人」

④おわりに―待ってて、「美風藍」論

 

 

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①なぜ「人形メディア学講義」を購入したか?

 

答え:ぬいぐるみ(ぬいスター)を手に入れたから。

 

 

4月末、ようやくぬいスの真斗くんと音也くんをお迎えした。

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やばい。可愛い。可愛すぎる。ずっと写真を撮っていたい....!!!!!

 

 

そもそも、今やうたプリオタクの必携品ともなりつつある(?)うたプリのアイドル達をかたどったぬいぐるみのぬいスター(通称ぬいス)、昨年9月にファンになったとはいえ、11月には受注販売があったのにも関わらず今年4月までぬいぐるみの入手が遅れたのかといえば、シンプルに「ぬいぐるみいらねーだろ」と思っていたタイプの人間だったから。もふもふしたものに「可愛さ」を見出せなかった。

しかも、元々ジャニオタで、アクリルスタンド文化には理解があるものの、ぬい文化には慣れていないグループのオタクをやってきた故、うたプリオタクがぬいぐるみ遊びに興じていることに最初は戸惑った。ぬいスでもプリンスキャット(猫のぬいぐるみ)でも、なんでみんなそんなに持っているんだ...!!!????

どういうこと??????

 

 

しかし、フォロワーさんたちとの交流でお会いすると必ずぬいスを連れているし、他の家の子とは言え、ぬいスを抱っこさせてもらうととてもかわいい。さらに言うと、自分を映らずして集合写真を撮れるので、オタク同士のコミュニケーションにはもはや必須のもののように感じられた。いつも遊んでいるのが、音也担と翔担が多いのだが、二人とお会いしても写真に残るのは音也くんと翔くんだけで、なんだか寂しい。私の担当の真斗くんもここに連れていきたい!と思った。聖川担とお会いしたときも「ぬい、ゲットしました?」と聞かれてしまった。ならば、欲しい!!私もみんな持ってるの欲しい!!!(小学生の感情)

 

 

 

そう、当初は戸惑っていたのに、完全に「うたプリ文化圏」に取り込まれ、いつしか私もぬいが欲しくなっていた...!!

 

 

ということで、買った。

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そして手に入れるとそれはそれはもう可愛くて仕方がないので、ゴールデンウィークは彼らの服を作って写真を撮っていた。

 

と、同時にむか~~し書店で見かけた「人形メディア学講義」という本を思い出した。当時はゴリゴリのジャニオタで、ぬい撮りなどはしていなかったので、へ~...とは思ったものの、特に琴線に触れなかったが、今はピン!と来た。

「メディア」とはつまり「媒介」...、ぬいぐるみ(=人形)を媒介としてコミュニケーションを取っているように見えるうたプリオタク文化についての理解を深めるにはもってこいなのでは!!??とタイトルから勝手に想像してアマゾンでぽちった。

(※実際の本の中ではもっと広い「メディア」の意味です)

 

ということで、読み始めたのだが......

 

 

 

想像を超える「人形論」の世界が広がっていた!!!!!!

この本、ぬいぐるみを通じたオタク同士の交流なんてレベルではなく、今年私が初参戦して度肝を抜かれ「そ....存在してる.....」と涙を流したShining Star Stageたる3DCGライブ、あるいはそもそもの沼落ちの原因たる「うたのプリンスさまっ♪マジLOVEスターリッシュツアーズ」という全編3DCGアニメーションのライブ、ひいては「うたのプリンスさまっ♪」というコンテンツそのもの、というか私の古巣であるジャニーズつまりアイドル論全般までも射程に捉えた幅の広い議論だった!!!!!!!!!(衝撃の大声)

 

 

ぬいス買ってよかった!!!!!

ってか、ジャニオタ時代に読みたかった!!!!この本!!!!教えろよ、私の友達!!!!!!おい!!!!(他力本願)

 

 

ということで、以下は同書を読んで、私が考えたことである。

 

 

 

 

 

②二重の「人形」性を帯びた「うたプリ」―1.アイドル

 

この本を読んで私が確信したのは、

うたプリ」が二重に「人形」性を帯びていることがこのコンテンツの最強最高たる理由の一つだということ。

 

 

二重に帯びているので、二つのレイヤーに分けてそう考えるに至った理由を説明する。一つ目のレイヤーは、「うたの☆プリンスさまっ♪」が男性アイドルたちをメインとするコンテンツであること、つまり「アイドル=人形」という意味での「人形」性を帯びている。

 

個人的にジャニオタだったこともあり「アイドル=人形」には天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたが、そのひっくり返りが快感であるほどに納得感がえぐかった。

あ~~~~~~~~~~!!!!!!!!(納得)と叫びたかった。

 

本を読んでいない人でも「アイドル=人形」と言われたら、「なるほど、プロデューサーや会社の”操り人形”という意味ね」くらいは想像するだろうが、この本で言われている「人形」はそこに留まらない。

 

むしろ、アイドルを応援する喜びは、「操作不可能性」に由来する賭博感や、人形の中身であるその人自身の公にしていない部分(プライベートやアイドルになる前の人生、公言していない信念etc.)が「透ける」瞬間にある。

また、アイドルのコンサートの快楽は、予定調和で完璧なパフォーマンスを見に来たのではなく、コール&レスポンスetc.の渦の中で彼らと「共犯関係」になって彼らを「アイドル」へとすることにもある。(それだけじゃないけど)

「アイドル」として存在しているのではなく、私たちが目の前の男の子を「アイドル」にすることでしか生まれないグルーブを楽しんでいる。

(公の場所でやたらと着崩したシャツを着た男が指をちゅぱちゅぱしゃぶってこちらにその指を向けてきたら通常はドン引きであるが、それを「セクシーな行為」として解釈し「ハアアン...」「キャーーーーッ」と腰抜けになった声を挙げてこそ、あの空間は楽しい。)

 

というのが本を読んでの感想なのだけど本を読んでいない人には伝わらない物言いなので、本の内容と絡めて説明する。

 

・不自然なほどの美しさ

同書の中で直接にアイドルに言及しているのは、p.157でプロレスラーのササダンゴ氏と著者の菊池先生の対談の中。

ササダンゴ:割と人形的な部分がありますよね。容姿の良さも含めて。

菊池:毛穴が見えないですよね。

 

まず、容姿の良さが人形的な点でアイドルは人形的である。

また、プライベートが見えない(「性の匂いがしない」)ことをして菊池「人間と人形の間を揺れ動いているんですね。」とコメントしている。

 

事務所の管理に加えて、容姿の美しさが「人形」的だというのはわかりやすい。

むしろ、人形論がアイドル論にパワーを振るうのはここから。

 

 

・「操作不可能性」について

同書内の演劇研究者の言葉を孫引き(大学生はやっちゃダメだよ!)すると「人形には客体、モノとしての側面と主体としての二つの側面があると指摘する。そして操られるモノでありながら、観客からは生命があるようにも見えるという『揺らぎ』(oscillation)を人形が持つ『二重視』(double-vision)と呼んだ。」

 

人形劇にはこうした「揺らぎ」をあまり見せずとことん「まるで生きているかのよう」に見せるものもあるが、筆者は隠しようのない操作の中で「揺らぎ」を示し、むしろ観客にその振り幅を「二重視」させる作品に魅力を感じている。

 

同書内で「『スルタンの象と少女』の観客たちは、少女が人形であることを自覚しながら、遣い手の操作に反発するような仕草やその視線に愛おしさを覚えずにはいられなかったのだろう」と筆者はある人形作品を紹介するが、まさにアイドルだろ!ここ!と思った。

 

アイドルは事務所の管理に置かれているし、顧客であるファンの視線という厳しい管理にも置かれているし、自分自身をアイドルという「人形」として厳しい視線で律している者もいる。でも、それだけじゃなく、むしろそういう操作に反発するようにふるまい、こちらに視線を返す。

時に事務所に歯向かい、時にファンの視線を逆にコントロールし支配して見せ、時に自身が課した「アイドル」の規律さえも破って動き出す。

 

「二重視」していて、「揺らぎ」がある。

 

 

・「着ぐるみ身体」の「透け」感について

アイドルのことを「着ぐるみ」みたいだと思ったことはないだろうか?私はある。

この手の話は、アイドルのスキャンダルが出たときにしばしばTwitterオタク学級会で出てくる。

つまり、「着ぐるみ」としてのアイドル=オンの姿を愛しているので、「中の人」たる本人のプライベートはどうでもいい、というかむしろわざわざ楽屋裏に入っていって頭の部分を外している瞬間を追い回して写真撮ってお金にしている週刊誌許せない!的な話。

ただし、この比喩を使うとオンの姿の時は全力でアイドルしてほしい!という話になるので、本人のにおわせとか、楽屋に戻る道すがら(まだファンの目があってもおかしくない場所)で写真が撮られたりすると「プロ意識が足りない」という話にもなる。

あるいは、真逆で「着ぐるみ」だなんて思ったことのない人は、「生身」なのだからこそ恋愛するのは当然なのでスキャンダル扱いするのがおかしい、とか逆に「恋愛しないことこそがプロ!」とかこれまた態度決定としては分かれる。

 

 

私は、スキャンダルはどうでもいいんですが、この比喩には正直どっちでもあるよな~と思っていたタイミングで出会ったのが、ふなっしーの「透け感」という話。

筆者は、ふなっしーガチャピンを対比させて、「中の人」との結びつきが強固でしばしば「中の人」を透かすふなっしーと、「中の人」が交代していろんなことに挑戦するガチャピンの対比を論じる。

着ぐるみには、人間と着ぐるみ双方の組み合わせによってしか生まれない『着ぐるみ身体』と呼ぶ他ないものが立ち現れており、その一つの見方が「透け感」なのだという。

 

なるほど!!私は「透け感」をアイドルに求めていた!!と納得した。

というのも、私自身は「嘘」がアイドルを輝かせるとは思わない。ステージ上でさえ完璧であれば「嘘」を演じきれるようなぬるいエンタメじゃないから、アイドルは面白い。かといって、過度なリアリティーショーも求めていない。

大事なのは、アイドルという着ぐるみを着てエンタメをする「中の人」の汗の匂いが「透ける」瞬間。ふと怒りが抑えきれないとか、そういう瞬間。

完全な「着ぐるみ」でも「生身」でもない、その「透け」こそアイドルの醍醐味ではないかと思う。別にパーフェクトじゃなくていい、でもあなたの「素顔」が知りたいわけでもない。そういうファン心理を「着ぐるみ身体」の「透け感」は説明する。

あと、純粋に見えそうで見えない感じって興奮するじゃん。それでしょ!!!!

 

 

さらに、3章の「着ぐるみ身体論」はゴジラについても掘り下げる。

ゴジラは有名な「着ぐるみ」だが、ゴジラの撮影は「中の人」を隠す志向と見せる志向が拮抗しており、それが人間の身体に依拠しながら、人形を恐ろしくどこかかわいらしくもある未知の怪獣に見せる手法となりえていたことを示す。

ゴジラは人形や着ぐるみだけれども、簡単に操作できるのではなく、その重さや操作の難しさから制作現場において「人間の手に負えない怪獣」であり、着ぐるみは着用して簡単に操作してしまえるものではないことが分かる。

つまり、常に「外」=人形は「中」=人間に服従しているわけではない。

 

「言い換えれば≪外≫=人形と≪中≫=人間の≪緊張関係≫」

 

アイドルという「外」は、常に「中の人」にとって操作可能なのではなく、むしろその「外」の重さが中の人の体調不良になったり、逆に「外」の姿のお陰で中の人自身の力が引き出されたりしている。

おそらく、アイドルを愛することはこの「緊張関係」を愛している。

コントロール不能な「外」との付き合い方に苦戦する様が「透けた」ときに、アイドルは輝く。

 

さらに、おそらく生身の普通の男の子ではなしえなかったパワーを「アイドル」という着ぐるみが引き出し、連れ出して行っている領域というのが確かにあるように見える。それは、まさしくゴジラのように人間の手に負えない「怪獣」、人知を超えた魔の領域をアイドルは体現する。

言ってる意味わからないかもしれないが、私はNetflixの嵐のドキュメンタリーを見た時、打ち合わせ中などところどころで嵐メンバーたちの眼が座ってて正直めっちゃ怖かった。アイドルの頂点を極め、エンタメに魅入られた人間は「怖い」のだが、それは「アイドル」という着ぐるみが連れて行った領域な気がする。

 

 

 

・「共犯関係」について

 

 

第一章ではトイ・ストーリー論が展開されているが、そのキーワードは「共犯関係」である。

つまり、人形が単なる「モノ」でありえないのはその人にとっての主観と強烈に結びつき、しかし同時に「モノ」でしかないことを踏まえた上で情緒的なつながりである「共犯関係」を結ぶことで人形と人間の相互的なかかわりが生まれる。(ということを1章は言いたいのかな、と思った。)

 

あるいは、5章「もてあます、人形へのその愛」では、ライナスの毛布のように幼児が特定のものに執着する対象を「移行対象」という概念で説明する。

そして、移行対象とは主観と客観が交差する中間領域に存在し、成人になっても許容されうる。ライナスの毛布は、主観と客観の中間領域に存在し、狂気と紙一重ながら、他人にその主観の認知を要求しなければ、大人になっても楽しめるものである。

また、プーさんとクリストファーの別れは、確かにぬいぐるみとの別れではあるが、主観においては「森の魔法の場所」に帰れば、もはやその存在がいなくとも、中間領域の中で遊ぶことができる。そういう成熟した関係に移行したのだ。

 

ふぅ....、難しいね!!

で、この話を踏まえると!!

 

アイドルは、しばしば「疑似恋愛」よばわりされるが、(それが恋愛感情かどうかを置いておくと)「疑似」が付くのは私たち(生身)と「アイドル」を隔てる距離を誰もが知っているからではないか。

「マナーを守る」とはつまり、トイ・ストーリーの「人間とオモチャ」の埋めがたい距離のような、彼らと私たちの距離を自覚したうえで、その距離を隔ててもなお人生の相棒であり、友人であり、恋人であり、家族でもある「アイドル」を愛しているそういう関係が、私はアイドルとファンの理想の関係のように思える。

 

また、仮にアイドルが「リア恋」の相手であったとして、それはその人の「主観」においてそうであり、それを他者に押し付けなければ「中間領域」の中で、リア恋をはぐくむことができる。これがいわゆる「リア恋だけど同担拒否じゃない」の説明だろう。

それは成熟した関係で、素敵なものである。

 

つまり、アイドルは「人形」なき「人形」みたいな愛され方をされているのであって、その意味でもアイドル=「人形」と考えて分析することは、それなりの理論的装置となりそう!!と言える。

 

 

 

 

と、いうことで、この意味で、アイドルは「人形」である。

AASSL月宮林檎√の感想でも書いたのだが、アイドルは視線を「受ける」そしてその大衆の欲望に飲み込まれてぐちゃぐちゃにされる存在であるように見えて、実はアイドルの方がこちらの視線をコントロールし、投げ返してくるような強さを持っているところが私のアイドルが大好きな理由。そして、それは同書の筆者が『スルタンの象と少女』で少女の目線に射抜かれた人々の興奮として言及しているものと重なるのではないかと私は推測する。

 

そして、うたの☆プリンスさまっ♪はアイドルコンテンツであるからしてそのような「人形」性を帯びている。

さらに、原作ゲームは彼らの恋愛を膨大な量知ることができる。アイドルにご法度なはずの恋愛(はたまた性欲)をこれでもか!と知ることができるのであって、まさにプリンス達は、プライベートを「透けて」見せている。

アニメ軸でも、本来ファンの知るはずのない事務所の戦略等々を私たちは見ているのであって彼らは「透けて」いる。

 

アイドルという着ぐるみ性をはらみつつ、リアルアイドルでは不可能なはずの初恋初体験仕事上の修羅場云々を次元を超えた「ファン」である私たちに見せることができるという点で、究極の「透け」を実現しており、その点が彼らの「アイドル」としての魅力を倍増させている。

 

また、夢女子として彼らに恋することも、あるいは腐女子として彼らの壁になることも、みんなみんな「中間領域」の中で彼らと特別な関係を結んでいると言えるだろう。たぶん!

 

ということで、アイドルとはいわば「人形」であり、「人形」の魅力をアイドルコンテンツである「うたの☆プリンスさまっ♪」は含んでいる。

 

 

 

③二重の「人形」性を帯びた「うたプリ」―2.「中の人」と3DCG

 

 

ここまでは「うたプリワールド」内在的(ストーリー内在的)な視点で、彼らが「アイドル」であることの「人形」性に触れてきた。

二重の「人形」性というとき、二つ目のレイヤーはもう少しメタ的な、つまりプリンス達が実際は二次元キャラクターであるという元も子もない話について。

 

むしろ、ジャニオタだった私があえて「うたプリ」にこだわるのは、ここからが本番である!!!

 

 

 

・「中の人」としての声優さん

 

前半の「着ぐるみ」の話でお気づきの人もいるだろうが、うたプリ文化圏では声優さんのことを「中の人」と呼ぶ。もしかしたらアニメ文化全般でそうなのかもしれない。○○(キャラ名)の声帯が~~さん、という用語法もある気がするので、声帯に限る場合もあるようだけど、この辺の使い分けはアニメ文化に明るくない私にはわからない。

ただ、うたプリに関していえば7人組アイドルグループST☆RISHの声優さん7人のことを「中の人ーリッシュ」と呼んだりしていて、「中の人」感が強い。

 

おそらく、「中の人」呼びの傾向があるのは、プリンス達(あえて言えばキャラクター達)は「中の人と掠るように作られている」のが公式であることに由来する。

有名かつ象徴的な所でいうと、一ノ瀬トキヤの誕生日が8月6日で、中の人の宮野真守の誕生日が6月8日とか。

クールな雰囲気の聖川真斗が、ほんのり...というかかなり面白要素が加わっているのは中の人が鈴村健一さんという陽気な関西弁のおじさんであることと無関係ではないだろう。

 

そう、メタ的な意味でもうたプリは「中の人」が透けている。

 

 

さらに、うたプリにはプリライと呼ばれるキャストライブが存在し、これも相当な回数重ねているし、何より熱狂的にうたプリオタクから支持を集めている。もちろん、声優のファンじゃないし、声優=プリンスではないのでNGというファンがいることも承知しているが、ざっと見た感じNG派の方が少数に思われる。

むしろ、チケットは入手困難で、ライブのタイトルが1st,2nd,3rd,4th...と開催回数が重ねられていくタイプなので、毎回違うライブタイトルでライブごとの特徴を把握して暗記していた元ジャニオタとしては、シンプルな数字の羅列にも関わらず「いつのライブの誰のパフォーマンス」を当然のように暗記してスルスルとツイッター上でつぶやいている先輩ファンの皆さんには正直驚いていた。

そのくらい、熱狂的な人気を誇るうたプリ屈指のコンテンツがキャストライブである通称「プリライ」である。

 

 

で、ここまでの私の書きぶりでわかるように当初、私はキャストライブに懐疑的だったのだが、実際にライブDVDを見てころっとプリライの魅力にやられた。やばい。やばすぎる。こんな快楽が存在していいのか...!!???

 

「人形」の観点からすると、これもうひちゃっかめっちゃかな人形の魅力がドバドバ詰まっているからこんなヤバい快楽を得られるのかも....!!!!

 

というのも、プリライの楽しみ方は人それぞれだが、例えば「みんなでプリンスを想う」という以前お題箱にいただいた楽しみ方をするならば、人形なしで人形をみんなで見ている状態

 

オタク用語でいうと「集団幻覚」ってやつだが、『人形メディア学講義』風にいうと「中間領域」を3万人とかで共有しているということだと考えられる。

同書のトイ・ストーリー論やくまのプーさん論に見られるように、大人になって人形を捨ててしまっても主観的世界たる「中間領域」の中で、ずっとウッディと、あるいはぷーさんと生きていくことはできる。

 

プリンス達は、私たちの主観的世界では明確に生きていて、その主観が3万個重なってライブのハイになった状態でいるなんて、そりゃあ麻薬的な快楽だと思わない???私は思うよ!!!!

むしろ通常なら許されない「主観」を客観世界に押し付けることが許されている空間。一時的にそこは「狂気」が許容される。

むしろ「狂気」をインストールしなければ楽しめないし、というか巧みなステージ演出が中間領域の拡大を誘発している。

 

 

あるいは、例えば一十木音也の「中の人」たる寺島拓篤と重ねて「寺島音也」と呼んだり、「あのパフォーマンスは完全に『音也』だった」と評したりするプリライの楽しみ方もある。

つまり、人間である声優さん自身にプリンス(言ってしまえばキャラクター)が「憑依」したものとしてパフォーマンスを見るパターンがある。

 

これを人形的な観点から言うと、むしろ「人間が人形になっている」。

二次元キャラクターに「命を吹き込むanime」するはずの声優さんがむしろ、人形化するという倒錯的な状況。

おそらく、キャストライブは「2.5次元文化論」としても論じられるところであるが、2.5次元の主要コンテンツである2.5次元舞台は、舞台であるからしてキャスト変更が生じる。しかし、プリライはキャスト変更不可能であり、ふなっしーのように「着ぐるみ」であるプリンス達と「中の人」は分けることのできない結びつきがある。

うたプリ2.5次元化の際にわざわざ「再演」としたこと、それでもファンの中で議論があったことはまさにこの点に由来するだろう。どこまでうたプリを「着ぐるみ身体」として愛しているのか、というのがファンごとに異なる。)

 

その「透け」にこそ魅力があり、同時にそれほどまでに強い結びつきを「着ぐるみ」と結んでしまった「中の人」だからこそ、限られた空間でファンの声援という呪いじみた魔法を受けることで”入れ替わり”、「人形」としてステージに立った時の迫力がとんでもない。倒錯的な魅力さえも生まれる。

 

まさに「着ぐるみ身体」としての声優さん!!

 

さらに、プリライのパフォーマンスを受けて、プリンス達のパフォーマンスが影響を受けることもある。

ライブ映画「マジLOVEスターリッシュツアーズ」にて来栖翔のパフォーマンス中に他のメンバーがぞろぞろと出てくる演出は、プリライの下野紘(来栖翔の「中の人」)のパフォーマンス中に起きた出来事をオマージュしてるとか言われている。

あるいは、先日開催されたShining Star Stage2の一十木音也のパフォーマンスの振付は、先行して一十木音也の「虹色☆OVER DRIVE」をプリライで披露した寺島拓篤(中の人)の振付と重なっている。

"入れ替わり"は、中と外の双方にとって影響を与えずにはいられない。

 

まさに同書で言及されている「中/外の境界を曖昧にする」事態(=「中」と「外」の緊張関係)の発生であり、その「揺らぎ」こそが魅力となっている。

人形の魅力である「中」と「外」の緊張関係を味わうことができる!!

プリライは、こういう「揺らぎ」や「倒錯」「緊張関係」を体現するイベントで、だからこそ麻薬的な熱狂を生み出すことができる。

 

 

正直個別のパフォーマンスについて語り合った方がオタクとしては盛り上がるんだろうけど、キャストライブ...というかうたプリにおける「プリライ」のあの麻薬的な魅力については、新規として最初は戸惑うところもあったのに見たら全部"理解って"しまったので分析したかった。

(※なお、私もまだ全部のプリライに目を通せている訳ではない。でもめっちゃ最高だった。)

「人形」という視点は、そんなプリライの魅力の一部を説明してくれるように思う。

 

 

 

何より、やはりここでも私たちはプリンスや「中の人」と「共犯関係」を結んでいる。

プリライをどう鑑賞するにしても、プリンスを「思う」私たちや、「中の人」を外と入れ替える魔法をかける私たち、抜きにしては成り立たない。

そして、それが「アイドル」的でもあるという第一のレイヤーと絡まり合っているのであって、ますますうたプリの魅力につながっている。

 

 

 

・3DCGという「人形」

 

最後に、3DCG技術についても言及したい。

私はフル3DCGのアニメ映画でありライブ映画「うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVEスターリッシュツアーズ」でうたプリに魅入られてド新規をやっているオタクである。

映画初見が、昨年9月であり、うたプリオタクとして最初の大きな現場が今年3月の「Shining Star Stage SONG PARADE」という3DCGライブだった。

 

うたプリは様々なメディアミックスを行っており、PSPゲームの立ち絵に始まり、その後作画のアニメーションなどなど彼らの立ち現れ方は様々だが、私は圧倒的に3DCGの彼らと対面しているというまさに「新規」にしか味わえない、2022年製うたプリオタクならではの経験をしている。

 

タツア関係者のツイートを見ていると3DCGのモデルを「CGのお人形」という言い回しで表現している人もいて、3DCGもいわば「人形」である。『人形メディア学講義』でも、初音ミクの3DCGライブに言及していて、同書の射程内に「3DCG人形(もどき)」が含まれていることは疑いようがない。

 

で、ここでもまた「透け」感が魅力のうたプリは裏切らない。

新規には衝撃的なことに、うたプリのDVDの特典映像にはダンサーさんによる「振付」動画が含まれている。同書内のゴジラ論にも出てくるように、モーションキャプチャー技術で3DCGというお人形の中に入っている人が「透け」まくっている!!!

この特典映像によりファンは、またも「中の人」を確信するという不思議な構造...。

 

しばしばうたプリの魅力は「実在性」だと言うし、私もそれは確信している。でも、その「実在性」はファンタジーとして「中の人」を徹底的に隠すことで成し遂げられるのではなく、むしろ暴露的に「中の人」をさらして手の内を見せつつ、だからこそ「人形」としてのプリンス達は「実在」というよりも「スーパーリアル」な存在に昇華されるのではないか....。この辺は仮説だけど、うたプリの徹底的なまでの「透け」感には本当に驚かされる。

 

 

また、同書内のトイ・ストーリー論にあるように3DCGは従来、人間を表現するには向いていないとされてきたようである。

3DCGの「違和感」をコミカルなものに昇華できる題材として「おもちゃ」が主役であるトイストーリーは世界初の3DCG長編アニメーションになりえた。

うたプリにおいても、前作「マジLOVEキングダム」は作画が織り交ぜられていて、ダンスシーンは3DCGでもおしゃべりシーンは作画であり...それには、表情筋!!等々のツッコミが入っていたと聞いているので、やっぱり人間を3DCGで表現するのは難しいのだろう。

 

しかし、2022年に公開された「マジLOVEスターリッシュツアーズ」はフル3DCGで表情もめちゃくちゃ豊か!!!!!!!すごいね!!2022年!!!というかここまで頑張った技術屋さんが本当にすごい。

 

でも、これが光ったのはうたプリが「アイドル」作品であることも大きいと思う。

 

第一のレイヤーで触れたようにアイドルは「不自然なほど美しい」ことがある点で「人形」性をはらんでいる。またアイドルは「表情管理」という言葉があるように徹底的に表情をコントロールするがゆえに不自然なときさえある。

おそらく今もなお残る3DCGの不自然さを、「アイドル」としてのST☆RISHは「自然」なものとして備えていると考えられる。だからこそ、「スターリッシュツアーズ」という映画は「スーパーリアル」...realというのは「本当の」「現実の」という意味であるよりもむしろ「真に迫った」「存在感溢れる」ものである。「ああ!!そうそう!!!これがアイドルのライブ!!!」を私たちに味わせてくれる。

まさに3DCGであるという技術的な第二のレイヤーの「人形」性が、アイドルに備わる第一のレイヤーの「人形」性と絡まりあって、「うたプリ」の魅力に寄与している最高の例と言えるだろう。

 

 

そしてそして、3DCGライブであるShining Star Stage SONG PARADEである!

 

同書内の初音ミク論にあるように、ここでうたプリファンたちは二つの身体を生きる。

一つは、ただの映像に熱狂する「オタク的」身体であり、もう一つは彼らと電子メディアを通じて実在が可能になる身体。(p.209)

 

電子メディアを通じて彼らとつながる、という意味では初音ミクと異なる事情があるとはいえ、プリンス達のツイートであるプリツイがその役割を担うと考えれば、Twitter上では私たちとプリンスは同じ「アカウント」である。その意味で前回のライブではプリツイ企画が存在したことは天才的な仕掛けだった...!と分析できる。(ので、今回も欲しかった!笑)

 

しかし、身体が分裂したままでは、私たちは単にスクリーンと対峙して儚い夢を見ていただけに解消されてしまう。そこで、SSS2の現場で私たちは声を出す。声を出してこの世界で、私たちとプリンスが存在していることを証明する。

 

「ライブパフォーマンスに訪れた観客という立場を生かした想像/創造的な『自己表現』として、彼らは彼女に声をかけるのではないか。そうすることで彼らは身体の分裂を、取り戻そうと試みるのである。」(p.210)

 

 

新型コロナウイルス感染症の影響でここ数年は声出し禁止が続いており、古巣のジャニーズのライブでも私はここ数年「キャーーーー」という重要な彼らを成立させる魔法の呪文を封じられてきた。

そして、今年3月丸々3年ぶり以上に「キャーーーー」で召喚したアイドルは3DCGだった。

だが驚くほどに違和感がなかった。それはまさにアイドルが「人形」だったから、これまでの営みと何ら変わらなかったということを体感として証明しているようにすら感じる。ここでも「うたプリ」の中で第一のレイヤーと第二のレイヤーが交差している。

 

そしてアイドルであり3DCGである(=「人形」)彼らは、私たちの歓声により「アイドル」としてステージに立つと同時に、アイドルとして、人形としての「操作不可能性」を存分に発揮して、私たちを見つめ返し、狂わせる。

 

初日の夜公演、Baby! My Strawberryという曲で神宮寺レンとカミュが成し遂げたパフォーマンスは、まさしくそういう状況で。

意識的に「キャーーーー」を投げかける(ライブ冒頭の映像で一人ひとりが映るのに合わせて「音也ーーーー♡」とかコールするのはまさしく召喚としてのコールだと思う)ことは不可能で、アイドル=3DCG=人形に見つめ返されるほどの魅力を前にして、私たちは「ウギャアーーーーーーーーーー」と鳴かされる。

 

 

「共犯関係」と「操作不可能性」が、アイドルと3DCGという二重の「人形」性の中で発揮されている。

 

 

特に「共犯関係」は、「プリンスが実在する」ための必須条件だろう。

3DCGから話は逸れてしまうけれど、同書の「リカちゃん論」とも接続すると考えられるプリンス達によるツイート、通称「プリツイ」は同じ世界に彼らが生きていることを感じさせてくれる.......といえば聞こえはいいが、要するに私たちうたプリオタクが全力で「信じる」あるいは、関係者(ケイタマルヤマ先生など)がそう「振舞う」という「共犯関係」に立つことで、プリンス達は「生きる」。

あるいは、私が一般人には言えない回数通い詰めたライブ映画である「スターリッシュツアーズ」は、マジLOVEライブ上映でみんなでペンライトを振ることでそこにライブ会場を「作り出す」。

 

正直、これがもう本当にめちゃくちゃ楽しい。

プリライの所でふれた、中間領域の共有という本来なら起きないはずのことが起きているバグが、ライブの祝祭性に追加されることで脳内麻薬がおかしくなるくらい出てるのをバシバシ感じる。

 

うたプリは常に、こういう「人形」性に由来する悪魔的なほどの魅力を共犯者であるオタクたちに見せつけてくれる。

 

 

 

 

 

3.おわりにー待ってて、「美風藍」論

 

 

『人形メディア学講義』を読み、あえて「人形」として、うたの☆プリンスさまっ♪を眺めてみると、このコンテンツの底知れない魅力の一端を掴むことができた気がする。

この記事を通じて私はそういう話をしたかった...!!

 

何より「アイドル=人形」という視点を得て、アイドルの(3DCG)アニメーションである「うたの☆プリンスさまっ♪」を見ると、当然に二重の「人形」性を帯びるのであって、それがうたプリの悪魔的ともいうべき魅力につながっている。

 

 

 

そして、ここまでお読みのうたプリファンはお気づきかと思うが「美風藍」さんはどうなるのか?という重大論点が残っている。

少なくともアニメを見ればわかるように「美風藍」といううたの☆プリンスさまっ♪におけるQURTET NIGHTのメンバーは、ロボットであるという秘密を抱えている。

したがって、三重に「人形」性を帯びている。

しかも、作品内で唯一、自身の「人形」性に自覚的であるという批判的な立ち位置を有している。(Shining Star Stageの彼のパフォーマンスは、イントロのゼンマイ仕掛けの音に合わせて操り人形のようなロボットダンスを披露するという演出で、周りの美風担は号泣していた。当該部分のパフォーマンスは美風さんの誕生日のツイッターで「楽しみにしててね」とファンに語り掛けており、美風さん自身がアピールしたい部分でもある。)

 

残念なことに、私がまだ原作ゲームの美風藍ルートを終えていないことに加えて、『人形メディア学講義』内でも十分に論じられなかった点として筆者はロボット論を挙げている。ということで、分析対象たる「美風藍」についてもう少し私自身が見識を深めつつ、分析道具であるロボット論(そして乙女ゲームの美風藍ルートには「人形愛」の視点も欠かせないだろう。主人公と美風藍が恋愛するのだから。)についてもう少し勉強をして、今後の宿題としたい。

 

 

そして、当初、この本を手に取ったきっかけは「ぬいぐるみを媒介としたオタク同士のコミュニケーション」に関心を持ったことだった。

結局、うたプリというコンテンツそのものの分析にばかり目が向いて、ファンダム研究の足掛かりもつかめていないような記事になってしまった。

ただし、人形としてのアイドル、そして人形としての二次元キャラクターという両側面からファンという「共犯者」が必要なことが浮かび上がった。(ここまでは菊池先生は「共犯関係」に含めて言ってないかもしれない...と今更、笑 ブログだから許して!)

 

 

つまり、ぬいぐるみなんかなくても、アイドルオタクおよび二次元キャラクターのファンは、主観と客観の間の中間領域の中で「人形」を愛でている。

 

そんなオタクたちに、心の中の「人形」を具体化するような「ぬい」が与えられたら、熱狂するに決まっているし(しかも「ぬい」は一人に一つ以上与えられるのでまさに自分の主観としての「アイドル」そのものを手に取れる。「みんなのアイドル」」じゃない「わたしのアイドル」)、ライブ等々の祝祭的な場面では主観的な「人形」を「人形抜き」で共有しているのだから、そのライブ前後の時間でオタク同士で集まり、ぬいぐるみを通じてコミュニケーションを取り合うのは、その具現化として極めて妥当な行為である。

 

アクリルスタンドもまた「人形」であり、これらを連れて出かけるのは、近年の「推し活」ブームもあるだろうが、ブームの根底には、そもそも「人形なき人形」を愛でていたというファンたちの心理があり、それと発売したグッズがハマったという側面もあるのかもしれない。と、人形を通じたオタク同士のコミュニケーションについてはさしあたりの結論を与えて、自分なりには満足している。

 

 

 

以上、『人形メディア学講義』を読んだうたプリ新規の感想でした。

うたプリそのものについても、人形や演劇論についてもド素人なので、いろいろご容赦ください。むしろ教えてください。

 

そして、「人形」を切り口にした本を読んでこれだけ語りたくなるということは、まさにこれだけ「人形」が魅力的かつ生活に欠かせない存在だと実感しましたので、よかったらみなさん『人形メディア学講義』を読んでみてね!

こころをよむ 人形と人間のあいだ (NHKシリーズ)

も薄くて安くて読みやすいです!(私は勢い余ってどっちも読んだ!)

 

 

もし万が一、この記事が人形論関係者の目に留まったら、うたプリ見てください!!よろしくお願いします!!!!!