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君と私は別人だから、

 

「君と私は別人だから」まで書いて、その先に続く言葉を見つけられなかった。

 

私がこの4年間で探し当てたのは「君と私は別人だ」という、おそらく多くの人にとっては当然の事実それだけだった。

私にとってはそれは宇宙を揺るがす大発見で、そのことを主題にブログを書こうと思った。だからこの記事はどこまでいっても私が櫻井翔さんとは別人だという至極当然の事実が綴られているだけで、その事実が私の感情にどう影響を与えたのかなんてことはまだわからない、これから確定される未来の話だ。

「君と私は別人だから、愛してる」なのか「君と私は別人だから、もう愛せない」なのかは未確定事項なのだ。

 

 

なぜ、「君と私が別人」であることが大事件なのか。

 

 

 

 

ずっと、「将来の夢:櫻井翔だった。

櫻井翔さんみたいになりたい、という意味ではなく、より厳格に私は「櫻井翔」になりたかった。なんというか「櫻井翔」という人格がある空間に浮かんでいるならそこにアクセスする手段を手に入れて、私は櫻井翔という人格をインストールして櫻井翔そのものになりたかった。

櫻井翔という人格をインストールできれば、さみしくないと思った。毎年毎年コンサートの当落が苦痛で仕方なかった。大好きな人が遠い、会えない、気が狂いそうだった。気が狂った結果かもしれない、人格をインストールすれば私の中に櫻井翔があれば、無敵になれる、そんな気がした。

 

 

 

必死に櫻井翔をインストールした。

同じ環境では生活していないので、0から作り上げるのは無理だ。むしろ既に作り上げられているものを目視でコピーし、その内側にある構造を想像する。想像した構図が正解しているか否かは、別の表象された事実(雑誌での発言)をもとに想像した別角度からの構図と一致すればそれで正解とみなす。

雑誌、テレビ、コンサート、、無数のメディア(=媒介物)に媒介されたものを、元の状態に還元していくような作業を無数に繰り返し、私は「櫻井翔」を学習した。

 

 

多感な、中高生時代をそうやって過ごした。

高校二年くらいには、雑誌のページを開けなくても何を話していそうか想像してあたりをつけたら、一致することがあった。「櫻井翔が言いそうなこと」がわかってくる。時期に応じて考えていることが変わる人間らしい人ではあるが、筋は通っている人だから学習しやすいタイプの人だったのかもしれない。

当時の私は「しゃべりかた櫻井くんっぽいね」と言われて喜んでいた。

そしていつしか、私は「自分の考え」と「インストールした櫻井翔の考え」の境界が溶けていった。

はたから見れば、それは「櫻井翔くんのようになる」ということだったのかもしれないが、主観的には「櫻井翔になる」という行為であった。

この融解は、心地よかった。もう櫻井くんは遠くにはいなかった。ここにいた。私が語り掛ければいつでも返してくれた。私が櫻井くんだった。

 

 

私の学習は、雑誌などで魅せる「素」の「パーソナルな」櫻井翔の学習に留まらなかった。彼の仕事、キャスター業なら彼は自分が発信すること以上にその背景を勉強しているはずだったから、イチメンのその裏側を学ぼうと努めた。

「大学」という環境は、彼のパーソナルな部分を学習する手助けになるだけではなく、きっと彼も受けたであろう一般教養や語学という形で、きっと彼も有しているであろう知の基盤を提供してくれた。大学生活は、当初、私と「櫻井翔」との融解を促進するようで心地よかった。

 

 

 

「わたし、どんどん櫻井翔くんになれている。」

 

 

 

しかし、大学という場所は、こちらが選び取ったものだけをくれるような優しい世界ではなく、大きな口をあけて私を飲み込んだ。「櫻井翔を知るための知」で止まらずに、世界を知り、知性を知るための知が私を飲み込んだ。

友人たちは私に聞いた。「『国民的』アイドルってナショナリステックな言い方で好きじゃないな...。」「あなたはどうしてああいう産業構造に加担するの?」「大手メディアの報道は...」

 

 

友人たちは、社会運動、とくにフェミニズム運動をする中で出会った仲間たちだった。

私が社会活動を始めたのは、「立派な櫻井翔のファン」でありたかったからだ。櫻井翔になりたいというのと同時に私は「立派な櫻井翔のファン」でありたかった。

私にとって「立派な櫻井翔のファン」は、櫻井くんが報道することを学び(私のような若い女が「ニュース」に興味を持つのは櫻井君のおかげです!という体裁を作り)、それをきっかけにして行動を起こし(翔君は嵐の活動でCSRをできないかみたいな話をしていたので、私も嵐プロジェクトの一環として社会課題に取り組む)、実際に社会から評価されて、このエピソードを披露する。

「きっかけは櫻井君なんです。」と。

そして櫻井君に還元される。これが「立派な櫻井翔のファン」だと思った。

そんな下心もありつつ、私自身の経験・私のセクシュアリティ、様々な要因から私はフェミニズム運動と出会い、身を投じ、そこで学び、そこで私は「私」になった。

私はもう「櫻井翔」ではなかった。

溶けあっていた「私」と「櫻井翔」の境界は明確になり始めた。

 

 

 

 

確認しよう。

私は「櫻井翔になりたい」と大学に入った。

私は「立派な櫻井翔のファンでありたい」と社会活動を始め、同時にそこで学び、また大学でも社会活動に還元できるような学びを深めていった。

ぜんぶぜんぶ始まりは櫻井くんだった。櫻井くんが大好きで、そのためにできることを全部やろうと思っていた。さみしさを埋めて、あなたを全身で愛したかった。

 

ところがそれが、「櫻井翔」という人格にアクセスし、溶けあうどころではなく、彼と私の境界を引き始めた。

 

私は彼のためではなく、私のため、私のこと、私の仲間、私が思い描く社会のために身体を動かし始めた。いつのまにか私は、私自身を動力にして動き始めた。

(もっとも「櫻井くんのため」を掲げていた時だって、自分のさみしさ・欲望のためじゃないか、と言われてしまえば元も子もないのだけど。)

 

 

大学三年くらいにはうすうすと「君と私は別人だ」ということが、身に迫るようになっていた。

だが、はっきりと、叩きつけるように、とんでもない衝撃を持って、私は君との境界を認識する。

いや、ずっと、ずーーーーっと前から「人格と溶け合う」なんてまやかしだった。そんな虚像に身を委ねて、架空の安寧に快楽を見出していたことのしっぺ返しが怒涛のようにやってくるのは2019年だった。

 

 

 

 

一つ目は、休止の発表。

まったくの「想定外」だった。私の「櫻井翔」をインストールしたコンピューターは衝撃でぶっ壊れた。こんな大きなことを察知できなかったなんて、ポンコツコンピューターだ。私が学習しているつもりだったのは「櫻井翔」の人格なんかじゃなかった。彼が売り物にしているエンターテイナーとしての彼を、私の中にダウンロードしているに過ぎなかった。

 

まぁ、それはいい。彼がプロのアイドルとして、素晴らしかったというそれだけのことだ。私もプロのお客さんとして詮索しないのが礼儀だ。

 

 

二つ目、「天皇陛下万歳

はっきり言って、これが一番許せなかった。これからも許さない。ずっと許さない。

いや、こんな感情を持ってしまう自分があまりに皮肉で、悔しく、残念だった。混乱した。辛くて、意味不明で泣いていた。初めて好きな人に「失望」するという経験をした。

私は、「櫻井翔」になりたくて、彼の背中を追いかけて、学んできた。君に認められたいという下心もあった。櫻井くんは自分のファンに対して、ニュースに興味を持って欲しいと、戦争を忘れないで欲しいと、時には「反骨精神」も悪くないと、社会に興味を持って欲しいと、震災でもなんでも自分にできることを行動を起こしてほしいと、言っていた。だから私はそれをやった。今の政治に、経済に、何が起こっているのか、戦争とはなんだったか、戦争はなぜ起きたか、どんなふうに戦後処理されたか、それがどんな風に現在に影響を及ぼしているのか。ラップはどんな文化か、黒人差別に抗う文脈のヒップホップ・ならば翔君のラップはアイドルの「どうせ顔でしょ」というまなざしへの抵抗か、吉本荒野の怒りは「こんな世の中への怒り」ではなかったか、それでも強く生きて欲しいという若者へのエールではなかったか、「今私にできること」という報道は、だれもが社会に影響を及ぼせる「市民」としての意識を持って社会を生きることを推進していたのではなかったか、今のzeroの「自分ごと」は「Personal is Political」という有名なフェミニズムのスローガンと一致するものだと考えた私は愚かだったか。

 

 

天皇制は、家父長制の象徴だ。女性差別外国人差別、部落差別の根源だ。クソみたいな戸籍制度の頂点だ。政治情勢から、あの戦争では責任を取らなかったが、それは「責任を取らなくていい」ことを意味しない、生き残りの制度だ。(日本国憲法にも天皇制の記載はあり生き残っている、それを無くすなら改憲議論のテーブルに着くしかないだろう。)「天皇陛下」万歳は、それを賞賛する。あの儀式で、彼らは平等な国民ではなく「臣民」の代表のように列席していた。彼は始めたばかりのTwitterで「誇り高い仕事だ」と言って出かけていった。「天皇陛下万歳」と叫んだ青年たちが飛行機に乗り込んで「アジア」へと向かう、そんなクソみたいなアナロジーの状況が出来上がったことに背筋が凍る。嵐が歌う「君」はいつだって、愛おしい人、友人、対等で親密な関係性の人間を指す言葉だった。ぼくらは民主主義だからねと柔らかく笑うのは、単なる多数決ではなく、熟議を経て物事を決定する平等な討論プロセスを指して笑っていた。そんな人たちが「誇り高く」「天皇陛下万歳」?

ラップは、差別に抗う言葉、文化ではなかったか。多くのヒップホップカルチャーが商業化の中でその文化的意味を漂白されてきた中で、翔くんの言葉は決してブラックカルチャーとは同じではないが、あくまでも「芸能を行う賤しい民」といったかつてのイメージと「顔だけ芸なしジャニーズ」というステレオタイプを逆に引き受け、それを打ち壊す言葉として、元々のラップカルチャーと共鳴してきたんじゃないの?そんな言葉を綴ってきた人の「天皇陛下万歳

私にとって、「嵐ファン」という個人的なことは、女であるということ、異性愛者ではないということ、そういう個人的なことはこれほどまでに政治的なことになってしまっていた。大学に入って私は、「櫻井翔」ではない「私」になり、「私」は常に既に政治的だった。

 

 

 

こんなはずじゃなかった。

私は、私は....「嵐ファン」だった。私の言葉、体、考え、なにもかも嵐のためにあった。皮肉だった。皮肉すぎる。いつのまにか私はこんな風になってしまった?

私の言葉は「嵐最高!」って言うためにあったのに。

君と私は別人になってしまった。

 

 

君が、もっと知って、もっと考えてっていうから考えたのに。こんなに、こんなに意見を持ったこと、考えたことを後悔した日はなかった。

学問も、知も、想像力も、なにもかもいらなかった。

感動と、常識と、従順さで十分だったなんて、そんな、そんな。

 

ずっと翔くんになりたくて、翔くんの背中を追いかけて、いつのまにか自分で走れるようになって走り始めて、結末はこんなんだった。

 

 

 

 

その後、嵐は安倍さんのTwitterに登場した。

その時、さすがの嵐ファンTLも少しざわついた。他のグループも安倍さんのTwitterには登場していたし、国民祭典の主催団体、その団体と総理の関係、もろもろを見れば時間の問題だと思っていたから、そのこと自体はもうなんでもいい。

その時のTwitterの様子が、私を冷めさせた。

「翔くんなら、誰かと儀礼的に会ったくらいで政治的な意見の表明だなんて浅はかな読みはしない」「礼儀正しいのが嵐」「陰謀論に惑わされないようにっていうのが翔君」「翔くんなら、『安倍死ね』とか言っている人を軽蔑するし、そういう人が言う意見を鵜呑みにしてはいけない。」

そこには大量の「翔くん」がいた。

それぞれの「翔くん」は微妙に違うことを言っていた。(これはニノの結婚の時もそう)

みんな心の中に「嵐」や「翔くん」がいて、愚痴垢はそれと当人たちの活動がずれていくと「失望」したりしていたのだ。そして「愚痴垢」になっていった。

私が愕然とし、失望したのは、私の失望は「勝手に作り上げた嵐像」と現実の顕著なズレという主観的で身勝手な出来事に他ならなかった。

 作り上げた翔君と不一致が起きなかった人は「櫻井翔」に何かを語らせていた。

 

 

みんな翔くんが大好きで、翔くんと溶け合っていた。

心の中の翔くんは、正しいことを教えてくれる。

 翔くんと溶け合えば、さみしくない、怖くない。愛のユートピアが広がる。

甘美な世界に戻りたい。境界を乗り越えたい。でももう無理だった。

私にとって愛することは、溶け合うことだった。ファンであることは、溶けることだった。

 

 

どうすればいい。

 

 

それはこれからの課題だ。

幸い、私は櫻井くんへの執着を捨てられない。北京公演がなくなったときの指先から血がなくなる感じは間違いなく彼への私の強い欲望だった。

国立競技場のコンサートを申し込む祈るようなキモチも。

 

 

君と私は別人だ。

 

別人だからコントロールできない。だからコミュニケーションが必要だ。私たちに、アイドルとファンに対人間におけるようなコミュニケーションはないけれど、それでも私は君が必死にこちらに向けて語りかけるのを聞くだろう。私は必死に答えるだろう。

 

別人だから尊重しあおう。バラバラの人同士、決して同じではないもの同士が関係を築くのが社会で、同じになるのが共同体ではない。決して踏み越えられない権利と尊厳を抱く人と人の支え合いが「関係性」であって、自他同一化プロセスが関係ではない。

 

 

溶け合うだけが愛ではないと、私がこの4年間で手に入れた「ペン」がそう言っている。ならば、私は私のペンの指す方向へと、ペンが導く理論があるなら身体でそれを実践するしかない。

 

 

君と私は別人だ。

君のペンと私のペンは違うもので、指し示す方向もまた、決して同じではない。

(「あのビル落ちた日考えました」の後に私ならあの詞は書かないだろうと思ったのは、最近のことだ。あの歌詞を書いた彼の年齢と同じくらいになったけど私と彼はどこまでも違う「他人」だった)

 

 

君と溶け合ったように錯覚した時間は私の宝物で、「ペンの指す方向」は私にとって至言であり、それが櫻井翔のファンならば私は櫻井翔のファンで、私の人生には色濃く君が刻まれている。

 

 

私は私のペンを手に入れた。

 

 

これからは他人同士、別人同士として愛し合っていきましょう。

依存的な、同一志向的な方法にすっかり慣れてしまったから、できるかわからないけれど、挑戦しないなんて選択肢はない。

できなかったらしょうがない。永遠の愛なんて、君しかいないなんてJ-POPの中にしかなかったのだと知るだけだ。もう怖くない。私の人生で一番こわかったのは、君と境界線を引いた時だから。あとはやるだけ。

 

 

 

 

はじめまして、櫻井翔さん。私と申します。

よろしくお願いします。