LOVE!LIFE!ENJOY!

好きなものなんでも書く場所になってます

泣きながら生まれてきた僕たちはたぶんピンチに強い

 

 

2019年、なんかたくさん泣いた気がする。

 

 

2019年1月27日。あの日もすごい泣いた。

翌日も、翔くんのZEROを見ながら。その次の日も、次の日も。

VS嵐のオープニングも、Mステの「君のうた」を私たちひとりひとりに伝えるように懸命に歌う嵐を見て、涙が止まらなかった。

 

5月に札幌のライブに行ったときも、ニノのあいさつに泣かされた。翔君の鋭い瞳に打ちぬかれてそのまま泣いていた。

 

7月にジャニーさんが死んだときも。大学のラウンジでSMAPのオレンジを聞きながら泣いていた。二番のサビで泣いてしまうので聞いてほしい。SMAPファンがどう思うかわからんけど、自担が社長を思って歌ってると思って聞いてほしい。きっと泣く。

 

24時間テレビ。理由なく泣く。

 

国民祭典とニノの結婚があった11月も気持ちがついていけなくて結構泣いてた。チェーンの個室居酒屋にかなりお世話になった。個室、大事。

ベストアーティストで今年が終わっちゃいそうだと認識しても泣いていた。

 

12月オーラスのライブビューイング。大野さんは「命がけの決断」と言って泣いていた。オタクもすすり泣いていた。私も泣いていた。

 

さっき。ネットフリックスのVoyageを見てまた泣いていた。

 

 

 

気を張っていないと泣いてしまう。

嵐がいない日々はどんな日々だろうって、今じゃなくて未来を考えて。嵐じゃなくて自分のことを考えて。いや、嵐はどんな気持ちであの日を迎えて、いまどうやって「前を向くだけでは足りない」ような状況を生きているのだろうと考えても泣いてしまう。

ふとした瞬間、あふれ出してしまう。

 

まったく、一体どれだけの女の子を泣かせたんだろう、罪な人たちだ....と皮肉を言いながらまた泣きそうになる。それだけたくさんの女の子、というか人間を幸せにできるから、それだけ多くの人を泣かせるんだ。罪深い。

 

 

そんな一年だった。

20周年、喜び、幸せ、愛、悲しみ、不安、、たくさんの感情を嵐にもらって、たくさん泣いた年でした。

でも、産まれてきたときも私は泣いていた。だからこんなピンチにも強い。たぶん。

 

 

 

来年ももっとたくさん泣くんだろうな。泣いて、でも嵐のおかげで笑っちゃうんだろうな。Smile againって歌っているようにね。

 

 

 

少し話が変わる。

人生で大切なことは決して「愛」だけじゃない。このブログを開設した当初は「LOVE」なんてタイトルにつけてしまうくらい「愛」こそが大事で、それだけが私と嵐を結び付けてくれるものだと思っていた。

今は、それだけじゃないと思っている。それが私がここ数年考えたこと。

 

 

だがしかし。それでもなお。

 

 

嵐には、「愛」を送りたい。

 

 

lovelifeenjoooooy.hatenablog.com

 

このブログを書いた数日後、櫻井くんはオトノハを更新した。

スマホに雨が降ってなんだこれと思うのと涙だと気づくのが同時だった。

 

彼はクサイセリフは言わなかったけれど、確かにファンを愛していた。気づいていた。「最大公約数をとる」というあなたのことを理解しているファンが、ほんの少しだけさみしいかもしれないことを。

強い言葉で、何度も何度も、いつになく誰が主語なのかわからないような何とでも読めるしかしもはや曲解のしようのない文章。

 

その時ツイートもしたけど、もう一度。

私は自担に「愛されたい」なんて、そんなこと思わない。私にとって彼がかけがえのない人で、でも彼にとっては何百万といるファンクラブの一人。大切にしてくれなくてもいい、大切にさせてほしい。

でも、

愛されたかったんだなぁ...とあのオトノハを読んでこみ上げる感情に苦笑した。

ばっかみたい。でもばかにできない。愛だった。

それを知っていて、言葉に出して伝えてくれたあなたも愛だった。

愛だ。あえて言おう。これが愛じゃなくて何が愛だろうか。

 

 

 

さっきのネットフリックス。

250万人を相手にしながら、「この席に着くまでにどんな思いが」というあなたにまた愛を感じて泣いてしまった。

 

私はふだん、髪の毛を巻いたりしない。マスカラもしないし、ましてや、つけまつげもしない。嵐のコンサートだからする。

たくさんのジンクスを一つ一つやる。思いを小さい紙に書いて、縫い込んだこともあった。でもそんなことは私一人が知っていればいいのであって、翔君には関係ない。

 

なのに知ってたんだなぁ。

対マスのベクトルが嵐から発せられる。どんなに繊細で気の利いたベクトルでも、対マスでしかない。そう思っていたけど、繊細な対マスのベクトルには、彼らの対一人へのリスペクトと愛があるんだと、思い知らされた。

 

 

 

嵐は初恋だったといっても過言ではない。

嵐ファンになる前の記憶がない。

毎日何が楽しかったのかよく覚えていない。

 

 

溢れてく世界はためらいもなくただ君で染まってゆく

 

 

君色の世界しか知らない。それが「愛」なのならば、「愛」を教えてくれたのは嵐だ。

人を思うこと。

ワクワクすること。

悲しくもなること。

「愛」は確かに、私の人生を変えた。

 

 

私のインスタのストーリーはフィーリングで更新しているけど、札幌のコンサートが終わっての投稿は「全身全霊で愛してる!」だった。

先日のライブビューイング終わりは「愛を教えてくれてありがとう」

 

 

嵐さん、しょうくん、愛を教えてくれて、そして、2019年は20周年ということでたくさんの愛を伝えてくれて、本当にありがとうございます。

泣いちゃいそう。

 

smile again ありがとう

smile again 泣きながら

生まれてきた僕たちは たぶんピンチに強い

 

 

 

 

 

 

さ、涙をふいて。

 

 

深い愛おしさは、嵐。

 

 

 

本年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。