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それは美しい焦土か?

 

ブログめちゃくちゃお久しぶりになってしまいました。

コインロッカーベイビーズのお話をしようと思います。

 

ほんとはこの日の河合くんはこういう芝居をしてて、こういうアプローチだった、とか。橋本くんはこの日こんな調子だった、みたいなことを描きたいのですが、つくづくそういうことが苦手なオタクなのだと自分を知った夏でした。

 

多分、究極私は河合くんや橋本くんが見たい(そのお芝居が観たい)のではない気がします。

芝居を見て、自分がどんな状態になるか知りたい。お芝居を見て、ハイになりたい。酔いたい。オタクでもなんでもない自分という人間のためにお芝居を見ているんだと思います。特にコインロッカーベイビーズは。

 

もちろん、今日のハシはのってるなぁ...とか、特に橋本良亮という役者に関してはそういうところがあるから私もそれを感じ取る。あるいは、一応二年前の初演も見ているから、この二年間で河合くんがどうかわったか、それがどう生かされているのか、そういうことももちろん感じる。

それ以上に、私はこのお芝居に私という人間で向き合いに赤坂に行っていたような気がする。同じお芝居を見て、「わたし」が何を感じるかと言うことを私一人が楽しんでいた。

 

そして、VSじゃないけれど、私が負けた。もう私には立ち向かえない、十分だ、そう思ったから、またとない機会だったけど大阪で追いかけるのをやめたような気がする。

 

すごく前置きが長くなったけど、一応、人に公開する文章なのでそういうことを断ったうえで、全然オタクっぽくない、つまりレポートとは程遠いような、感想文を書こうと思う。最後の方に、公演終わりに書いたポエムもくっつける。

 

 

 

 

「東京を爆撃だ。」

 

ダチュラに焼かれた東京。

 

私は、それは、きっとさぞかし美しい景色だろうと思う。

私にもどうしてこんな感想がでるのかわからない。頭で考えればそれはテロだ。テロは悲惨だ。Twitterで、はっしーのキクは優しいからこそ流されるままにダチュラに手を出すように見えてオウムと重なるような感じがしてなんだか苦しいといった感想を見たが、私はそういう意見を見るまで、キクのしたことがヤバイことだなんて考えられなかった。

 

キクと私が同一化しているのか私がヤバイやつなのかわからないけれども、キクはあの景色を美しいと思ったと思う。

全部吹き飛ばしたから。

 

コインロッカーに象徴されるのは、構造だと思う。

構造は、資本主義とか性差別とか民族差別とか植民地とか帝国主義とかそういうことを自然のものとして、人々を当たり前に閉じ込めて、偉い人がそこから甘い蜜を吸うこと。

それを壊すのは、大変だ。それが当たり前だとみんながおもっているから。そのコインロッカーの中にいることが幸せだと思っているから。

 

コインロッカーを破壊するためには、みんながコインロッカーに閉じ込められていることを知らなきゃいけない。そのあとで、コインロッカーベイビーズたちみんなで声を上げて、蜜を吸っている人間を引きずり下ろす。人間の歴史は長い時間をかけてそういうことをしてきた。まだまだ課題は残っているけど。キング牧師ガンジーなんかが。

 

キクはそれを一足飛びに、二人きりでやった。キクはひとりでやったと思ってるかも。

 

さぞかし気持ちいいだろうと思う。

目に見えるあらゆるものを叩き潰し粉々にするしかない。

これをやった。そこにコインロッカーはない。

 

破壊という解決だ。

 

 

アネモネもきっと喜んでいる。

東京は沈んだ。残る地上はビルだけになった。

 

私も嬉しかった。爽快だった。毎回毎回東京を爆破したような気持ちになった。

強大なエネルギーを手にした気持ちになった。

一人で観劇した日はエネルギーを抑えきれずに赤坂駅までの短い道のりを走った。周りに帰宅する観客はたくさんいるのに、不思議と世界に私一人だった。

 

特に橋本キク×河合ハシの時の爽快感がすごかった。橋本キクのさわやかイケメンっぷりのお蔭だろうか。むしろ河合ハシの救いようのなさにその原因はあるような気もしてる。全能感に近い爽快感だ。

ちなみに、この爽快感はまやかしだと知っている。

ものすごい爽快感のあと、体中が大きなゼリーに包まれているような無感覚の状態になる。ぽやぽやと車窓を眺める。観劇から二時間経つころには、重たい頭痛が私を襲った。

 

東京公演最後の河合ハシ×橋本キクの時だけは、私もすごい興奮していた。全能感に近い爽快感が終演後二時間経っても続いていた。そして、「それは愛か破壊か」というキャッチコピーを思い出した。「あーーー愛だった!そうだ愛だ!!!これは愛なんだ!!!」と異常に腑に落ちた日だった。

 

まやかしの爽快感。まやかしの全能感。

コインロッカーベイビーズ、文字通りのシャブだ。

私はこれを得たいがために行っているような気がした時期もあった。

 

一方で河合キク×橋本ハシの時は劇場を出ても怒りが収まらなかった。爽快というよりむしろ絶望していた。

高い高いTBSのビルを見上げては、これをどうやって破壊してやろうかというような煮えかえるエネルギーをふつふつと抱きながら悶々と電車に乗って帰った。

 

私は。

少なくともキクにとっては、破壊による自己救済と自己解放のハッピーエンドストーリーだと思う。

 

 

じゃあ、ハシは?

 

ハシにとってもハッピーエンドな気がする。

いや、なんでもかんでもハッピーエンドにしたがる現代の浅はかな若者の業の深さかな。そうかもしれない。

そしてハシのことは言葉にできない。

言葉に出来ないから、ハシには魅力がある。ハシは人間の第六感を刺激してそれを通して観客に語る。通常の言葉じゃない。

私はハシが伝えるそれを言葉にできない。

強いていうなら、愛の荒野。愛の荒野で漂うように生きているハシは、音楽や香りや光でしか表現できない。ハシは、香りで、ハシは音だ。ハシはつかんだら消えてしまう映写機の光。

 

ちなみに、私は「荒野」という言葉が好きだ。

整理されていない、未開拓の、厳しい、あらあらとした、そういう意味の荒野が。

 

世の中はコインロッカーだらけだから。同じ大きさに切り取られ、分けられ、整然と並んだものばかり。色つきのコインロッカーを「結構ユニーク」って言っちゃうみたいな。(Cf.ハリー)

 

ハシは、荒野の真ん中にうずくまっていた。

ハシの声は、人の心の荒野を呼び起こした。区画整理されていないそこを私は言葉というもので区画整理する気はない。

 

ハシは美しい荒野、焦土を、美しいものとして持っていた。

なのに、周りの人間がハシの荒野を切り刻んだ。区画整理した。

ハシの荒野は元々美しかったのに、そこに合いもしない花を植えたり遊園地を立ててユートピアを作ろうとして、ハシの荒野は死んでしまった。

 

ハシは土足で荒らされた荒野を、もう一度美しい荒野に戻すために、血で洗い流した。

 

洗い流しきったハシは、「生きる」と宣言する。

 

ハシはダチュラでは死なないと思う。

ハシ自身が最高に美しい焦土だから。焼け焦げたんや、ってDは言うけど、ハシは自分が血をながして、大事な人を血を流させて、Dや大衆の欲望ごと自分を焼いて、もう一度綺麗にしたんだよ。

 

ハシもまた、ハシに戻って生きるんだ。

 

私はそう思いたい。

 

 

ところで、河合ハシは「ずるい」という言葉だけが見えた。

幼児のようなきゅるきゅるの笑顔、「キクは島の恥なんだって。」と嗤う顔。

何より、キクがDに殴られているとき「あっ」とか「うっ」とか言って、チラチラとDの顔を見るばかりで積極的にDを止めようとしないあの感じ。

そういうずるい人間の美しさと強さが、青い舌の色気が異常な値を醸し出す。業が深い。他人のまなざしを計算して、自分の弱さに蓋をして、人の欲望を引き出すからこそ出てくる業の深い色気。

 

この世のものとは思えない美しさ。世界中の美という美を結集したかのような「美」そのものの「負」を蔭に落として完璧な「美」を見せつけるハシ(そして河合郁人の顔・肉体)に私の目は焼かれたのだった...。

 

 

 

最後にアネモネの話。

 

 

ほんっっっっっとうに好きです。アネモネ

 

 

好きすぎて山下リオさんにお手紙を書いてしまいました。ジャニーズのタレント以外の方に初めてお手紙をしたためてしまいました。

そして、毎回涙を流すのは「ワニの国」でした。

コインロッカーベイビーズはあんまり私の涙腺を刺激する話ではないのですが、「ワニの国」が泣きポイントで。

 

憧れか。

こんな風に生きられたら、つまらない生き方を金繰り捨てられたら。

「殺してあげる」と言えるような人を、ように人を愛せたら。

 

なんなら「拳銃なんか持っていても1人か二人しか殺せないわ」「私とあのオカマどっちが大事?」「キク、ダチュラよ!ダチュラを忘れたの?」って言いたい。

彼氏の裁判を傍聴したい。(どさくさ)

 

明るく、高らかに、「人に嫌われたってちっともこたえないし」と歌うあの姿が眩しくて、泣いてしまう。

 

 

小説の文庫版の解説に乗っている言葉が好きでメモってある。(メモってある引用がどのくらい正確か記憶にないけどメモによれば)「『真面目な女の子には魅力がないから私は真面目になりたくないわ』そうだ、私もだから真面目になりたくなかったんだ。」という解説に涙を流した。朝の総武線で小説を読みながら泣いた解説だった。

 

舞台のアネモネもそうだ。魅力にあふれている。

私は真面目になりたくないわ。

 

「サチコ、あなた閉じ込められてるのよ。生まれた時からずーっと。」

 

コインロッカーに捨てられたわけじゃないアネモネは、それなのに閉じ込められている

ことを知っている。私はそれが好き。

だから、アネモネもコインロッカーベイビーズなんじゃないかと思う。

コインロッカーベイビーズには、ハシとキクだけしか入らないってのが最狭義だろうけど、私はアネモネも入るしたくさんの死んでった赤ちゃんたち(アンサンブルの人が演じている)ももしかしたら入るかもしれない。少なくともアネモネもコインロッカーベイビーズだ。

 

そんな私には、3人の歌がすごくしっくり来た。

アネモネは主役ではないけど、でも3人主役にしても見てみたいような、そんな私に二幕前半と終わりにある3人の歌はすごく象徴的。

 

3人は力を合わせたのではなく、それぞれが一人で気のすむまでやりつくしたのだ。

 

「やりつくす~みていろ~」のところのアネモネの顔が好きでアネモネ双眼鏡で見てたくらい。

 

 

アネモネは今までもこれからも私の憧れとして生き続ける。

 

 

コインロッカーベイビーズは、息子の母殺し、女殺しであると同時に若者の世界破壊だ。構造破壊だ。革命だ。

 

アネモネの存在は、文字通りのコインロッカーベイビーズでなくとも、私たちもともすれば破壊の主体になりかねないということを教えてくれる。

狂っちゃいない。狂っているのは世界のほうだ。

 

 

 

コインロッカーベイビーズ期間中、全身びっしりハエに覆われて食われて死にそうになる夢をみた。

そのくらい私を飲み込むお芝居だった。

 

それが河合郁人と橋本良亮主演だったなんて、私はなんて光栄なオタクなんだ。

 

私は橋本くんを天才だと思っている。特にデストラップ以来そう思っている。そんな橋本くんが共演なことが河合担としてほんのちょっと怖かった。杞憂に終わった。

河合くんは秀才だった。それを思い知った。

(自分では努力といわないけど)確実な努力、確かな実力、安定した声とセリフ、積み上げた稽古と綿密なプラン。

 

私はこの夏、天才と秀才の命の削りあいみたいな舞台を見届けた。

 

ほんとうに幸せ。

 

いつかもっと年をとって、小説を読み返したら、感想が違うんだろう。破壊に憧れたりしないんだろうか。

2年前はもっと破壊に憧れた気がする。

2年前よりも確実に私の周りの壁は厚くなっている。

 

この夏の衝動を、熱さを、狂気を、絶望と希望を、爽快感と全能感を、忘れたくない。

 

あの焦土と、それを覆う音楽、ハシ・キク・アネモネの肉体を忘れない。

 

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

☆以下、ケータイのメモに残されたメモ。書く気が起きた時だけ書いたもの。ほぼポエム☆

 

初演は
この先どうやって世界を破壊しようか(絶望)という気持ち
今回は
世界の破壊してきたぞー!お疲れさまでした…
という爽快感。

ハシの生きる世界は感覚だ。言葉じゃなくて詩を生きてる。
言葉じゃなくて音楽だ。意味不明。

ハシを縛るのは他人だ。誰かに承認され続けなきゃいけない檻だ。

最後にハシは檻から出た。
だからもう殺さなくていいんだ。
檻を壊さなくていいから。

新しい歌はハシ自身の歌だ。
ハシのハシのための歌。

母を殺して世界を手に入れる。

 


7.20

初めて観劇後に愛してると思った
破壊より愛だ
破壊から愛の誕生を感じる

ハシが作家を殺すところの叫びがすごい

キクはどこもかしこも全力のキクだ
嘘。キクはハシに対してのみ全力の全てで

覚えてるか、でキク泣いてた
キクはハシに手を離されたとき、驚きと切なさ、ハシが自分が知らないハシになった悲しみ

橋本くんのキクは優しいから泣いている
ところどころ泣いている顔してる
壁の歌もそう、泣いている
誰がハシをあんなにしたって泣いている
泣いた先に、湧き上がる怒りが、すべて粉々に破壊する

キク、優しくて穏やかでぼんやりした目をしてて(それが時に泣いている)のに、ハシのことになると目をぐっと出して全身の毛を逆立てるんだ

ハシはぷるぷる震えてて、でもそれでも無邪気にキラキラと生きていたのに少しずつ少しずつ汚れて擦れてキラキラがなくなっていく
透明で透明で綺麗なガラス玉は変わらず綺麗なガラス玉のはずなのに、どんどん中身だけ曇っていく、、一番表面はガラス玉なのに、キラキラが消えていく

どうしてハシは笑ってキクをお母さんにあわせたりしたの?
ハシ、、ハシ、、キクは怯えて絶望して震えて破滅した

ハシは、キクが大好きだけど同時にキクが憎いんだ
愛してると憎んでるは表裏一体
ハシは愛すると憎むがどんどんぐちゃぐちゃになる

犯罪者のハエのせいかもしれない

でも、あの時無邪気にキクをお母さんにあわせられちゃうハシは、、元から愛してると憎んでるが曖昧なんだ
ハシはキクから自立する、しようとする
ハシはキクの庇護じゃなくてハシの世界を生きようとしてズタズタにされた

ハシの解放の物語は、ハシがあらゆる「母」ハシも作家もDも二ヴァからも自由になり、彼らを憎み愛し殺した先に本当の自由があったってことか、、

くるしいな

ハシは二ヴァにお母さんを求めた?

あおいしたのハシ、全身でDを誘ってる
背中の汗

子供の無邪気さが妙に色っぽくみえる、それすらも計算されている
ハシ、男娼になるために生まれてきたんじゃないかというくらいの色気というか芳り

今日めっちゃ触られてた

ほんとうにDのこと好きになってるハシが見てられない
歌手になるための手段じゃない、ほんとに好きなんだ

島の誇りのハシ、あそこもハシはキクを愛しすぎて憎んでる

壊れていくハシ
目が狂ってるけどほんとうに嬉しそうな顔する
まるで僕、狂ったわけじゃないんだ
といわんばかりに
無邪気に嬉しそうに(目はだめになってる)2回もあの音をきけるんだ

それを柵の中でみてるキクの無力さ


今日のリオモネの「気の済むまでやりつくす」前の顔すごいいい
てかワニの国で遂に涙流してもーた

アネモネ、自由で可愛くて、愛し抜く強さがあってとてもすき

 

7.28
ある男をあなたを〜の後のアネモネ全力ダッシュクソ可愛い

キクの釣り上がった目の怒りが何度見てもやばい
飛ばなきゃ の前の目線、去り際にもう一回目線あげてた

 

 

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