ぼーーっと立ちすくんでいると、「電車が通過します」のうるさいアナウンス。
あっ、と思った時には目の前を列車は通過。
赤く染めた髪が揺れて、騒音が遠ざかると再び私の溜息だけが残った。
あの列車に乗らなければならない。
すぐ後ろにある階段を駆け上がって、特急券を買い、後からくる列車に飛び乗って、そしてさっき通過した列車に追い付かなくては。
普通に追いかけたら間に合わないかもしれない。だったら途中で窓を開けて、向かいの列車に飛び乗るくらいのガッツが必要だ。
さぁ走れ。
赤いスニーカーに、ジーンズに眼鏡。頭には無数の雑誌であの人が語った言葉が詰まってる。鋭い目つきで、言葉の魔法もナイフも知性で使いこなすスーパー櫻井担の私は、すぐさまこの計画を思いついて走り出そうとした。
オタクたるもの行動力と体力が勝負だ。さぁ走れ。
その私の足を、誰かがつかんだ。待って、行かないで。
それも私だ。
赤いハイヒール、走れやしないが綺麗だ。カラーコンタクトにつけまつげ、華奢なデザインのアクセサリーを身に着けた私だ。夢女子の私。
昔は大嫌いだった、夢女子の私なんて。
あの人、翔くんは、私を「彼女」扱いなんてしない。どこまでも「ファン」だ。だからこそフェアに、誠実に、紳士に、星の数ほどいる彼の女たちを満足させてきた。私が「彼女」ぶったら、そこで彼に不満を感じる。楽しくないオタクライフなんて嫌だ。
個別のファンサよりもよりよいパフォーマンスを、良席よりも彼がぶんぶん手を振ってくれる遠くの座席へ。
でも確かに夢女子の私はいるのだ。
最近はどういう風の吹き回しか、そういう自分も殺さずに認めてあげようと思っていた。あんまり無理しなくったって。ぜんぶ私なんだから。
そういう私がここで裏目に出た。
夢女子の私は言う。
「翔くんが、私がこうなっちゃってることをね、間違ってないって言ってくれたのは本当にうれしいの。正しいファンなんてないって言ってくれたことは。本当に。本当よ。でもね、彼は走って行ってしまうでしょう。私と一緒に、ここで泣いている私のそばで困った顔をして、私の肩をさすってはくれないでしょう。知ってた、知ってたけど、わかってるの。それが彼の正義なのだって。そうすることが一番多く彼のファンを喜ばせることになることも。全部全部わかってるから、わかってるから。だから待って。ファンの私だけは、夢女子の私と一緒にいて。」
ファンの私は戸惑った。うろたえた。
というか総合的な人格としての私が、かなり戸惑った。
櫻井翔の論理をよく知る人間であれば完璧すぎる「Keepon無我夢中」投稿に感激をして、その言葉のありがたさに涙を流し、靴紐結び直して走り出したはずだ。
やはり、翔くんについていくのに向いていない夢女子人格を早いうちに消しておいて、「ファン」としての自分に統一しておくべきだったか.......。
Twitterでは、翔くんさすが、翔くんありがとうの嵐だ。さすが私のTLのみなさん。不満も文句もない。当たり前だ、櫻井くんがそうやって走る背中を見せたことがもう、それだけが、言葉以上に「すべて」なのだから。
さぁ、どうする、私。
スーパー櫻井担私「夢女子の私は泣いてていいから、私の背中にのりな!(イケメン」
泣く夢女子を乗せて私は走り出した。
かくいう私も葛藤がない訳では無い。
ずっとずっと、走り続ける彼と共に走って来て、やや疲れた感は否めない。
全速力で追いかけているのに、背中はむしろ遠ざかるばかりだ。
櫻井翔になる、が目標だった私が、実在する人物を目標だなんてやめたやめた、と言い出したのは、私には無理だと思ったからだ。
彼は2019年も変わらず走り続ける。
葛藤なんか抱えたまんまで、夢女子1人乗せて、彼についていけるか。
これを書いて、下書きに保存したまま金沢旅行に行った。
2013年3月のCasa BRUTUSを見て以来、夢女子の私が、夢小説を頭の中で何度も作った私が妄想の舞台にしてきた土地だった。
綺麗だった。
中学の時の友人と一緒に、私はたくさん妄想の話をした。
これからの嵐の話もした。
ツアーの話もした。
旅行のお供の「新章神様のカルテ」では、かつて研修医だった一止先生が大学病院で研修医の指導にあたっていた。
東京駅に帰ってくると、夢女子の私は微笑んで満足して、「走ろう」と。
3月下旬。
もうすぐあれから2か月たつ。カウントダウンは進んでいる。
はやぶさ、24時間テレビ、、、、加速する列車を追いかけて、私はいまマッハ5で進んでいる。乗り遅れるな、今は今しかない。
あまりに「嵐が嵐すぎる」がゆえの眩しさに照らされて、切ない今一瞬の輝きに涙が出る。でも、泣いていても大丈夫。走っていれば、風で乾くから。