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動き続けてしまう、長針と短針

 

一週間経ちましたね。

長いけど短かったなんて、なんて陳腐なコメントなんだ。

 

 

 

 

愛用している腕時計がある。もう6年くらい使っている。

私は腕時計をしてコンサートに行く。

時計をするなんて「夢の世界」に行くのに現実的でナンセンスだという声もあることでしょう。

でも私は、コンサートが「夢の時間」だからこそ時計をしていきます。

一定の時間が経過したら、必ず帰るのだと自分に言い聞かせるために。

 

 

絶対当たらないと絶望していたコンサートが当たった時がある。

Beautiful Worldは当たらないと思っていた、前年の僕風が当たったから。だから当たるとそれはそれは楽しみにして、しかも当選から当日までが年明けの大阪公演だったから長くって、あらゆる準備をして、たった3時間を待ち望んだ。

 

Beautiful Worldのアンコール、超絶絶好調超を聞きながら、私は醜い顔になっていた。胸の中で「終わらないで!!!」と叫んでいた。コンサートはまだ終わってないのに「終わってしまう」という思いに囚われて、離れたくなくて、帰りたくなくて、苦しい顔でメインステージを見つめていたような気がする。

 

終わった後、最後の最後の瞬間まで楽しめなかったのはもったいなかったな、と後悔した。

 

以来、必ず「夢の時間」は終わる、このことを忘れないため、終演までは目いっぱい楽しむため、腕時計をして参戦している。

 

 

 

 

 

必ず、終わる。

永遠はない。

 

知っている。だからずっと心のどこかで、いつかは....と思っていた。

だから1月27日17時の発表を聞いたって、悲しいけど、でもわかるよ、って理解できるよって。

 

 

彼らの選択を尊重したい。彼らの言いたいことは、あの会見で痛いほどわかった、痛いほど伝わった、あんなに丁寧に話してくれて感謝しかない。

翌日のzeroも。ありがとう。ありがとう。

Enjoyも。Mステも、何もかも。VSもしやがれも。ありがとう。ありがとう。

 

 

わかる。痛いほど、苦しいほど、理解できる。

そして私は、物分かりのいいファンでいたい。「わかるよ、丁寧に話してくれてありがとうね」って微笑みたい。

 

 

 

 

 

無理だ。

 

 

無理だった。彼らが「あとはパフォーマンスを見てくれ」と見せたMステのパフォーマンスは、あまりにも嵐だった。

わちゃわちゃとした、そう、「絆」とかいう古臭い概念をどこまでも純化して美化した結晶みたいに綺麗で、それでいて温かくて、テレビの向こうの人を包み込むように優しくて、どこまでもどこまでも「いつも通りの嵐」を「いつも以上に」やる嵐が、私の大好きな嵐だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしも私に魔法が使えるなら、時間を止めたい。

 

昔、別れ話をしたすぐ後に元恋人に会った時、悲しくって何も言えなくて最悪の空気の中で、「会うのはこれで最後になる」のを確信して、胸の中で「時間よ、止まれ」と叫んでいたことを思い出した。

最悪な空気のなかで止まったって、幸せはやってこない。それでも、新しい思い出が生まれなくなる世界に行ってしまうならここで世界を止めてしまいたい。

 

 

 

あの時使えなかった魔法は、今日だって使えやしない。

 

泣きながら叫んだって、私は魔法使いにはなれない。

 

コンサートに連れていった腕時計は、今日も残酷に時を刻み続ける。

先週「あと二年」って言った日々は、すでに先週から一週間減った。

 

 

やめて。カウントダウンなんてやめて。

やめて!!やめて!!!!!!嵐がお休みしたら、私にどう生活しろっていうの!!!!!!!!!やめて!!!!!無理!!!!!

 

 

相変らず、混乱してる。

先週高らかに「絶対受け止める」と宣言した私はどうにもこうにも受け入れられそうにないというのが本音だ。

こんな混乱とカナシミの中でもいい。それでもいいから時計よ、止まれ。

 

 

 

 

長針と短針は動き続けてしまう。

 

 

呆れるほど、切実な、深い愛おしさは、嵐。