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「 人生賛歌 」

 

 

 

(12月25日「untitled」感想。ネタバレ含みます。)

 

 

 

 

 

 

「untitled 」という作品。美術館に割とたくさんある。

 

私はそれに勝手にタイトルをつけるのが好きです。

 

 

作・嵐の「untitled」私が名付けるなら、それは、「人生賛歌」です。

 

ああ、この人達は人生賛歌を歌っているんだ。そうか、そうだったのか。って、すごく納得がいった。

 

 

 

このタイトルが思い浮かんだのは、UB前の映像→UBの流れ。

出会い。ただすれ違うだけでは出会えず、タイミングが合わなければ出会えない。出会いが人に影響を与え、私は君の色になりながら刻一刻と変わっていく。

 

人生の詩を読んでいるのだと思った。

 

そして、綺麗なイントロのUBが始まって、二人の人間が出会い、偶然か運命か、共に生きる物語が始まる。

元々UBの歌詞が好きなのもあるんだけど、その人生の機微を優しく表現するにのあいにボロボロ泣いてしまって。

にのあいクラスタってわけじゃないのに、アホみたいに泣けて。ああ人生だ、untitled は人生のことだったんだ、って急に合点が行った。

 

それぞれ個人の人生に、タイトルなんてないじゃない。だってそれはただの私の日常だから。だけどそんなそれぞれの人生は「ただの」日常なんかじゃない。奇跡みたいなタイミングを必要とする出会いの無数の塊である素晴らしい作品なのだと、嵐が語っているようだった。

 

そういう強いメッセージの中では、あの、国民的な、嵐ですら、むしろ逆に「ただの日常」を生きる個人でしかない。さわやかなお兄ちゃんたち。この人生賛歌のストーリーテラーであり、このコンサートにおいて取り上げられた単なる一例に過ぎないと言うこともできる。

 

 

 

そう思うと、コンビ曲の数々。ラップバトルを繰り広げるように戦いつつもそれが互いを尊重し、育てていくcome back な二人の関係性も。

ゆるくダンスバトルのように人生エンジョイな3人も。オタクもアイドルも。無数の個人の物語の、人と人の物語の1つのように感じた。

絆なんていう1つの言葉で括らないで欲しい、かけがえのない、ユニークな関係性という奇跡がそこらじゅうに溢れている。

 

で、人生は、肩の力ガチガチに入れて常に進めるわけじゃない。そんなことしたら疲れちゃう。そういう感覚に私は収斂させちゃったんだけども。

 

嵐さん、いい感じに力が抜けていた。

 

あゆはぴに行けてないから余計にそう感じるのかもしれないし、掛け持ちになったからそう感じるのかもしれないけど。とにかくいい意味での脱力、余裕がたまらなかった。

 

バズり後のミニMCのゆるさ然り、夜の影で松本潤スペシャルとかいってふざけてる大宮然り、いや、つーか最後のカンパイソングが最たるもんか。バズり後の異様に可愛らしいお顔で「俺は恥ずかしくない!…だがこのままZEROに出ろといわれたら辛い。スーツ着たい。」もなかなかのもんか。

色々あるけど、まぁとりあえず酒飲むか!的な。ふざけるか!的な。時に逃げるし、弱くもなるし、ふざけるし、っていう日常の延長が作り込まれた演出のコンサートに破れを与えて、めっちゃいいスパイスになってた。

まっじ嵐くだらないなぁ、って思った。しょーもないことして5人で遊んでるし。楽しそうだし。5人の距離が近いし。

 

 

言うなれば、徒歩って感じ。歩いてる。人生という作品だ!とか人生賛歌だ!っていうと、それはそれは壮大で大層なものに聞こえるけど違う。そうじゃない。人生は、通勤通学中みたいなもん、くらいの感覚。そういう何気ない日常を切り取ってるだけなのに、ここまでのエンターテインメントに仕上がってることが凄い。

帰り道に泣いてる日もあれば、今日頑張ったなーって日もあるし、友達とふざけたこといいながら歩いてる時もある。

今日はできる!頑張る!って朝歩いてる日もあれば、もう無理と思いながら電車に滑り込む日もある。そういう、毎日を歩く人のスピードを感じた。決して構成に緩急がないわけじゃなきのだけども。

だから力入ったり、抜けたりする。コンサート中に、高校の通学路を思い出したのは初めてだった。

 

 

 

それを生み出したのは、光の演出。ペンライト様々のおかげ。

ペンライトは、朝焼けだった。夕焼けだった。星空だった。毎日の光であり、希望の光だった。

 

 

 

 

特に、光とprayは秀逸だった。

まずpray(かな、なんか自信ない)

 屋内会場の東京ドームに朝日が差し込むなんて………!!!(震え)

三塁側から一塁への差し込む朝日。ほんのちょっと開いたカーテンから漏れるように、優しい光。

 

希望の光みたいだった。朝が、悲しみに暮れた後、ようやく朝の光が来たのだと思った。

 

綺麗だった。

 

 光もしかり。

 

私はつくづく嵐は絶望を救済してくれるコンテンツだと思っている。救済の嵐が、本当に大聖堂を東京ドームに出現させたときには、腰を抜かして、ああ嵐って本当に救世主だったんだ、ってただただ納得するしかなかった。

 

まばゆい光がステンドグラスに差し込んで、救済の希望となる。

 

 

本当に、綺麗だった。

制御されたペンライトは、制御されたものだし、人工的なもの。の、はずなんだけど感じるのは自然だった。

星の光、朝露、夕焼け、そういうきらめきがドーム中に溢れていた。人工的な世界は、私に私が生きる世界の美しさを思い出させた。

何より、温かいオレンジ色に光るライトが、一人ひとりの心にともる希望のように見える場面がいくつかあった。人間の美しささえ、思い出させてくれるようだった。

 

 

そして、こういう世界を作れる松本潤くんの感性が本当に好きだと思った。大好き。

自然や人間の美しさを知っている人間ができる演出だった。もともと潤君のえもいところが好きな人間なので私は。

感性をそのまま表現できるまで、演出技量を上げてくれた潤くん様様ですほんと。

 

詩で全体をつないだり、人生賛歌をドームっていうデカい箱つかってやる松本潤くん、まっじ好きです。いくら言ってもいいたりないや、これは。

 

 

 

そして、「untitled」な人生は終わらない、続いていく。出会いと別れを繰り返しながら。という文脈で満を持してぶち込まれるSong for you。

 

めっちゃ好みのダンスやんかーーーーーーーー!!

 

この曲を始めて聞いた時に、これえび、屋良、MADE、トラジャ、宇宙あたり集めて帝劇でやろうぜ、演出はヒロムって思った。歌詞の嵐へのあてがきを覗けば、組曲の性質と曲調上、舞台班にシアター系の振りで箱は劇場でやるのが綺麗にハマるだろうな、って。

それを嵐はどうやるんだろうって思った。

 

結果、私見では東京ドームで劇場風にしてやり切った。って印象。好き。

 

両サイドからでてくるのなんかWSSのオマージュかと思った。これはさすがに考えすぎね。こんなんでオマージュならなんでもそれになっちゃう。

ジュニアにハットかぶらして、白衣装でバックつけるなんて、かなりSHOWっぽいし、それをドームでやり切れる嵐の力量よ。

 

 

他の曲同様に歌詞を大切にしていて、天井席ながら、双眼鏡を使うことを忘れて世界観に浸ってしまう。

嵐のストーリーを歌い上げ、「This song for you」という彼らを見て、相葉くんの言葉をなんとなく思い出した。

 

綺麗な言い回しは忘れてしまったけど、人生にはいいときも悪いときもある。んで、嵐がゆっくりと階段を上ってきたということはゆっくりと階段を降りる日も来る。その時も、5人で階段を降りたい。みたいな。

この曲を歌う彼らを見て、本当に5人で降りるんだろうな、歩いていくんだろうな。そしてその目には、いつも私たちファンのことが映っているんだろうな、と思った。

 

だから私はこれからも嵐を人生のサウンドトラックにして、私は私の人生を歩いていこうと思った。うん。

 

 

 

で、まぁこんなほのぼのした雰囲気であの嵐が終わらせるわけもなく、「未完」

 

 

 

 

 そうそうそう嵐はこうでなくっちゃ。

鋭く光る瞳で魂込めたラップでその場にいるオタクを殺してしまうような圧倒的な世界に連れて行ってこその嵐。てか、まぁ私の好きな櫻井翔くん。

まだまだまだまだ終わらないぞと。(さっき階段を降りることをちょっとでも考えてごめん、という気持ちになった)

尖って尖って。どこまでも誰もやったことがないことを追求する。夢のその先にいったる、という心意気。

まだ「未完」だと。

だから、この曲にこの構成を収斂させるならやはり「untitled」=「未完」になる。というかむしろ、このコンサートそのものが長い長い決意表明である、と言える。


この答合わせは、もっと先の未来でするんだろうね。平成が終わった後に、ああ、あの時の嵐は次の時代に向けてこんな決意表明をしていたんだって後々わかるはず。

 

 

 

私が、このコンサートは「人生賛歌」だと確信したのは、アンコールの 彼方へ

 

 

今 Sing one life, sing one love 

 

 

嵐は、一つの、とある人生を歌っていたんだ。

決して大きな物語ではないけれど、奇跡に溢れた素晴らしい人生を歌っていたんだ、と。

 

この曲、好きで結構聞いていたつもりだったんだけど、こんなに素晴らしい歌詞があるなんて気づいてなかった。

「人生」という名もなき物語の前では、嵐もまた平等で。

櫻井翔という、松本潤という、二宮和也という、相葉雅紀という、大野智という人生の物語においてタイミングが合い、出会うことが出来た。その交点が嵐。

 

 

そういう意味で嵐の語るメインの物語は、小さな物語だと思い知らされた。

個人の物語、最高でも5人くらいの物語。

 

A.B.C-Zを応援しているといかに彼らが大きな物語を語る存在か、ということを感じる。ここでいう大きい・小さいは「世界一になりたい!」みたいな”デカいことをいう”という意味とはまた違う。世界観とか宿命の規模の問題。

ジャニーズ伝説やってるえびは、55年の歴史と自分たち以外のたくさんのジャニーズアイドルの運命を背負う純血の民族。

「時を超え5Stars つないでくOnly one heart」

ということになる。時代をこえ変わらないジャニーズスピリットを体現していくという使命がある。

 

一方、嵐は(最近意識が変わりつつあるとはいえ)彼らは彼らのみで自分たちの責任を負ってる。なんだかよくわからないままアイドルになったフツーの男の子たちの、アイドルという職業を生きる成人男性の物語を紡ぐ。

You are my soul! soul!

いつもすぐそばにある 譲れないよ誰も邪魔できない

 

今日もテレビで言っちゃってる

悲惨な時代だって言っちゃてる

 

君と僕の世界。一人の個人が感じる、少年の姿が見える曲だなって思うの。ARASHI!ARASHI!とか言ってる当時の彼らにはかなりしんどい曲だろうとは思うけど、笑

 

 

なーーんてことを思った。そんな嵐が、2017年に「untitled」やってるの、面白いなって。

 

 

 

人生はそんな悪いものじゃないよ、っていうぽんと背中を押すようなパワーをくれる人生賛歌に満ちたコンサートでした。

自分のまわりの人を大切に、人生を大切に生きようと思った。

だって大切な、名もなき私の人生なので。

 

 

 

 

にしても最後のカンパイソング楽しかった~~~!!!!

このツアーまでに成人しててよかった~~~!!!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

☆その他☆

ここからは、コンサートの主題とは別にただただ嵐やべーなって話をします。

 

二曲目I'll be Thereでばーーーーーーんって巨大スクリーンが現れたとき、腰抜かした。

 

 

予算がヤバイ。

 

 

こんだけのモニターを用意できるって予算やばすぎか、なんだこれ。

円盤ばっちり売ってるグループは、そこの売り上げをきっちりコンサートに使えるから豪華になる。できる演出の幅も広がる。それを使いこなせる天才(松本潤)がいる。コンサートの質が上がる。オタク大満足。

なんだこれ最高の循環か。

あんだけ画質がいいモニターをばこーん置ける上に、自在に動かしてセット転換できる予算やばい。最高。嵐は格が違う。

本当に贅沢。チケ代こんだけでいいんですか!!!!???って感じ。もっと払うよ、まじで。

 

 

エンタメ技術は日進月歩だから使いたいネタなんて無限にあるんだろうけど、決して使いすぎることもなく、派手なものをぶつ切りで使うこともなく、程よくて松本潤万歳。

 

贅沢と言っても、なんかめっちゃいいお出汁を使ってる感じ。

シンプルな味だけど、きっちり味がする。的な。

 

 

国立でフライングやら、モニター瞬間移動やら、MJウォークやら滝やらやっていたときにくらべるとマジ洗練されてたな。

 

 

デカい演出がなくても、文脈と光の演出に凝りまくることでここまで精度を上げられるってことだよね。

 

 

 

私ジャポぶりにドーム入ったけど、ペンラ制御の精度が上がっててすごかった(語彙力ZERO)光とかほんとそう。

 

 

 

まーーー結局ろくなことはいえないんだけど、嵐パイセンやばかったぜ!予算と実力!!!!

ってことで撤収!

 

 

 

楽しいクリスマスを過ごせました。嵐さん、ありがとう。

 

河合くんもいい勉強になったよね、笑

 

 

嵐さん、ツアー最後まで駆け抜けてください!!!