こんばんは、ゆうです。
先に生まれただけの僕、楽しんでみております。
翔さんのことを考えて、考えて、作ったドラマなんだなぁということをひしひしと感じております。
私はというと、のほほんと大学生活をエンジョイしております。そう、のほほんと。
そんな人間にとって、何かふと立ち止まって考えたくなる、頭の片隅に置いておきたくなるドラマです。
まず、私がどう大学生活をエンジョイしているかと言いますと、資格試験のことを一度頭の片隅において、自分が興味を持った社会問題を少しでもいい方向に転がすべく、サークルやNPO参加を通して熱く尽力しているつもりです。
資格試験には役立たない科目の勉強が楽しくなり、図書館に通っては様々な本を読み、個人的に様々な論を組み立てて遊んでいます。
友人と集まっては、政治やなどの問題に首を突っ込み、文句を言い、途中から下ネタや恋愛話にもつれ込む。
趣味のバレエも一生懸命練習しています。若いのは限られているからね。でももちろんバレリーナになるつもりもありません。
バイトはありがたいことに自分がやりたいこと、コミットしたいことをすることによって、お金をもらえています。
そして、そのお金で10月はひたすら日生劇場に通って、ジャニーズ伝説が提供してくれる夢に酔いしれていました。
大学という、社会とほどよくつながりを持ちながらも、やや隔離された安全な世界で、表面的に何かを批判し、今の好奇心を満たしてくれる環境に満足しています。
私は、満足しているし、決して無駄だと思いません。
資格試験に役立たない勉強も、ジャニーズ伝説に通ったことも、「意識高そう」な活動がなかなか現状を打破できていないことも。
それは、社会に出たときに「論理的に組み立てる思考」が役立つ(仕事、の意味で)とか、「エンタメの仕組みがマーケティングを...」とかそういうレベルで役立つ、と思っているわけではないです。
そういうレベルで役立つときもあるでしょう。でも、そうじゃない「生きる」ことに役立つと思ってます。
物事を支える「科学」とかそういう常識みたいなことが実は権力によって作られた虚像なんじゃないか?と疑う思考は、ジャニーズに酔いしれた経験は、死にたくなった時に役立つと思います。逃げる、とか。戦う、とか。死ぬ、とか。
数学も、物理も、古文も。
知的好奇心を満たしてくれた、そんな経験は生きることを豊かにしてくれるような気がします。
私はそんな風に思うよ、なるみん。
とにかくね、翔くんとは切り離した時にこのドラマが「将来大人になる=社会にでる=働く=経済活動をする」であり、教育が将来の経済的な生産活動に何らかの形で役立つ、的な風に見えなくもないのがなんかちょっと苦しい。
文系の学生として、学ぶということは、「生きる」ということに資することだと声を出して言いたい。学校で学ぶことは、教養となり、「働く」以外の生きる活動にきっと役立つ、と。働いてないけど、働くことだけが大人になること、社会にでることだとは私は思いたくないよ。そして、勉強がそんな狭義に役立つものだと思いたくないよ。もっともっと広く役立つものだと思いたいよ。
さらにいうと「大人になる=社会に出る」ではないよ。私たち学生も、社会にいるよ。社会の一員だよ。そこはなるみんも同じかな?子供扱いしない、という点で。
社会は、経済活動をしている人間だけのものではない、と思う。
私は、高校の時に校則に納得がいかなくて、これは人権侵害だ、という話を先生にしたことがある。
「それがなんだ。」と言われた、人権の話をしているのに。
「君たちは、学生じゃない。まだ生徒なんだ。だからまだすべてを君ら自身で統治していいわけじゃない。」そう言われた時に血の気が引いた。(昔の学生運動を引き合いに出して話したから、こういう話になった)
子供、という身分に置かれ、二流市民扱いで、「君らのため」の名のもとに勝手に規制したり真実を隠されることが許せなかった。
最近、黒染めで訴訟になったけど、ほんと高校生に人権を、って感じ。
話それたけど、そういう意味ではこのドラマでやっと高校生を子供扱いしないことを決断したみたいでなんだかうれしい。
「高校生なんて身体は大人でも中身は子供。」というフレーズを数年前の私が聞いたら憤慨したと思う。確かに未熟なところはあるよ、でも、そんなに馬鹿じゃない。
これからドラマがどうなっていくのか、楽しみ。
そうそう、なるみん。ていうか、翔くん。
私最近わからないことがある。
「社会」に出て、働いて、お金を稼がなきゃいけないし、子供はその準備期間というのはまぁわからなくない。実際問題、働かなくちゃ、多分生きていけない。
だけど、働かなくても、働けなくても、人は生きていい。生きなきゃ、と思う。
働かざるもの食うべからず、っていうけどそのままそれってその人を殺すよね?働かなくても(働けなくても)食っていいはず、だと最近おもうんだ。
それが権利だと思う。
しょうくんは、学校は「やりたくないこと」でもやらなきゃいけなくて、それをやる訓練でもある、という話をしていたような気がする。
だし、「やりたいこと」をやるために「やらなきゃいけないこと」を完璧にこなして、やりたいことに文句言われないために努力してきた人だと思う。
だからこそ、私はそれが正しいと信じていた。
なんつーか「義務」と「権利」は表裏一体で、「義務」をこなしてこそ「権利」を得られるのだと考えていた。
でもさいきんなんか違う気がしてきた。義務と権利は表裏一体じゃない気がする。権利は権利。やりたいことしていいし、生きていい。そんな感じ。
時に休憩は大事だから、休憩するけど、そんなときに休憩していることに罪悪感を覚えてしまうのは「働かないと生きていちゃいけない」気がするからって話を聞いて。ていうか確かに「何か生産的なことをしていないと生きていちゃいけないような気がする」時ってあるじゃないですか。そういう感じ。
でも結局働かないとお金がなくて生きていけないのですが、でも働くために生きたくはないと思うのです。うまく結論がでない話をしていて、ぜひしょうくんかなるみんに答えてもらいたいのだけど。
「学ぶ」ということは、人生における「生きる」に役立つのであって、「働く」だけに役立つことじゃない気がするし、働かなくても「生きていい」というメッセージをどこかの大人が教えてくれたらいいのに、と最近二十歳になったばかりの私は思いました。
だってなるみん、時々働くために死にそうなほど(まぁ誇張表現だけど)ストレス抱えてるじゃん。それも、あんな理不尽な左遷で。
どうしてなるみんは会社を辞めなかったんだろう。
あんなに仕事できて、大手に勤めていて、スキルもあるんだから転職をまず最初に考えてもいいのに、どうして本社に戻りたいのだろう。
男は終身雇用で、その会社に勤めるものだという考えから?
っていうかさ、全然関係ないけどロンドン出張したおたべちゃんが向こうの取引先に「Beautiful!」って言われてるのどうかんがえてもPC的にアウトでは?海外の人は女性を褒めてくれるイメージだからかもしれないけど、女性だからって会って挨拶で容姿のことをいわれるもんかな?海外のビジネスシーンってそんなもんなの?わからんけどそこは「えっ?」ってなった笑
多分、私は甘い。
純粋に働きたくないと駄々をこねる気持ちが、先僕の前だとあらわになって苦しい。だから、こんなことをぼーーっと考えてしまう。
「生きる」ことと「働く」こと。それは同じか、否か。なんてね。
一筋縄ではいかない展開が楽しいです。
今週もワクワクですな。